呪いの世界をかいまみる

松浦 直毅

アフリカの人々の「呪い」に対する認識が私たちとは大きく異なっていることは、過去の「アフリカ便り」にも描かれているとおりである(1, 2, 3)。私もそうした呪いの世界に魅力を感じ、その一端にせまろうとして調査を重ねてきた経験がある。呪いの世界の内側へと分け入るために、みずからの身を投じて呪医になるための儀礼を受けたこともある(写真1)。そうして文字どおり身をもって理解できたこともあるのだが、一方で、呪いの世界をのぞこうとすればするほど、むしろ理解から遠ざかっていくように感じるのも正直なところである。このように混沌とした呪いの世界をかいまみるために、ここでは上で述べた儀礼にかかわったひとりの呪医の話をしてみたい。

写真1. 儀礼の一場面

いまから10年以上前の2010年はじめ、私は調査地であるガボンの村を訪れた。バボンゴと呼ばれる狩猟採集民が暮らす村であり、それまでにすでに複数回にわたって調査を重ねてきた場所である。博士研究を終えて、自分の研究も次のステップに入ったところだった。次のステップに進んだからというわけでもないのだが、このころ私は、村の人たちから呪医(ンガンガ)になってはどうかと、ときおり進められるようになっていた。呪医とは、文字どおり呪術的な力で治療をほどこす、いわゆるウィッチドクターであり、ガボンでは広く一般に知られている。薬用植物の知識に長けているほか、さまざまな呪具や呪文を使いこなすことができ、それによって薬を飲んでも病院に行っても治らないような症状に対処してくれる。調査村の村長高名な呪医であり、かれらの力を頼ってガボン中から治療を受けようと人々がやってくる(拙エッセイ「伝統医療を信じる人たち」参照)。

私が呪医になることを勧められたのは、村での存在が認められたからという理由もあっただろうと思うが、儀礼をおこなうことでごちそうにありつけてお金ももらえるからという理由もあっただろう。金銭的な理由というよりは、儀礼の過程が過酷なものであると知っていたため、私は呪医になることをためらっていたのだが、このときついに決心をして儀礼を受けることにした。儀礼のくわしい過程はほかのところにも書いているのでここでは述べないが、とにかく筆舌に尽くしがたいもので、幻想的で陶酔的なものでもあったし、ひどく苦しくつらいものでもあった。

この儀礼をつかさどる役割を果たしたのが、呪医・サンザラであった。サンザラは、一見して他の人とはちがう風格をそなえており、聞かなくてもすぐに呪医とわかるようなカリスマ的な人物だった。儀礼のなかでも獅子奮迅といえる活躍をして、私もふくめたその場に居合わせた人たちは、その一挙手一投足に釘づけになった。儀礼の最中の圧倒的な迫力とはうって変わって、儀礼が終わると明鏡止水のごとく物静かで落ち着いたようすで、それがまた呪医としての威厳を際立たせていた。ていねいに呪具の手入れをしているサンザラの横で話を聞いていると、穏やかで澄んだ気持ちになるとともに、呪医たる者の心がまえや教訓のようなものとして、体に深く染み入るように感じられる。自分を呪医の世界に導いてくれた師匠であり、呪医としての魅力にあふれたサンザラに対し、私は大きな敬意をもたずにはいられなかった。

つぎの調査の機会は、同じ年の夏に得られた。儀礼を受けた記憶はまだ鮮明に残っており、早く色々な話のつづきを聞きたいと思って、はりきって村へと出かけた。しかし、村に着いた私が聞いたのは、思いもよらないショッキングな話であった。サンザラが逮捕されたというのである。呪医たちは、近代医療では治せない病気を治療し、人々を教え導き、さまざまな人生訓を与えてくれる道しるべである一方で、その力を悪い方向に使えば、人々に害をもたらす危険な存在でもある。ガボンでは、とくに小さい子どもが誘拐されて身体の一部が切除された遺体が見つかるという凄惨な事件がときおり発生しているが、切除した身体の一部を呪術に利用するためであるといわれており、儀礼にまつわる犯罪とみなされている。薬用植物の利用や美しく魅力的な語りだけを見て、私は呪医に対する憧れを深めていたわけだが、このような「呪い」の負の側面にも目を向けなければならないことをあらためて思い知らされた。

サンザラは、村で話に聞いたとおり、町の留置所に拘留されていた。まさかこんなところで再会することになるとも思っていなかったし、呪医の威光がその輝きをほとんど失っていたために、自分が知っているカリスマ的人物とはまったく違って見えた。聞くところによると、数カ月前にこの地域で発生した子どもの誘拐殺人について、自身が手にかけたわけではないが、犯人とされる呪医と懇意にしており、その呪医がおこなう儀礼の場に参加していたことから、共犯者として逮捕されたとのことだった。あれだけ多くの人から畏怖と尊敬のまなざしを送られてきた人だが、このようになってしまったいま、手を差し伸べてくれる人はほとんどいないのだという。私が差し入れに持って行った食料と少しばかりの支援金をとてもありがたがってくれたが、どうにもざらついた気持ちになったことを覚えている。結局、私はこのとき以来、サンザラと会っていない。

このできごとから10年以上がたつが、まだほとんど消化できていないというのが偽らざるところである。何度参加しても儀礼の幻想的な雰囲気にはいつも魅了されるし、それを取りしきる呪医には強くひかれる。一方で、社会問題にもなっているような儀礼犯罪はあってはならないことだと思うし、子どもを失うなどした被害者の心情は察するにあまりある。しかし、このふたつが同じ呪術的世界のなかで表裏一体になっていると考えたとき、呪医にまでなっておきながらこのように考えるのは情けないかもしれないが、私は呪術とどのように向き合い、どのように受け止めればいいのかわからなくなる。呪医になってから10年以上、研究をはじめてから20年以上たつが、私にとって「呪い」の世界はまだまだ遠く、どちらとも理解しがたい宙ぶらりんな状態であるようにいつも感じる。

だが、そうした宙ぶらりんの状態から脱出しようとして安易な結論を下すのでは「呪い」の世界にはせまれないのではないかとも思う。宙ぶらりんな状態でいることを受け入れ、ゆれ動きながらさまざまな側面に目を向け、さらに10年、20年と長い目で継続的に取り組んでいくことが必要なのではないかと思う。10年後、20年後の「アフリカ便り」を期待していただきたい。