活躍する女性村長

松浦 直毅

わたくしごとだが、この4月から女子大学に異動した。前職も女子の割合が比較的高い学部だったが、全員が女子という環境はやはりいろいろな点で大きくちがう。そうしたなかで私も、ジェンダーの問題や男女格差の問題にふれる機会が増えて、それらに関わる話題に対して今まで以上に気にすることが多くなった。身近なところでいえば、大学のミスコンテスト、大学におけるハラスメント、大学入試や就職活動をめぐる女性差別などがニュースになるのを見て、そして、それに対してSNSでさまざまな議論が交わされるのを追うにつけて、私たちが暮らす社会には根深い差別の意識があり、女性の活躍を妨げる構造があることを感じることもすくなくない。公務員向け講座の20人以上の講師が全員男性であったり、年配男性たちばかりが居並んで「働く女性の活躍」の応援を宣言したりするなど(しかもそれが省庁による事業なのである)にいたっては、いつの時代の認識で止まっているのか、女性活躍とはどういうことなのかと暗澹とした気持ちにもなる。

そうしたときに思い出すのは、ガボンの村でずっとお世話になってきたシェフ・マリーである。マリーは、私の調査地であるブトゥンビ村の東隣のムカンディ村に住む調査当時50代の女性で、ムカンディ村とブトゥンビ村を合わせた集合村の村長(シェフ)であった。背が高く、くっきりした顔立ちで、見るからに威厳というか威圧感がある。顔の4分の1くらい、左目にかかる範囲に黒っぽいシミがあるが、それがまた彼女の迫力に拍車をかけている。

正直にいうと、私は調査をはじめた当初、マリーがとても苦手だった。娘、息子の妻たち、そのほかの親族の女性たちを引き連れて、ブトゥンビ村の近くにある畑によく仕事をしに来るのだが、そのときはいつもブトゥンビ村に立ち寄って、休憩がてらいろいろな人たちと話をしていく。私が彼女にはじめて会ったのもそうした機会であったが、彼女がシェフであることを知らなかったこともあって、詰問されるように根堀り葉掘り聞かれたのに面食らったことを覚えている。

独立記念日に村の人たちと一緒に町に出たときにも、いろいろと指示されるのに辟易した。独立記念行事として、地方都市を訪問してきた大統領の前でそれぞれの地域の人たちが行進するするのだが、村まで迎えに来た車で町に向かう車内でも、村の人たちが泊まるために用意された小学校の宿泊所でも、ああしろこうしろ、あれをするなこれをするなと、口うるさく言ってくる。挙げ句に、「あなたの参加は禁止されているから」といって、行進には連れて行ってもらえず、宿泊所で待機していろという。ひとりポツンと残されて、さすがにこれは耐えられないと抜け出したのだが、見つかったらどうしようとビクビクしながら町をウロウロとして過ごした。このときには、シェフであることはもちろんわかっていたが、それにしてもこんなに厳しく指示される筋合いがあるのかと思うと腹も立った。

そうしてマリーは、私にとって天敵のようなオニ親のような存在になっていった。外見も性格も合わせて、私はひそかにマリーのことを「鉄仮面」と呼んでいたものである。その後は、彼女たちが畑仕事に来る日が憂うつで、なるべく森に出かけるようにしたり、部屋にこもってあまり合わないようにしたりもしていた。それでも顔を合わせてしまうことがあると、「いま何をやっているの?」「どこに行ってきたの?」「その持っているものは何?」などといろいろと聞いてくる。しばらくのあいだ、彼女と会うときにはどうしても緊張してしまうという状態だった。

このような関係が変わったのは、ムカンディ村でおこなわれた儀礼に、ブトゥンビ村の人たちと一緒に参加したときのことである。夜通しおこなわれる儀礼にそなえて、ゲストである私には、シェフの家、つまりマリーたちの家に部屋を用意してくれた。緊張して隅の方で小さくなっていた私に気さくに話しかけてくれたのは、マリーの夫パスカルであった。パスカルは、マリーよりも小柄だがマリーと同じようによくしゃべる声が大きな男性で、与党の政治活動の相談役を務めるなど、村の名士であった。私の話を興味深そうに聞いてくれるパスカルとすぐに打ち解け、すっかりおしゃべりが盛り上がっているところに、マリーが夕ごはんを運んできた。家事にいそしむマリーの顔は、いつもの鉄仮面ではなく柔和な妻/母の顔で、いつになく打ち解けて会話がはずんだ。それからは、しだいにマリーとも緊張することなく会えるようになっていった。むしろ、いろいろなことを質問したり困ったことを相談したりするようになり、調査を振り返れば、調査地のなかでも最もたくさん話をし、最もお世話になった人のひとりとなった。

ここにいたって私は、先入観でマリーを見ていたこと(そして、失礼なあだ名をつけていたこと)を恥じた。彼女が私にいろいろと聞いてきたのは、いきなり村にやってきた外来者のことを理解しようというシェフとして当然の行為だった。国の公式行事に外来者が闖入して問題になっては困るし、外来者に何かあったら大ごとでもある。だから、あまりにも目立つ私を行進に参加させるわけにはいかなかったのだろうし、強い責任を感じて細かに指示をしてくれたのだろう。そもそも私は、女性がシェフであるという発想を持っておらず、マリーを隣村の口うるさいおばさんだと思いこんでいた。パスカルとははじめから話がはずんだのは、私に男性名士に対する態度というものがあったからかもしれない。家庭的なマリーを見て、これが本来の姿だと安心したことも否めない。現地の文化を尊重し、謙虚に学ぶ姿勢で臨むのが人類学のフィールドワークの基本であり、私もそれを心に刻んできたつもりだったが、自分のなかのジェンダーバイアスには十分に自覚的ではなく、無意識に持ち込んでしまっていたことを反省する。

女性リーダーの資質が語られるとき、「女性らしい細やかな気配り」が持ち上げられることがある。しかし、そうした「女性らしい」という発想自体が、すでに大きく偏った見方となっている。マリーは、女性ならではの特徴を生かしてシェフを務めているわけではなく、村の状況を的確に把握し、村で問題が起こることのないように気を配り、問題が起きればそれを適切に解決する、という男女を問わないリーダーとしての資質によってシェフになったのであり、実際にそれをいかんなく発揮している。既存の差別構造を是正するために、女性をとくに対象とした取り組みが現在も必要なのはまちがいないが、女性性に還元することなく、あるいは男性を下げて女性を持ち上げるのではなく、誰もがひとりの人として評価され、「女も、男も」すべての人が、それぞれに望むように活躍し、自己実現を果たすことができる社会こそが望まれるだろう。

マリーとその家族(座っているのがマリー、左の男性がパスカル)(2005年撮影)

ムカンディ村(左側の国旗が掲げてあるのがマリーたちの家)(2014年撮影)