紹介者: 桐越仁美
「砂漠のなかで一人、病院を営んでいる偉大な日本人がいるんですよ。その人は30年余りニジェールの現地の人びとに医療サービスを提供し続けています」。2010年に私が初めてニジェールに調査に行った際に、JICA(国際協力機構)のニジェール支所で谷垣先生について教えてもらった。それ以来、一度は谷垣先生にお会いしてみたいと思っていたが、ニジェールの情勢悪化もあり、一度もお会いすることができないまま2017年にニジェールのテッサワという地で亡くなられたことを知った。テッサワから400㎞ほど離れた私の調査地周辺でも噂を聞くほど、ニジェールでは有名な人であった。
本書は、1979年から38年間にわたりニジェールにおいて医療活動に従事し続けた谷垣雄三医師とその妻・静子さんを偲び、信州大学ワンダーフォーゲル部のOBや京都府京丹後市峰山町の人びとが発行したものである。谷垣医師と静子さんの足跡を、関係者へのインタビューや残された資料をもとにたどっていく。
京都府京丹後市峰山町で生まれ育った谷垣医師は、長野県松本市にある信州大学文理学部に進学し、ワンダーフォーゲル部に入部する。ワンダーフォーゲル部の部員とともに北アルプスをはじめ多くの山岳へ足を踏み入れ、医学部進学課程を修了した後は、学生運動の先頭に立つようになっていく。松本で静子さんと出会い、大学を出たあとは埼玉県や東京、北海道などの病院で医師として勤務するようになる。そんななか、ニジェールのウラン鉱試掘探査するIRSAの嘱託医募集に応募し、1979年にニジェールに行くことが決まる。嘱託医の任を終え帰国するも、再びニジェールに行くことを希望し、JICAの医療専門家としてニアメ国立病院に赴任する。この時、妻の静子さんもニジェールに同行した。1982年のことである。
ニジェールの医療に関わるうちに、谷垣医師は地方住民への外科医療を充実させるために外科施設の増設が必要であると考えるようになる。そのためには援助漬けの無償の医療から脱却し、少額でも地域住民に治療費を払ってもらう医療制度を確立する必要があると訴えるようになっていった。谷垣医師は強い信念のもと、国土の中央のテッサワに自費でパイロットセンターを建設するに至る。1999年に妻の静子さんをテッサワの地で亡くし、2001年にはJICA派遣の任期が切れるが、テッサワにとどまり、自費で医療活動に従事し続けた。日本では、自費で医療活動を続ける谷垣医師への支援の輪が広がっていった。パイロットセンターには国内外から多くの人が担ぎ込まれ、手術を一日に2回こなす日々を過ごしていたという。2017年に亡くなるまで、精力的に地域医療に従事し続けた。谷垣医師に師事するニジェール人医師や看護師も多かった。
谷垣医師を知る人は、とても優しい人柄であるが、一度決めると決して曲げない頑固さがあったと語る。そのような人柄であったがゆえに、ニジェールの厳しい環境のなか、ニジェールの人びとを見捨てることなく一途に医療活動に従事し続けたのだろう。その谷垣医師を精神的に支え続けた静子夫人の妻としての強さも、本書を通じて感じることができる。
谷垣先生は京都で育ち、松本で学び、ニジェールに渡ることになった。一方、私は松本で生まれ育った後、京都で学び、ニジェールに関わるようになった。不思議に重なる縁から、谷垣先生の経験がまるで自分のことのように感じられた。しかし同時に、ここまで一途にニジェールの人びとのことを思い続けることができるだろうかと、谷垣先生の偉大さを痛感させられた。
本書は、アフリカの地で現地の人びととともに生き、現地の人びとのために尽くす日本人医師の姿を描き出している。アフリカの医療や援助について知りたい人がいれば一度手にとってみることをおすすめする。
書誌情報:
出版社:丸善出版
発売日:2022/5/20
単行本(ソフトカバー):265ページ
ISBN-13:978-4875398141