八塚 春名
「こんなに遠くてたいへんな道のりなのか」というのが、ロバンダ村に到着した最初の感想だったように記憶している。世界中の人びとが憧れる世界自然保護遺産セレンゲティ国立公園の真隣に位置するロバンダ村は、もっとアクセスがよいと勝手に想像していたが、ぜんぜん違った。
ロバンダ村へは、タンザニア北部の町アル―シャを出発して約3時間、舗装道路を走った後(そのうち一部は日本のODAによる支援だと看板が立つきれいな道路)、そこから延々と未舗装の道を行く。この未舗装道の始まりは、自然保護区のゲートでもある。手前がンゴロンゴロ自然保護区で、その奥に広大なセレンゲティ国立公園が広がっている。ロバンダ村はそれらを抜けた先なのだ。自然保護区を通るので、道中は野生動物がたくさん見られると期待したいところだが、ンゴロンゴロは火山によってできたクレーターの底にたくさんの動物がいて、クレーターに降りるには別料金が必要。ただ通り抜けるだけのわたしたちは、クレーターの外輪部分を延々と走らなければならない。途中には、観光客相手に商売を試みるマサイの人たちや、バスを待つ人がちらほらいる以外、誰もいない砂埃の道をいく。
ここの砂はまるで小麦粉のように細かい。わたしが幼い頃に「さら砂」と呼び、砂場でつくったお団子の表面にまぶすことを憧れた、細かな細かな砂だ。さら砂は、車が通るたびにぶわっと舞い、車のうしろはベージュ一色で何も見えなくなる。車から降りようものなら、細かな砂に足がずぼっと埋まる。まるで新雪の上を歩くかのように。そして靴は一瞬にして砂まみれになる。この砂まみれの道を延々に進んだ先に、セレンゲティ国立公園のゲートがある。そこまででも遠く、なかなか辛いが、ロバンダ村はさらにセレンゲティを通り越したその先なのだ。
今回、わたしたちは2台の車にわかれて移動をしたが、そのうちの1台が初日にンゴロンゴロの砂のなかで故障した。あんなに細かなさら砂だから、そりゃ車も傷むでしょう、と今なら思えるが、あの時は旅が始まったばかりで、先を急ぐ気持ちのほうが大きく、寛容な気持ちは一切もてなかった。車は停車して、ドライバーが少しメンテナンスをして、出発するもまた止まる、を繰り返した。停車するとわたしたちは車外に出て、何の役にも立たないのに故障の具合を検証に行き、あーだこーだと意見するのだが、そのたびに砂がどんどん靴やズボンの裾を汚していく。周囲の景色を撮っていたからか、わたしのカメラはその後、レンズの出し入れができなくなった。さらにその後スーツケースも壊れて、鍵が開かなくなったり、逆に閉まらなくなったりした。すべては砂のせい。とにかくいろんなものが砂を噛み、不具合を起こした。
不具合はモノだけではなかった。細かな砂は舞い上がるたびに髪に絡みついて、髪の毛は夕方にはバシバシに固まった。乾燥と日焼けと砂のせいで、わたしの唇はリップクリームではケアできないほどに切れた。数日後に会った友人が、わたしの唇を見て「キリマンジャロ山にでも登ったのか?」と聞いたほど、痛々しい唇だった。
タンザニアの中央部で調査をするわたしにとって、中央部は降雨が少なく乾燥の激しい地域で、一方の北部は緑あふれる豊かな地域という印象を抱いていた。それはおそらく、外国人観光客が訪れ経済的に恵まれたイメージと、気候がよくて食材が豊富なアル―シャ近郊のイメージに起因している。その豊かな北部で、こんなに道のりがたいへんなのは、都市と村のあいだに大きな保護区があり、アスファルトを敷くことができないからだ。「セレンゲティ」はマサイ語で「果てしない大地」を意味するそうで、果てしない距離がずっと未舗装であるため、ロバンダ村へは想像以上に遠くたいへんな道のりになる。車の故障が疲れを助長したことは事実だが、その故障の一因が砂であることは間違いない。岩井さんによると、南アフリカのクルーガー国立公園では、公園内の車道が舗装されていても動物はたくさんいるという。つまり、自然を保護しながら住民の利便性をあげることは、必ずしも不可能なことではないはずだ。わたしたちはたった一度訪れただけだが、村の人びとは町へ出るたびに毎回この道を通り、町に暮らす人たちは帰省のたびに毎回この道を通らなければならない。
ただ幸せなことに、この砂埃でくたくたになった末にロバンダ村に着いたら、たくさんの人たちがわたしたちの長旅をねぎらい、あふれんばかりのもてなしをしてくださった。わたしにとってこの旅は、「遠くて辛くてもまた行きたくなる」という、フィールドワークの根本を思い出すような体験だった。ロバンダ村でもミセケ村でも、たくさんの人びとが私たちに会いに来てくれて、何日もかけて用意をしてくれた食べきれないほどの豪華なお料理をいただいた。この地域の人たちの岩井さんに対する深い信頼と、岩井さんをとおしたアフリックへの信頼をひしひしと感じる日々だった。一方、わたしたちは滞在中に、小学生がゾウに大けがを負わされたというニュースを聞いたり、ゾウに殺されたピーターさんの家族を見舞ったりして、ゾウと隣り合わせの暮らしには、はかり知れない困難があることも改めて理解した。アフリカゾウと生きるプロジェクトは今もまだ試行錯誤の途上にあるが、今後も地域の人びとと共に闘うことができることを願っている。砂埃に耐えて訪問して、ほんとうによかった。わたしたちを迎えてくださったすべてのみなさんへ、心よりお礼を申し上げます。Asante sana.