山口 亮太
コンゴ民主共和国の農耕民であるボンガンドという人びとの村に滞在していたときのことである。僕は、調査助手のジャンマリーさんに付き添ってもらって、道路沿いから少し藪の中に入ったところにある畑の広さを測りに行った。ちょうど畑の入り口にさしかかる頃に、僕のすぐ前を歩いていた彼は、手に持ったナタで地面の一部を指しながら、こう言った。
「ウンコや。ヤマグチ、気をつけて」
彼がナタの先で指し示している方に目をやると、確かに黒っぽい塊が落ちている。すでに乾燥していたため、僕一人だったら気がつかなかったことだろう。
ボンガンドの人びとは、熱帯林のただ中で生活しており、日々の生活の中に狩猟が根付いている(写真1)。彼らは、小さい頃から大人たちや年長の子どもたちについてまわって、動物の通り道や動物がいたという目印を見つけ出し、動物を追跡して獲るために必要な知識を体得していく。だから、森や藪の中に残った動物の痕跡を見つけるのが抜群にうまい。彼らについて森の中を歩くと、ここが動物の通り道だよと教えてくれることがあるのだが、どこが?と思うことがしばしばであった。
そんなわけで、このときも僕は、ジャンマリーさんが知らせてくれたこの黒い塊のことを、何かの動物の糞なのだと当然のように思った。それを見つけた場所は畑の入り口だったが、森の動物が畑に出てくるのは珍しいことではない。畑に森の動物がやってきて、農作物を食べてしまったという話もよく聞く。また、野生動物でなくても、村で家畜として飼育されているヤギやブタの可能性もある。家畜は、昼間は囲いから出して自由に歩かせるため、何かの拍子に村の外れの畑にまでやって来ることがあるかもしれない。そう思って、僕は「よく見つけたね、こんなの。何の動物やろう?」とジャンマリーさんに尋ねた。そうすると、彼は「動物と違うで。人間や。」と、心底嫌そうな顔で答えた。そして、この畑の持ち主の名前をあげながら、「こんなところでウンコしよって、ほんまにあいつはンドキ(Ndoki)やわ」とつぶやいた。
写真1.中心に細長く伸びているベージュの部分が集落。その周辺を取り囲む色の薄い緑の部分が畑で、その外側の色の濃い緑の部分は森。
ンドキとは、この地域の共通語であるリンガラ語で、妖術使いという意味である。彼らンドキは、不思議な力を持っていて、人を病気にしたり呪い殺してしまうというイメージが一般的であり、ボンガンドの人びとにとって恐ろしいと同時に忌まわしい存在である。でも、どうして畑の入り口で大便をすることが、妖術使いということになるんだろう?「ンドキ?なんで?」と聞き返す僕に対して、ジャンマリーさんは「こんな、人が通るところにウンコするやつは、ンドキや」と言って、この話は切り上げてしまった。
念のために書き記しておくと、現在のボンガンドの生活において、野外で小用を足すということはよくあることであるが、大きい方となると一般的ではない。それぞれの屋敷には間違いなくトイレが作られており、普通はそこで用を足す。トイレは、道路に面した庭側ではなく、道路からは見えない屋敷の裏手側に作られる(写真2)。家の裏手の藪を少し入ったところに隠すように作っている場合もあるし、ヤシの葉で簡単な屋根と壁を作ってある場合もある。僕の好みとしては、屋根と壁がある方が落ち着いて用が足せるのだが、藪の中にぽっかり空いた空き地で用を足すのも開放感があっていいという人もいる。
写真2.集落の屋敷。こちらは道路に面した表側で、この写真では見えない裏側にトイレは設置される。
水も電気もない地域なので、トイレは地面に穴を掘ったいわゆるボットン便所である。3メートルほど掘れば、臭いも上がってこず安心だと聞いたことがあるが、それだけの深さを掘るのは大変なので、浅いもので妥協することも多いようだ。穴の直径は1メートルもない程度であり、丸木を渡してその上に土を盛って足場とする。そのため、トイレを横から眺めると、土饅頭のようにも見える。ひょっとすると、雨水が流れ込みにくくする工夫なのかもしれない。この地域は砂が多い地質であるため、水はけはいい。しかし、雨季のスコールなどではそれ以上の勢いで雨が降るため、一面水浸しとなってしまい、ほんの少しの高低差で雨水は低きへ向かって流れてしまう。土を盛っておけば、いい防波堤になるだろう。トイレの中に溜まった汚物を汲み取ったり肥料にしたりすることはないため、利用するにつれて埋まっていき、満タン近くになると土で蓋をして、別の場所にトイレを掘ることになる。どれくらいの期間でトイレが満杯になるのかよくわからないが、屋敷の位置はほとんど変わらないはずなので、屋敷の裏はトイレ跡地だらけということになりそうである。
