「ケンカ」しても良いかもしれない

山口亮太

「もう、俺は知らん!入ってこんといて!」

そう叫んで、僕は戸口に立っていたおじさんを家から追い出し、扉を閉じた。怒り慣れていないので、手が震えてうまく鍵をかけることが出来なかった。そばにいた若者に手伝ってもらってようやく戸締まりをし、まだ震える手でタバコに火をつけて、煙を吸い込んだ。おじさんは、外でまだぶつくさと何かを言っているが、僕は無視を決め込んだ。2013年の、コンゴ民主共和国での2回目のフィールド調査のときのことだった。当時は、言葉もそれほど不自由しなくなり、対象であるボンガンドの人びととはそれなりにうまく付き合えるようになっていたと思っていた。しかし、今から思い返すと、この一件は僕にとって、フィールドワークについて見つめ直すきっかけとなった出来事だった。

人類学的な住み込みで行うフィールドワークの場合、調査対象である人びととの人間関係は常に悩ましいものだと思う。毎日顔をつきあわせて共に生活する人びとと円滑な関係を築くことが出来れば、慣れない異国の地でのフィールドワークという状況からくるストレスも軽減されるだろうし、調査そのものもはかどるはずである。実際にはそれほど単純な問題ではないはずだが、少なくとも当時の僕はそれをフィールドワーカーの理想の姿とみなしていた。そして、円滑な人間関係のためには、できるだけケンカを避けなければならないとも感じていた。

しかし、人間関係は一筋縄ではいかない。例えば、ボンガンドの村での調査で一番困ったのは、訪問客への対応だった。僕は誰かの家に下宿するのではなく、調査滞在のためにたてられた一軒家に住んでおり、僕の様子を見に来る訪問客が早朝から夜に寝床に入るまで絶えなかったためである。そして訪問客たちは、それぞれに、酒はないのか、お茶はでないのか、タバコはないのか、何かくれないか…とねだるのである。この訪問客の多さとおねだりには、調査を始めてすぐの段階から辟易すると同時に、どうやって対応するのが良いのか、考えあぐねていた。

そこで僕は、ボンガンドの人びとが対人関係において、何を理想としているかという点に注目した。幸いなことに、僕にはジャン・マリーさんというお目付役がいた。彼は当時60歳近くになっていた男性で、80年代から日本人研究者の助手として人類学的な調査に関わってきており、慣れない人類学者がどういうものであるのか、何を必要としているのかをよく分かっていた。分からないことは何でも彼に聞いたし、彼の振る舞いからボンガンドの対人関係のイロハを学ぶことが出来た。

結果、わかったことは、家に来た人は客人としてきちんともてなす、という特別でも何でもないことであった。客人が来たら、よく来たねと挨拶を交わし、席に着くように勧める、何か飲むか聞く、タバコや酒が必要か聞く、どちらもやらない場合は紅茶やコーヒーが必要か確認する、砂糖やミルク、ハチミツは必要か確認し...というようなことを延々とやるのである。遠方から来た客に対しては、特に念入りにもてなされる。上記のように確認していっても相手の好みにヒットしない場合、「あなたが何を好むのか分からないから」と言って、さりげなく少額のお金を渡す場面も見たことがある。まだもてなし足りないとなれば、お土産にニワトリなどを持たせて帰すこともあった。こうした社交性が賞賛されるらしいということが徐々に分かっていった。

そこで、なけなしの社交性を振り絞って、僕も客をもてなすようにしてみた。来る人来る人にお茶を出し、タバコや酒を勧め、しばしの会話を楽しむ。そうする内に、同じ集落に住む男性に関しては、飲酒・喫煙の有無、飲み物の好み、砂糖やハチミツの量などがパッと分かるようになった。何をやっているのだろうという疑問はあったが、訪問客と話をする中で色々なことが学べることは確かであった。そのようにして、1ヶ月が過ぎた頃には、人びとの僕に対する興味も下火になり、それなりに落ち着いた調査生活を送れるようになっていた。

