哺乳瓶の洗い方

桐越 仁美

ハジヤは、いつも違う人の子どもを預かって育てている。両親が離婚して母親が出て行ってしまったから。両親が仕事で失敗して養育費を捻出できなくなったから。子どもを預かる理由は様々だ。自分自身も7人の子どもを育てあげたハジヤは、とても優しく、ときに厳しく子どもたちに接する。彼女の子どもたちは末っ子を除いてみな独立し、今は家にいない。少し静かになった家には、預かってきた子どもたちの笑い声が響いている。

久しぶりに村を訪れると、見知らぬ赤ちゃんがハジヤの足元にしがみついていた。
「この赤ちゃんは?」
赤ちゃんのぷにぷにしたほっぺを突きながらハジヤに聞くと、
「娘の子だよ」
と嬉しそうに答えた。赤ちゃんの母親は仕事で忙しいため、しばらくハジヤに預けているのだという。

赤ちゃんはよたよたと歩いていたが、まだオムツをしていた。もしかしたら、まだ少しは母乳を飲んでいるくらいの大きさではなかろうか。そう思って見ていると、ハジヤがほかの子どもに声をかけて粉ミルクと哺乳瓶を持ってくるように言った。その子はソファの上に積み上げられていた服をどけて、洗面器に入った粉ミルクの缶と哺乳瓶のセットを引っ張り出し、ハジヤに渡した。ハジヤは哺乳瓶の中に残っていた飲み残しのミルクを捨て、バケツに溜めていた井戸水でサッとすすぎ、新たに粉ミルクを入れてお湯を注いだ。

写真1 写真に興味深々の赤ちゃん

当時の私は育児の知識をほとんど持ち合わせていなかった。でも、少しだけは知っていた。哺乳瓶は洗浄後に殺菌をし、赤ちゃんの口に入るものは清潔を保たなければならない。ところがどうだろう。ここでは殺菌どころか、哺乳瓶の乳首すら洗っていない。そんなことをして大丈夫なのだろうかと、私は少しはらはらしながら、赤ちゃんがミルクを飲む様子を眺めた。私の心配をよそに、赤ちゃんはミルクを飲みほし、また楽しそうに遊び始めた。ハジヤは哺乳瓶と粉ミルクの缶を洗面器に戻し、元の場所に戻すよう先ほどの子に言いつけた。哺乳瓶も乳首も、洗われることなく元のソファへと戻っていった。

ハジヤは、ミルクを飲んで満足した赤ちゃんを優しい笑顔で見守る。暑いガーナでは、一日の大半を屋外で過ごす。村には電気が来ており、部屋の中には扇風機もあるのだが、電気の供給が安定しないために、みんな扇風機を頼りにしていない。家の外の日陰に腰掛け、風を受けた方がよっぽど涼しいのだ。そのため、赤ちゃんがウロウロしているのは家の前のセメントが敷かれた範囲であり、そこにはヤギやヒツジ、ニワトリが行き交っている。赤ちゃんは、時折ヤギやヒツジの糞を興味深げにつまみ上げたりしている。そんな時、ハジヤは優しく糞を取り上げるだけで、慌てて手を拭いたりする素振りもない。「そういえばニジェールの人たちも、家畜の糞を平気で手に乗せて、土壌の栄養の説明をしてくれたっけ」そんなことをぼんやりと考えた。

写真2 ハジヤと子どもたち

 

赤ちゃんは案外強いようだ。哺乳瓶を消毒せずとも、家畜の糞で遊んだとしても、大きな病気になることもなく、日々元気に成長している。清潔を心掛けるあまり目に見えない雑菌のことを考えてカリカリするよりも、少しくらい大雑把でもゆったりと構えた方が、子どもの心の成長には良いのではないか。将来、自分が母親になったら、あまり細かなことは気にせず、ハジヤを見習っておおらかに育てたい、そう思った。ハジヤはそのようにして、たくさんの子どもたちを立派に育て上げてきたのだから。

そして私は5か月前に母になった。娘はどちらかというと粉ミルクが好きな子で、先日、早くも母乳を卒業してしまった。いまは始めたばかりの離乳食と粉ミルクで、ぐんぐんと体重を増やしている。あの日ハジヤを見習おうと思った私はどこへやら。今は、飼い猫が娘のお昼寝布団に乗るのを快く思っていないし、夫が少しでも雑に哺乳瓶を洗えばイラついたりしている。頭では、そんなに気にしなくとも大丈夫だとはわかっているのだが、やっぱり細かなことが気になってしまう。ネットに溢れる育児関連の情報も、私の不安を助長する要因だ。少しでも不安になれば「猫 赤ちゃん 同居」などと検索し、「赤ちゃんが体調を崩す可能性があります」といった小さな可能性を語る記事を見つけてはまた不安になったりしている。そんな自分に少し呆れたりもするが、きっと今後もガーナ流ゆったり育児の実現は難しいだろう。

今度ガーナに行ったときには、育児についてハジヤと話してみようと思う。私の育児の様子を聞いたハジヤは、「なぜ猫が布団に乗ることを気にするの?」と首をかしげるだろうか。