『純粋な人間たち』(De purs hommes) モハメド・ムブガル・サール=著、平野暁人=訳

紹介者:池邉智基

同性愛者であるという疑惑からセネガル人男性の墓が暴徒によって掘り起こされるという事件が起き、その様子を映した動画がSNSで拡散されていた。たまたま動画を目にした主人公ンデネは、困惑しながらもどこか自分とは別世界で起きているかのような感覚の中にいた。セネガルは国民の9割以上がムスリム(イスラーム教徒)であり、2000年代頃から、同性愛者をイスラームの原則に反する存在として暴力的な排除をしようというホモフォビア(同性愛嫌悪)の空気感が広がっている。無関心を装っていたンデネだが、次第にセネガル社会に対する懐疑的な感情が渦巻いていき、遂には自身もその渦中へと突き進んでいくことになる。

本書の著者は、これまでにアマドゥ・クルマ賞やゴンクール賞など、フランスの文学賞を数々受賞している、セネガル人小説家モハメド・ンブガル・サール(※1)である(なお、本書と受賞作は異なる)。同性愛という、セネガル社会でタブーとも言える領域に切り込んだ作品は多くの反響を呼んだが、セネガル人の批評家や読者層、メディアからの評価はすこぶる悪い(※2)。同性愛は宗教的な文脈でタブー視されているだけでなく、ヨーロッパ人がアフリカの植民地に持ち込んだ「悪しき慣習」としてもみなされ、反仏感情を呼び起こすようなテーマでもあるのだ。セネガル生まれで高校からフランスに移り住んでいるサールは、セネガルの読者にとってみればまさに「西洋かぶれ」の書き手であり、本書は「問題作」扱いであった。しかし、その内容はたしかにセネガル社会の現状に対して一石を投じるものであることは疑いようのない事実である。

さて、本作の主人公ンデネはセネガルにおいて、異性愛者で、ムスリムで、それなりに地位のある職業についており、どちらかといえば普通の人間である。普段はセネガルの大学で文学部教員としてフランス文学を教えている上、モスク(礼拝所)の要職に就くことが噂されるほどの地位を持つ父に持ち、これといって大きな不自由もなく生きてこられた。かつては大学の「ぬるさ」を問題視して孤独に改革を目指したものの、どれもうまくいかなくて、いまでは無気力な教員たちの仲間入りをしてしまった。職場での事なかれ主義は、彼自身の政治や社会に対する思考すら保守化してしまったようである。また、敬虔な父とは違ってめったに礼拝もしておらず、人付き合いのためにやむなく金曜礼拝に行き、その時だけ「敬虔なムスリム」の皮を被っている。実に普通で、無気力な、社会の傍観者だ。

ウォロフ語では男性の同性愛者だけでなく、LGBTQ+すべてひっくるめて「ゴール・ジゲン」すなわち「女男」(※3)という呼び名で大雑把にまとめられる。セネガルでも、夜中に行われる熱狂的な太鼓とダンス(サバール)の空間には、女性的な衣装に身を包んで魅惑的な踊りを見せるダンサーだって普通にいたし、同性愛者の存在は過去の歴史資料に記述されていた。これまで普通に存在してきた人びとであったが、以前まで誰も干渉することなく済まされてきたはずの領域が、いつの間にか政治的で社会的な問題となってしまった(※4)。ンデネは複数人の当事者たちとの対話をすることで、自身がこれまで同性愛嫌悪の思考を無意識にとっていたことを自覚していく。しかし、同性愛に対して少しでも共感や同情の意思を見せようものなら、その人も「女男」扱いされ、迫害の対象となる。ンデネの態度が変化していく中、周囲の憎悪がンデネの周囲を蝕みはじめる。

2017年に本作の原著が出版された時期から、現在にかけて状況は変わっておらず、むしろ悪化の一途を辿っている。「女男」とみなされた者がリンチを受けたり、死者であれば墓を掘り起こされたりするという事件は、度々SNSを燃え上がらせてきた。今年(2023年)10月末にも、死後に疑惑をかけられた者が暴徒によって墓を掘り起こされ、遺体が焼かれるといった事件が起きている(※5)。もちろん、セネガルの人びと全員が暴徒化しているわけではなく、実際は序盤のンデネのような傍観者たちが大多数だろう。本書で著者が試みた現代セネガルにおける倫理的な問いかけは、どれほどの傍観者の目に届くだろうか。セネガルで外国人として関わり続ける私も、こうして日本語で本書の魅力を説明することで、少しでも多くの読者にその解釈を委ねることが布石となればと思う。

(※1)重箱の隅をつつくような些末な点ではあるが、どうしてもセネガル研究者として付け加えておきたい点として、固有名詞のカタカナ表記の問題点がある。

まずは著者名で「ムブガル」として表記されているMbougarについてである。基本的にラテン文字表記では、bやpなどの子音の前に「ン」の音が来る際には、mとする。そのため、発音をカタカナ表記するならば「ンブガル」とするのが正しい。気になる「ンブガル」の意味であるが、筆者も実のところはよくわからない。

また、「ムブガル=サール」と「=」がついているが、これも不自然である。本書の著者は姓(クラン名)がサール(Sarr)で、モハメド・ンブガルが名前となる。「ムブガル=サール」とすれば、その二語で姓を指すような書き方になってしまうが、セネガルではそのようなかたちで姓を表す方法は存在しない。

さらに、作中に登場する人名の表記を発音をもとに正しく書けば、「ンディアイ」(Ndiaye)は正しくは「ンジャイ」、「ゲイェ」(Gueye)は「ゲイ」、「ニャング」(Niang)は「ニャン」、「ディオップ」(Diop)は「ジョップ」と、それぞれ訂正できる。

もちろん、こうした固有名詞の表記は本書の翻訳の質を問うものではない。そもそも、セネガルはフランスによる植民地支配を受けるまで、多くの人びとは文字を使うことはなかったし、名前をラテン文字表記で登録するということもなかった。独立後にフランス語式での地名・人名の表記が導入されたことで表記が固定化されたものの、植民地期には無理やりとも言えるフランス語表記がされたものも多く、それゆえ実際の発音と微妙に異なっていることは少なくない。

(※2)詳細は、Térélamaの記事を参照(最終確認:2023年11月27日)

(※3)ウォロフ語の「ゴール・ジゲン」について、翻訳では「男女」となっているが、正しくは「女男」のほうがニュアンスとして正しい。

(※4)詳しくは、以前このHPにも載せた拙エッセイ「反同性愛法案と『女男』」(2022年2月25日掲載)を参照されたい。

(※5)詳しくは、Jeune Afriqueの記事を参照(最終確認:2023年11月27日)

書誌情報

出版社:英治出版
発売日:2022年12月14日
単行本(ソフトカバー):224ページ
ISBN-13:978-4862763129