2回目の調査も、同様であった。そんな頃に、冒頭のおじさんの事件がおこったのである。おじさんは僕が住んでいた集落の人間で、ランガランガ(仮名)という。恐らく、2013年当時で40歳代後半から50歳代前半程度だったと思う。音楽的な素養があったようで、いつも自作のギターを持ち歩き、何かしらを歌っていた。また、数少ないトーキングドラムの叩き手であった。息子が二人いたが、妻とは別居しており、ときおり森の中を歩いて妻のいる隣の県まで通っていた。いつもほろ酔い状態で、何を言っているのかよく分からないことも多いのだが、時々、ハッとするような印象的なことを言った。僕のことを「リングチ(lingutsi)」と呼び出したのも彼であった。彼の説明では、リングチとは、ボンガンドの言葉で、落ち葉などが沈んでいるような水場のことをいうのだそうだ。僕の名前はヤマグチだが、彼らの言語感覚と発音では、「ヤ・マングチ」と切り分けて発音される。マングチとは、リングチの複数形である。彼がそう呼び出して以来、僕のことをリングチとかマングチという人が増えた。

脇道にそれてしまったが、ランガランガとは、彼の人となりが分かる程度には仲良くやっていた。酒を飲み過ぎると絡んでくるのが難点であったので、そうなる前にお開きにしてお暇してもらうのが彼と付き合うコツであった。ところが、冒頭の事件があった日は、僕の家にやって来た段階で彼は既に泥酔状態であった。もう夕暮れ時であったため、僕は酒を出して若い連中と談笑していた。ふらりと家に入ってきた彼にも、酒を出したしタバコも出した。ところが、そこから彼が僕や同席していた人たちに絡みだした。ろれつが回っていないので、何を言っているのかよく分からない。しかし、延々と何かを言っているので、これはもうダメだと、お開きにする流れになった。しかし、ランガランガは帰ろうとしない。酒をよこせ、タバコを吸わせろといって聞かないのである。冒頭のように怒鳴って彼を追い出すことになったのは、いい加減、頭にきたためであった。それでも居座ろうとするので、半ば叩き出すようにして、扉を閉めた。

実は、フィールドで大声で怒鳴ったのはこのときが初めてだった。上述のように、できるだけケンカを避けるようにして、フィールド生活を過ごしていたためである。そのため、バツも悪かったし、何より「やってしまった」という感覚があった。それと同時に、ランガランガのことがなかったとしても、遅かれ早かれ、こういう日が来ただろうなという気もした。僕は、調査地での人間関係が円滑でなくなることを恐れるあまり、「いい顔」をし過ぎていたのだ。僕自身は、元来、全く社交的ではないので、フィールドで求められる社交性に順応しようとするあまり、知らずの内にストレスが溜まっていたのだと思う。

翌日、ランガランガの家の前を通りかかると、家の中から呼びかけられた。彼は、今まで見たことがないくらいバツが悪そうな顔をしながら、「レモンをとってきたから、買ってくれないか?タバコを買いたいんだ」と言ってきた。彼の前には、カゴ一杯のレモンがあった。顔を見るなりタバコをくれと言ってこないあたり、昨日のことを気にしているらしいことが伝わってきた。僕は、言い値から大幅に値切って適正価格で購入し、その代わりにおまけとしてタバコを2本渡した。ランガランガは、照れくさそうに「ありがとう」と言い、僕はその場をあとにした。

こうして、ケンカをしたら仲直りをすればいい、というごく当たり前の人付き合いについて僕は学んだのだった。その後も、酔っ払ったランガランガとはたびたび衝突しているが、それで彼との関係が切れてしまうことはなかった。そして、この一件以来、僕は調査に行くたびに、しょっちゅう現地の人びととケンカや言い争いをするようになった。僕に理がない時には、いさめてくれる人びとにも恵まれた。若い連中は僕の家に入り浸ってタバコや酒をねだりがちであったが、「たまには俺にも何かくれや!」と文句を言うと、「確かに、もらいっぱなしはよくないね」と、自分がとってきた魚や食べ物を分けてくれるようになった。こうして、ケンカをくり返しながら、僕は彼らのことを知り、彼らは僕のことを知っていく。フィールドでの関係性は、徐々に双方向的なものになっていくのだと感じる。その分、僕に求められることもどんどんパーソナルなものになっていくのだが、(彼女に会いに行くから金をくれとか)、それがフィールドに長く関わるということなのだろう。