「おやすみ」のまえの「おなかいっぱい」(ケニア) 《Atalaposhe/おなかいっぱい/マー語》

目黒 紀夫

「メーグロ、アタラポシェ?」(目黒、おなかいっぱいかい?)
「イーエ、アタラポシェ!」(うん、おなかいっぱいだよ!)

マサイの母語であるマー語で、「わたしはおなかいっぱいです」は“Atalaposhe”という。いつもわたしは、「おやすみ」の挨拶のまえに上のようなやりとりをママとしている。というのも、調査地では夕食がすごく遅いからだ。それでは、一日のなかで、ほかの時間帯に同じやり取りをしているのかというと、答えはノー(マー語で)である。

朝、子どもたちは6時すぎには食事をすませて学校へと出かけていく。それから1時間ほどして、遅れて起きてきたわたしは、ママと調査助手と一緒に朝食をとる。ここでいう朝食とは、砂糖いっぱいのミルクティー一杯である。大きなカップになみなみと注がれたその量は、決して少なくはない。とはいえ、「カップ一杯」で「おなかいっぱい」にはなりにくい。ママはわざわざ、わたしの分を大きなカップに注いでくれるのだが、しばらく滞在して慣れるまでは、どうしてもお昼前にはおなかが空いてしまう。

大きなカップに注がれたミルクティー

いっぽう、いつも夕方の5時から6時にかけて家に帰ると、7時前にミルクティーをみんなで飲む。カップ一杯のミルクティーでそれなりにおなかは満たされるが、これは夕食ではない。夕食の調理は、ミルクティーを飲み終えて一息ついた夜8時ぐらいからはじまる。料理をつくっているママの横で、小さな子どもがうとうとしていることもめずらしくない。そうしてできた夕食を食べおわるのは9時すぎ、ときには10時近くにさえなる。この夕食は、たいていウガリとスクマウィキ(ケール)である。お皿いっぱいに盛られたその量は、「おなかいっぱい」になるには充分すぎるものだ。お昼は町の食堂で食べることが多いのだけれども、そうした場所で出されるものの2倍近くの量がわたしの皿には盛られる。ケニアでの調査経験が長い日本人研究者がわたしの調査地に遊びに来たとき、その量を見て、「無理して出されたものを全部食べなくてもいいんだぞ」といわれたほどだ。わたし自身も、家に泊めてもらいはじめた当初は、「こんなに食べられるかな」と本気でわが身を心配したこともあった。とはいえ、ママの料理はとてもおいしくて、結局はいつも、時間がかかってもすべて平らげてしまう。

夕食のウガリとスクマウィキ

朝のミルクティーにしても町での昼食でも、それで空腹はいちおう満たされる。けれども、それでおなかがいっぱいにまでなるかというと、そうとはいいがたい。それにたいして、夕方はおろか夜もだいぶふけてから食べる夕食の満腹感は、その量にくわえて時間の遅さも手伝ってかなりのものだ。食べおわるころには、満腹感とともに眠たさがいや増してくる。あとはもう「おやすみ」とあいさつをして、部屋で寝るばかりだ。そんなとき、わたしの皿を受け取りながら、満面の笑みとともにママが声をかけてくる。

「メーグロ、アタラポシェ?」