私の研究テーマのひとつは、「民族間関係」である。異なる民族同士が相手をどのようにみなしてどのように関わっているかについて、聞きとり調査や量的データの収集によって得られた情報をもとに考えてきた。その際の重要な手がかりのひとつに、異なる民族間の結婚(=通婚)がある。たとえば、ちがう民族とは決して結婚しない、結婚することはあるが否定的にとらえられている、とくに障壁なく結婚できる、推奨されている…というように、地域や民族によって通婚のあり方はさまざまであり、そこには民族同士の関係性がよくあらわれている。
私が調査しているのは中部アフリカのガボンという国で、調査地域にはバボンゴと呼ばれるピグミー系狩猟採集民の一集団と、マサンゴと呼ばれるバントゥー系農耕民の一集団が暮らしている。これまでの研究を通じて、バボンゴとマサンゴのあいだには通婚が多くみられ、他の地域のピグミーと農耕民とは異なっていることがわかってきた。しかしながら、結婚の例数や割合を数値で示してみたり、家系図をつくってみたりしても、かれらが、相手をどのようにみなしてどのように関わっているか、ということがわかった気にはなかなかなれなかった。そんなときにヒントを与えてくれたのが、あるお年寄りの「恋」のエピソードである。
ガンバは、調査村で最長老の70代のバボンゴ男性である。村には兄弟姉妹とその家族が暮らしているが、彼自身は結婚しておらず、こどももいない。もの静かでけっして活発に動きまわるタイプではないが、穏やかな笑みが印象的な好々爺である。親族と一緒に森や畑に出かけることはすくなく、たいていはひとりで行動している。いつのまにかいなくなったと思ってしばらく待っていると、ヤシ酒や木の実を手に、ひとりノロノロと歩いて村にもどってくる、ということが何度となくあった。ときどきなかなか戻ってこないことがあるが、そういうときには、フラっと隣村まで出かけているようだった。
現在のバボンゴの生活は農耕が中心であるが、ガンバが若いころには、狩猟採集を中心とした遊動的な生活を送っていた。そのため、マサンゴに獣肉や労働力を提供することによって農作物をえていた。ガンバにもそうしたマサンゴのパートナーがいて、頻繁に物の交換をおこなっていたという。20世紀なかばになると、定住政策などの影響で、バボンゴは村に定住するようになった。このころを境に、バボンゴとマサンゴの関係は変化していくのだが、ガンバとパトロンであるマサンゴ男性のあいだの関係は維持されていた。やがて、ガンバが60歳すぎくらいになるころ、パトロンであるマサンゴ男性は亡くなり、ガンバは、その妻をめとった。それがディクティだったのである。
ごく簡単にまとめると、とそれらしく書いてしまったが、表層的に述べる程度にしか情報が得られていないというのが正直なところであるし、かりにもっとくわしくインタビューをおこなったこところで、ふたりのあいだの長い歴史と複雑な感情をうまく描ける自信が私にはない。いったいガンバは、民族が異なり、パトロンの妻でもあるディクティに対して、どんな感情を抱きつづけてきたのだろうか。年老いるまで独身で暮らした末に、いまになってなぜ婚姻関係をむすぶにいたったのだろうか。もちろん、そこに「秘められた恋」だとか、「禁断の恋」といった言葉を安易に当てはめるのは正しくないだろう。しかし、こうした恋の物語に思いをはせることで、たんに婚姻の数や組み合わせのパターンだけを見ていたときにはみえなかった、ひとりひとりの顔が浮き彫りになってくる。通婚とは、文化社会的な条件によって制限されるものであるとともに、一方ではそうしたものにとらわれない個人同士の意思決定によるものである。経歴も立場も対照的にみえる二人を結びつけたのは、何だろうか。それを恋と呼ぶのはまちがいだろうか。ただフラリと隣村に行っただけだと思っていたガンバは、どん な思いで出かけ、何をしてきたのだろうか。畑仕事をしにきたといって調査村を訪れたディクティは、短いながらガンバとどんな時間をすごし、どんな会話を交わしたのだろうか。こうした疑問のひとつひとつに対する答えは、私にはまだえられていないし、いつになったらそれがえられるかもわからない。しかし、ひとりひとりの顔を思い浮かべ、物語に思いをはせながら、これからもかれらと関わっていきたいと思う。
最近になって、ついにガンバは隣村へと移り住み、ディクティたちと一緒に暮らすようになった。ディクティはますます明るくおしゃべりになったようにみえる。私に対するモノの要求がますますエスカレートしているのは、それがふたり分になったからかもしれない。ガンバは、移り住んだあともあいかわらずひとりで行動することが多く、たいていの時間は家の前に座ってのんびり過ごしている。もの静かで柔らかな物腰もほとんど変わっていないが、穏やかな笑みが以前にくらべてうれしそうにみえるのは、気のせいだろうか。