悪女願望(カメルーン)

服部 志帆

2003年11月から2004年9月にかけて三度目になる調査をカメルーン東部州で行っていた時の話である。三度目の調査は、博士予備論文(大学院の修士論文に値する)なるものを書き上げたあと、初めての調査だった。初めての調査は、アフリカの熱帯雨林という日本とはかけ離れた環境で生活に慣れるのに必死、二度目の調査は森での日常生活に奮闘しつつ初めての野外調査に明け暮れた。一度論文を書き上げたという自信もあってか、三度目の調査は、生活にも調査にも少しばかりの余裕が出てきたところだった。

そんなとき、友人から森の悪女の話を聞いた。私は興奮し、その悪女へ強い関心を持った。考えてみれば、私は2000年11月から翌年3月までの約5か月間、2001年7月から翌年2月までの8か月間と、カメルーンの森で恋愛とは無縁の修道女のような生活をしてきた。加えて、3度目の調査を実施中である。年齢でいうと、23歳から27歳。世の女性が恋人とデートしたり、意中の男性に心ときめかせている人生の輝かしいステージである。日本にいるとき、友人や母親は繰り返し、「人生の一番大事な時にカメルーンの森になんて行っていていいの?」と尋ねたものだ。そのときは、男性よりもカメルーンでの森の民に心惹かれ、まったくぴんとこなかったが、悪女の話を聞いて眠っていた女心が目覚め始めたのだ。修道女のような生活をしているからこそ、心が躍ったのかもしれない。悪女になってみたい、そんな願望が生まれた。

悪女になるには見本がいる。バカ族の悪女をまず見つけだすことから始まった。バカ族というのは、わたしが調査をしている狩猟採集民である。彼らは生活の舞台であり多くの恵みをもたらしてくれる森とともに暮らしている。悪女観察をしてみると、私が生活をともにしていたバカ族の女性たちはみな非常に魅力的であった。ひかえめで恥ずかしがりの女性もいれば、自分の思いをまっすぐに伝える直情型の女性もいる。天真爛漫で素朴なのはすべての女性に共通していることかもしれない。それぞれに、男性を虜にする十分すぎる魅力を持っているように見えたが、とくに一人を取り上げるとなると、間違いなくモボリだろう。

モボリというのは森のキノコの名前であるが、茶色で平凡なキノコと比べると、非常にチャーミングな雰囲気をそなえていた。推定年齢はおそらく50歳を超えており、これはバカ族の基準からいうと、老人の域に入っているが、初々しい笑顔やひかえめにヤマノイモやハチミツを差し入れてくれる様子は少女のようであった。彼女はこれまでに3人の男性と結婚したという。

バカ族の悪女モボリ

 

一人目はベアという狩りが得意な男性であった。多くの獲物を彼女にもたらし、3人の子供たちを与えた。ベアがなくなった後は、アオパという男性と恋に落ちた。この男性は、調査村から100キロも離れた村出身のものであるが、たまたま調査村の近くに住む親族の家を訪ねてきたときに、モボリに出会い夢中になったという。結局、モボリのそばにいたいという理由で、自分の村にいる妻子を捨てて調査村で暮らすようになったという。アオパとは子ども一人をもうけたものの熱がさめて別れてしまうが、その後バミトレという大物を釣り上げた。バミトレは森での技術や知識はさることながら、人格的に非常にすぐれた人物であった。近隣に暮らす農耕民は通常、バカ族を見下していることが多いのであるが、バミトレはたいへん尊敬されていた。もちろん女性に非常にもてた。モボリによると、多くの女性に嫉妬され、とくにバミトレの前妻から「サタン(悪魔)」とののしられたこともあったという。結婚にはいたらなかったが、これら3人のほかにもじつに多くの男性から言い寄れたという。

彼女の魅力はいったいどのようなものか。まずは艶っぽいしぐさである。子どもをあやしたり、人を見つめる視線が情緒的である。それに、細やかな心配りと甘え上手なところは、きっと男性の心に強く訴えるものがあるのだろう。きれい好きの私を気づかって、差し入れを届けてくれる食器はきれいに洗ってくれていたし、水を汲んできてくれるときは、透き通った森のいい香りのする水を届けてくれた。甘え上手さについては、国籍も年齢も違う私に、猫なで声で「ママ」といって甘えるほどである。まさかバカ族のおばあちゃんにママと呼ばれるとは思わなかった私は、気恥ずかしくなんともいえない複雑な気持ちになったものだが、慣れてくると、いつしかかわいらしさを感じるようになった。彼女がバカ族なかですばらしく人気があったことがよくわかる。

モボリの魅力は少しずつわかってきたが、問題はどれもこれも簡単に身につくものではなさそうであった。なにかほかに、簡単に実践できそうな悪女の秘訣はないだろうか。そこで私はモボリに聞いてみた。モボリは含みのある笑みを浮かべ、自信たっぷりにいった。「男がどんどんやってくる薬をつけることだよ」。それから、彼女は惚れ薬の材料をたくさん教えてくれた。それから、いい香りのする植物も教えてくれ、「これを体につけて置くと、男の人がいい香りがするっていうんだよ」とほほ笑んだ。まるで香水のようだ。なるほど、彼女は男性というものをよく知っていて、愛される努力をしているのだと感心した。

モボリの魅力は尽きず、その後も私は悪女の技術を目の当たりにすることになるのだが、問題は観察記録ばかりが増え実践するチャンスがないことであった。チャンスがないとは語弊があって、悪女への道へ一歩を踏み出す勇気がなかなか出てこないというのが私の現状であった。かくして私は地味な研究生活を突き進むことになるのだった。