ただし、このようなトイレ事情はあくまで村落周辺の生活空間での話であり、森の中では別である。ボンガンドの人びとは、一年の内の数ヶ月間を森のキャンプで過ごすが、そこには簡単な小屋が作られているだけで、トイレが作られていることはまずない(写真3)。森のキャンプでは、小さい方も大きい方も野外で行うのが一般的である。ただし、大きい方をする際には、できるだけ人目につかないところ、という配慮が必要らしい。僕のような森の素人には、森の中などは人目につかないところだらけのように思える。ところが、いざ便意を催して、どこかしっくりくる場所はないかと探してみると、意外に下生えが少なくすっきりしていて、遠くまで見渡せることも多く、どこでやっても人目についてしまうのではないかという気がしてしまう。そうなると何やら落ち着かず、いつの間にか便意もおさまってしまい、そのまま、すごすごとキャンプまで戻ることになる。
写真3.森のキャンプ。中心に一軒の小屋がある。この写真のように、畑がひらかれている場合は、自給的に長期滞在が可能である。畑がない場合は、主食であるキャッサバを集落から運ばなければならない。
話を戻すと、森での生活では野外で排便することも一般的である。では、今回の一件があった畑はどうかというと、よっぽどのっぴきならない状況で切羽詰まっていたとすれば、畑から少し藪に入って用を足す、ということはあるかもしれない。しかし、畑は毎年森を切り開いて作り、親族同士で隣り合って作る場合が多いことが問題である(写真4)。つまり、畑までの道を親戚一同が共用するものなのである。そのため、畑の入り口というのは、非常に人目につく場所であり、用を足している最中に誰か通る可能性も高いのである。森のキャンプでの場合と同様、普通はそのような人目につく場所は避けるべきなのだ。
写真4.火入れ中の畑とその境界。写真の左側に畑を開いたため分かりにくくなっているが、手前中心から奥へ向かって畑の道が延びており、写真の真ん中あたりで右に曲がっている。
ジャンマリーさんの「人が通るところにウンコをする人間はンドキ」という発言は、このような、普通はやらないようなことをやったということから来ているのかもしれない。つまり、大便そのものというよりは、その場所で排便するという行為が異常であり、それが嫌悪され、ンドキ呼ばわりされるということである。
その後、調査を重ねるにつれ、他にも色々とンドキの話題を耳にする機会が増えた。その中で分かってきたのは、ンドキと大便の組み合わせは、セットになっているかのようにしょっちゅう話題に上がることである。例えば、食事の中に大便を入れるというのも、典型的なンドキの描写である。これなどは、異常な行為というよりは、明白に悪意を持った行為であり、大便そのものが他者を攻撃する武器として用いられているのである。この場合、もっと直接的に大便はンドキの攻撃を想起させる。
そう考えてみると、ジャンマリーさんが、畑の入り口に落ちていた黒い塊を見てとても嫌そうな顔をしたのは、単に汚いものを見たからというだけではなさそうである。さらに、後で知ったことだが、彼と畑の持ち主の一族の間には長年に渡るわだかまりがあった。ひょっとすると、黒い塊から、具体的なンドキの攻撃が頭をよぎったのかもしれない。
ヒトの大便が臭くて汚いものであると感じるのは、おそらく世界中の多くの地域で共通した感覚だろう。では、そのような不快さを感じる理由は何だろう?多くの日本人は、公衆衛生的な観点からそれを説明するかもしれない。ボンガンドの場合は、それがンドキの異常な行動や、自らへの攻撃を想起させるために、見るのも不快で忌まわしいのである。また、人糞を肥料として用いる地域では、ここで述べたこととは全く違った感覚があるだろう。大便に何を感じるか、それが何に由来しているのか、というのは実に奥が深いのである。