未来の実業家たち(コンゴ民主共和国)

松浦 直毅

アフリカの真ん中に位置するコンゴ民主共和国は、広い国土と豊かな天然資源を誇り、かつては世界屈指の一次産品輸出国として経済発展を果たしていた。しかし、たびかさなる紛争によって経済が低迷し、とくに地方部では、紛争終結から10年以上が経過した現在でも交通網が荒廃したままであり、不安定な生活を送る人がすくなくない。

私が調査をしている北部の村落では、こうした困難な状況のなかで、なんと約300kmも離れた都市近辺まで森で野宿しながら片道1〜2週間かけて徒歩で出かけ、人びとが商業活動を営んでいる様子もみられる。一方で、自分たちの手で生活を立て直そうと住民組織を立ち上げ、地域開発のための農業や家畜飼育などの取り組みをはじめる人たちもいる。このような取り組みの中心となっているのは、若い世代の人々である。

私自身も、研究テーマとしてこうした動きに関心をもって調査をおこなうかたわらで、住民組織に対して個人的に少額の援助をしながら、一緒になって活動を進めている。そうすると、体力がありあまる鼻息の荒い若者たちが、「相談がある」といって、つぎからつぎへと私のもとにやってくる。組織のことや事業のことなどにかんする「まじめな相談」だけでなく、いきなり5,000ドルの支援を要求してきたり、住民組織をよそおって援助を引き出そうとしたりするような輩もいる。いや、それらも彼らにとっては、いたって「まじめな相談」なのである。だから私も真剣に向き合う。5,000ドルあったらどのように使うのか、どんな組織で何をしているのかなどについて根ほり葉ほり聞き、彼らが何を望み、自分たちの将来をどんなふうにしたいのかを延々と話し合う。ゴールのない不毛にも思える議論でぐったりと疲れきり、それでもなんだか心地よく満足して、最後はわずかばかりの金額の援助と今後の協力を約束して終わるのである。

翌年の調査で私がまた村を訪れると、彼らはそれまでの1年の「事業成果」を報告してくれる。商業活動をやりたいといってきたグループは、5,000円の援助をもとにタバコや石けんの商売をはじめた。2,000円の利益があったというが、よく聞いてみると、町に仕入れに行くのに3,000円かかったという。家畜飼育の援助をしたグループは、5,000円でブタ2頭を購入して4頭まで増やしたが、数か月後に病気ですべて死んでしまい、食べてしまったという。農業のグループは、陸稲の栽培をおこなって見事に数十kgの収穫を得たが、村に買い手がいないのと精米作業が大変なのとで、米は倉庫に保管したままになっているという。そうしてたっぷり1年分のできごとをひとしきり報告したあと、彼らは、それが当たり前かのように懲りもせずに次の計画をもってくるのである。

ブタの飼育

このような報告に対して、私ははじめ、計画の不備を指摘したり、商売や事業のあり方などについて偉そうに教え諭そうとしたりしていた。だが、つぎつぎに出てくる困難な状況についての説明をひとつずつ聞き、それでいて前しか向いていないようにもみえる彼らと話していると、このような試行錯誤の経験や、その過程を通じて築かれる彼ら同士、そして彼らと私との関係こそが、大切な「事業成果」なのではないかと思えてくる。もちろん、厳密に結果だけをみれば、事業としては失敗だったのかもしれない。しかし、こうした地道な取り組みこそが、村の将来につながる小さな一歩なのではないかと考えている。大規模だが一過性に終わってあとに何も残らない援助ではなく、微々たる規模であっても、できるかぎり彼らの目線に立ち、ずっと先まで寄りそって支援しつづけていくことが、自分にできる身の丈にあった貢献なのではないかと思う。村の発展への道は、遠くはなれた都市までの徒歩の道のりのように長くそして険しい。しかし、それでも彼らは、町までの気が遠くなるような距離を一歩一歩進んで踏破するかのように、村の将来に向かって前に進んでいるのではないかと思うのである。

じつは私は今、首都キンシャサでこの文章を書いており、明日、村に向けて出発するところである。村の「未来の実業家たち」は、2年ぶりに私が行くのを心待ちにしている(手ぐすねひいて待っている?)そうだ。望むところである。私も、今度はたっぷり2年分のできごとについて徹底的に話を聞き、次なる計画について彼らが音をあげるくらいまでとことん議論してきたいと思う。

話し合いのようす

 

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。