心優しき父(ガボン)

松浦 直毅

私が、中部アフリカのガボンでバボンゴと呼ばれるピグミー系狩猟採集民の調査をはじめてから12年が過ぎた。「年男」の年に初めての調査に行って以来、ガボンへの渡航回数は15回を数え、干支が一巡してまた「年男」の年をむかえた。そのあいだに私自身も公私でささやかな変化を経験してきたが、世代交代のサイクルの早い調査村の人びとのあいだには、大きな変化があった。こどもたちの成長は著しく、初めて会ったときに赤ん坊だった少年は、いまでは狩猟採集や畑仕事を担う立派な働き手になっており、当時の幼児たちはすっかり大人になって、すでに多くが結婚したりこどもを産んだりしている。森の奥にある村のまわりでも交通や通信インフラの整備が進み、資源開発や自然保護政策の影響が及んでおり、村人の生活や人間関係に良い意味でも悪い意味でもさまざまな変化をもたらしている。

これまでの研究で私は、居住地の移動や仕事、婚姻やこどもの養育など、どちらかといえば「若い世代」の動向に焦点をあて、先にあげたような外部世界の影響による社会変容や、変化に対する「若い世代」の人びとの積極的な対応を描くことに重きを置いていた。その一方で、静かに老境をむかえる人たちや、ゆっくりと変わらない時間を過ごしている人たちにはあまり注目してこなかった気がする。調査をはじめたころに「お年寄り」と呼べる年代だった人のなかには、すでに亡くなっている人もおり、そのころ壮年だった人たちが現在は老年期をむかえている。村長のパパ・ディピンゴは、ちょうど私の父と同じくらいの年齢であるが、調査をはじめたころ50代半ば(推定)だったのが、現在は「おじいちゃん」と呼べるような年齢になっている。

写真1. パパ・ディピンゴと妻(2008年撮影)

 

パパ・ディピンゴは、自分の父とおなじくらいの世代であるというだけでなく、私にとって文字どおり村でのお父さんのような存在であった。私が村に滞在するときは、いつも彼の家に間借りをし、食事や生活の面倒はすべて彼の家でみてもらってきた。決して多くを語るタイプではないのだが、説教じみていない彼の言葉には、聞く人をひきつけ、どこか納得させてしまうような力がある。世話焼きのタイプでもなければ、いつもそばにいてくれるような人でもないのだが、つねにさりげなく私のことを気にかけてくれていて、助けが必要なときにはいつも頼っていた気がする。森での仕事を好み、動植物に関する深い知識をもっている人でもある。

私が村を訪れるときには、朝に町を出て昼ころに到着することが多い。その場合、パパ・ディピンゴはたいてい村にはおらず、森に仕事に出かけている。村にいる人たちと一通りのあいさつをし、荷解きを済ませてしばらくおしゃべりをしていると、山刀を肩にのせ、手には何やら木の枝や植物をもったパパ・ディピンゴが、ふだんとあまり変わらないようすでゆっくりと歩いて帰ってくる。私の姿を目にとめるとわずかにほほえむが、叫んだり駆け寄ってきたりはしないので、それを見た私の方が駆け寄っていってあいさつを交わす。滞在を終えて私が村を去るときにも、彼は森に仕事に出かけていることが多い。出発前夜には翌日の出発のことを伝えてお土産を渡し、そのあとしばらくとりとめもない会話をするのだが、出発当日には、大げさに見送ったりすることもなく、これまたふだんと変わらないようすで森に出かけていく。彼が森から帰ってくるまで迎えの車がこなければ、別れのあいさつができるのだが、出かけているあいだに車がくれば、結局あいさつを交わすことなく、しばらくのあいだお別れすることになる。つきあいも長くなり、そっけないように見えてじつは心優しい彼の性格を私もわかっているので、最近ではこうした再会と離別の迎え方が、彼らしくて好ましいものに感じられる。

写真2. 森のキャンプにて(右がパパ・ディピンゴ、2010年撮影)

 

もちろんパパ・ディピンゴは、村長として村の人びとからも慕われている。いつもはとくに変わることのない「村のおじさん」のひとりにみえるのだが、村で問題が起こったり、重要なイベントがおこなわれたりするときには、村長として中心的な役割を果たす。地域でよく知られた「呪医」でもあり(参考:拙エッセイ「伝統医療を信じる人たち」)、薬用植物にかんする豊富な知識、魅力的な語り、すぐれた儀礼的な能力などを生かして、これまでに数多くの人に治療をほどこしてきた。成人儀礼や葬儀の場面でも中心となって活躍し、参加者をひっぱっていく。そのときの彼は、穏やかで物静かなふだんのようすからは一変して、力強く格好いい。その名はますますとどろいているようで、最近では、首都でおこなわれたサッカーの国際大会の閉会セレモニーに他の村人とともに招待されて、ガボンの伝統文化の象徴として歌と踊りを披露した。

いつまでも元気で変わらないようにみえるパパ・ディピンゴも、年齢を積み重ねてすこしずつ衰えも感じているようで、前回の調査の際には、「次に君が来るときは、俺はもう死んでいるだろうな」などと、冗談めかしながら話していた。もちろん私も、「その日」がかならずいつか来ることはわかっている。そのときには、目いっぱいの感謝を伝えなければならないと思っているわけだが、しかし今は、もうしばらくは変わらずに、やってくる私をいつものさりげない態度で迎えて欲しいと思っている。そして、同様の言葉は、パパ・ディピンゴと同じ世代で、私の娘にとってやさしいおじいちゃんである、古稀をむかえた父にもおくりたい。

 

参考

アフリカ便り—信じる「伝統医療を信じる人たち」