コンゴ民主共和国はリヴィングストンやスタンレーといった著名な探検家たちの冒険の舞台となった。マラリアやツェツェバエに阻まれ19世紀後半までコンゴは暗黒大陸の深奥部、まさに未踏の土地だった。探検家はこの空白地帯に果敢に挑戦した。ライフルで武装し猛獣たちと格闘しながらジャングルを突き進む。彼らは大密林を旅しながら、ときにその命までも代償にして見聞録を綴った。善きにつけ悪しきにつけ彼らの探険行によってアフリカは“発見”され、西欧世界の大きな関心を集めた。しかし、探検家がアフリカを“発見”するはるか以前にこの赤い大地を切り拓いた英雄たちがいたことはあまり知られていない。
私は、コンゴ民主共和国赤道州ルオー郡で、ボンガンドという民族集団の人類学的調査を行っている。人々がどのようにして生計を営んでいるのかを明らかにするため、彼らの狩猟キャンプを訪れたときのことだ。そこで私は、一人の英雄の物語に接することになった。
ボンガンドは、自分の集落とは別に狩猟をおこなうガンダというキャンプ地を設けており、ときに数週間以上にわたってそこで狩猟や漁撈を行う。ガンダの多くは網の目のように広がるコンゴ河の支流沿いに点在しており、丸木舟に乗りながら絡みつく蔦を山刀で切り払い、たびたび進路を塞ぐ倒木をのりこえて進んでいかなければならない。
強い感銘をうけた私は、集落で英雄の歌をねだるようになった。集落を歩きボイッターを伝える古老を尋ねる。村でもっとも詳しいというバファナさんにきくのが有望だということがわかった。家を訪問すると彼は僕の依頼を快く了承してくれた。焚火を囲む広場におかれた椅子代わりの丸太に腰をおろし、バファナじいさんは静かに語り始める。日本人がどうしてボイッターの話を聞きたがるのか気になったのだろう。何人かの子どもたちがその光景を遠目から眺めていた。
バファナじいさんはゆっくりと歌い始めた。彼はささやくような小さな声で始祖の系譜について語った。始祖の母親がさまざまな動物たちから結婚を求められる話、ボイッターが産道ではなくナイフで傷つけた太ももから誕生する話。英雄神話には擬人化された動物がたびたび登場しその筋には奇想天外だなと感じることもあったが、バファナじいさんの語りには何故か魅了された。何百回も歌ってきたのだろう。語るにつれ饒舌さを増していき、そこにはまるで日本の落語のような洗練されたリズムが生まれる。はじめ遠巻きに眺めていた子どもたちはじいさんの歌に引き寄せられていき、二つの話が終わる頃には一緒になって歌っていた。
しかし、多くの世代を経て引き継がれてきた英雄の歌は、現在消失の危機に瀕している。学校教育の普及に伴い家族が揃って狩猟キャンプに赴く機会は乏しくなり、長大な歌をそらんじる古老もその数を減らしている。大密林の内部には様々な情報や文明の利器が流れ込み、いまや奥地の農村にまでラジオの音が鳴り響くようになった。こうした社会の大きな変動に晒されることで、それまで中心的な娯楽の一つであったボイッターも近い将来、跡形なく消え去ってしまうのかもしれない。長い年月を経て引き継がれてきた英雄の歌にコンゴの未来を指し示す力は残っているのだろうか。「私は私の道を行く。行く手をふさぐ者はない。私は私の道を行く。」民族を鼓舞し導いてきた英雄の言葉が未来の子孫にまで受け継がれていくのだろうか。度重なる紛争によって疲弊しきったこの国の子どもたちにボイッターは今も語りかける。その声が次代に繋がっていくことを強く願っている。
参考
加納隆至, 加納典子(1987)『エーリアの火—アフリカの密林の不思議な民話』どうぶつ社