『ギニア湾の悪魔―キリスト教系新宗教をめぐる情動と憑依の民族誌』村津蘭=著

紹介:村津 蘭

「十六歳の少女が神を名乗っている。彼女に挑戦した偉大な呪術師たちは次々と死んでいる」。その話を聞いたのは、私がベナン南部の町の福祉センターで、ボランティアとして働きながら暮らしている時だった。私のフォン語の家庭教師をしていたロジェは、時に勉強よりも長くなる雑談の一つとしてその話をした。ロジェは少女が神であることには懐疑的だったが、彼女が何か非常な力を持っていることは疑っていないようだった。

その少女はパーフェット(完全)と名乗っている。最初、病気でバナメーという町のローマ・カトリック教会のエクソシスト(祓魔師)のもとに担ぎこまれたらしい。そこで悪魔祓いを受け、病気が治るとともに神になったということだった。神を名乗る不遜な少女に、呪術師たちが超常的な力で攻撃をしかけているが、次々と返り討ちにあっているらしかった。彼女が様々な奇跡を起こし病人を治しているため日増しに信者は増えている、とロジェは言う。

日常で見えている様相とは全く異なる闘いが、自分のいる場所と地続きのところで起きていることに、私は驚いた。そこには、いくつかの宗教をまたぐ広範囲な人々が関与しているらしかった。パーフェットとは一体どのような少女なのだろうか。どんな闘いが行われているのだろう。どんな人々がその教会に惹きつけられているのだろうか。(冒頭より抜粋)

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本の対象であるこの教会に興味を持ったのは、こういった素朴な疑問からでした。当時私はベナンに住んで1年以上たっていて、何となく人々の生活や雰囲気がわかるようになったと思っていました。それがこの話を聞いて、ああ人々のことを自分は全然わかっていないんだなと感じました。そしてもっと知りたいと。

上述した教会の主眼は「悪魔と闘う」ことにあるのですが、それはこの教会に限ったことではなく、1980年代以降、アフリカで急速に拡大したペンテコステ・カリスマ系と呼ばれる教会に共通する主張です。ですので、対象としては西アフリカ・ベナンの一の教会に焦点をあてていますが、それだけではなく近年のアフリカのキリスト教の動きについて理解を深めることを本では目指しています。

宗教の動きは、大きな時代の変動と深く結びついているために、多くの研究において宗教は政治・経済的な関係から論じられてきました。しかし、霊的な存在の影響が人々にとって現実的で具体的なものであるのであれば、同じ現実的で具体的な政治や経済の動きと関連しているのも当たり前のことともいえます。ですのでこの本では、そこを論じるよりも、じゃあ霊的なものがどのように現実的で具体的な存在になっているのか、というメカニズム自体に特に焦点をあてています。

超常的な存在が論じられる時によく立てられる問いは「彼らはなぜそれを信じているのか」ということです。しかし、「信じる」「信じない」という話にすると、人の心の向きだけの問題になってしまいます。そうした心理的な還元を避け、霊的存在も他の事物と同じように身体を基盤に現れる「もの(thing)」であるという起点から、その現れ方を捉えようとするのが本書の姿勢です。悪魔や神という存在が、身体感覚や感情といった情動を基盤にしてどのように現実の「もの」として現れるのかという過程を、憑依などの宗教的な実践に焦点をあてながら探究しました。

ちなみに、ここでいう「悪魔」というのはほとんど、妖術師や神々といった在来の霊的存在と同義です。キリスト教には様々な地域の霊的存在を「悪魔」とみなし取り込むことで発展してきた歴史がありますが、ギニア湾のペンテコステ・カリスマ系教会においての妖術師や神々は、「取り込まれた」と考えるには余りにも輪郭がはっきりしたものとして存在しています。そうした場所で、在来の超常的存在が「悪魔」として闘われる対象となることによって、人と人、人と霊といった関係がどのように変容したか。そういったことについても論じています。

この本は、学術的とされる記述・分析がメインになっていますが、そこから零れ落ちる、しかしフィールドの経験を描き出すためには不可欠であるイメージや感情の震えを帯びた言葉、映像を織り交ぜながら、マルチモーダルな民族誌を編むことを試みています。一見、ただ途方もない話でも、実は人々の生活や人生の切実な問題と深く絡まり合っている、そうしたフィールドのあり様を様々なレイヤーで伝えることができれば幸いです。

書誌情報

出版社 ‏ : ‎ 世界思想社 (2023/1/31)
発売日 ‏ : ‎ 2023/1/31
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 448ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4790717798
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4790717799

目次

──鳥になる──

序章❖霊の現れと情動
1 アフリカにおけるキリスト教の背景
2 霊的存在を意味づける
3 霊が生成するところへ

――雨の日の会話――

1章❖ベナンの宗教と霊的領域
1 調査地ベナン
2 ベナンの歴史と宗教
3 霊的な諸力
4 呪術と妖術

――丘に登る――

2章❖バナメー教会の神と悪魔の現れ
1 悪魔の現れ
2 神の現れ
3 「証言」という現れ

――退屈で重要な――

3章❖改宗の諸相
1 バナメー教会の信者たち
2 改宗の動機
3 「間」に生じる説得

――スパイと民族誌――

4章❖憑依による変容
1 デリヴァランスの概要
2 デリヴァランスの特性
3 憑依霊の正体と憑座

――声がつかむ――

5章❖憑依のエンスキルメント
1 憑依と身体
2 絡まり合いとしての霊の現れ
3 憑依される者のエンスキルメント
4 取り巻く者と霊のエンスキルメント

――送られる病い――

6章❖「妖術の病い」の治癒過程
1 病いの〈もの〉化
2 バナメー教会の治療の特徴

――トカゲの叫び――

終章❖呼応の中の霊、病い、民族誌


あとがき
参考文献
索引