歌いだしたら止まらない(タンザニア)

藤本 麻里子

「トングウェ語の民謡をあんたに教えてやったら、いくらくれるんだい?」
「1曲いくらくれるかによって、何曲教えてやるか検討するよ。」

突然の訪問者に対し、ママ・マディナは強面でそう話す。私はマハレ山塊国立公園での野 生チンパンジー調査で出会ったトングウェの人々についてもっと知りたいと思い、国立公 園の周辺の村で調査を行っていた。タンザニアの国語であるスワヒリ語とは印象が大きく 異なるトングウェ語に魅せられた私は、村でトングウェの人々が伝承する民話や民謡を集 めていた。しかし、民族語で民謡を歌える人にはなかなか出会えずに困っていた。3つ目 に訪問した村でママ・マディナという名前を耳にした。誰か民謡をよく知っている人はい ないかと、人々に尋ねていた時、一人の男性が口にした名前だ。すると周囲の人も「ママ ・マディナならよく知っている」と口々に言いだす。

1つ目の村でも2つ目の村でも同じように「○○さんなら知っている」と教えられた人が 数名いたが、訪問してみたら空振りの連続だった。そこであまり期待せずにとりあえず確 認、というくらいのつもりで私はママ・マディナの家を訪れた。ママ・マディナは50代 半ばか60代前半くらいの年齢で、孫や近くに住む姉と日常的に行き来しながら一人で暮 らしていた。私は自己紹介をして訪問の目的を伝えた後、トングウェ語の民謡を知ってい たらいくつか教えてほしいとお願いした。そのときに、ママ・マディナが口にしたのが冒 頭の台詞だ。

アフリカの農村での調査が初めてだった私は、結果を急ぎ過ぎ、自分の要件を単刀直入に 伝えてしまった。誰でも予期せぬ外国人の訪問で、唐突なお願いをされたら戸惑うだろ う。そこに思い至らなかった私はフィールドノートを広げてペンを構えてママ・マディナ と対峙していた。しばらく値段交渉という楽しくない会話が続いたが、一緒にいたインフ ォーマントがなんとかママ・マディナの機嫌を取りながらあれこれ説得して、雑談をした りしながら場をつないだ。やがてママ・マディナは1曲目の民謡を歌いだした。歌い終わ るとママ・マディナはまた「いくらくれるのか?」というような値段交渉の言葉を口にす る。そんなやりとりが2,3回続いた。

ママ・マディナの歌声は魅力的なハスキーボイスだった。はっきりとしたメロディと感情 のこもった歌い方が印象的だった。この人は本物だぞ、と直感的に感じた。しばらくは歌 の意味や背景を尋ねることはせず、ママ・マディナが歌うのに任せていた。

だんだん調子が出てきたママ・マディナは歌いながら楽しくなってきたようで、それまで 腰かけていた椅子から立ち上がり、踊りながら歌いだした。トングウェの人々の民謡は太 鼓を用いた儀礼の際に歌われ、多くの人々が歌に合わせて踊る。歌いだすとその雰囲気を 思い出すのか、ママ・マディナの歌声はどんどん力強くなり、体を前後に揺らしながら楽 しく歌い続けた。結局、そんなこんなで40曲以上もの民謡を歌ってくれた。何曲歌った らいくらもらえる、という勘定はすっかり頭から消え去り、自らのハスキーボイスと久 々の民謡を歌うという行為に酔いしれている様子だった。

ICレコーダーでママ・マディナの歌声を録音していた私は、また別の日に1曲ずつ、歌 われる儀礼の種類や歌の意味、背景などを教わりに何度もママ・マディナを訪問した。繰 り返し訪問するうちに、いちいち今日はいくらくれるのか?とか1曲解説してやったらい くらくれるのか?などの値段交渉もしなくなり、楽しく会話をして、楽しく民謡を教えて もらって、帰る際にちょっとお礼をする、くらいの関係になった。ある日、隣村でトング ウェの伝統医による治療儀礼が行われるという情報が入ってきた。今では人々を先導して 民謡を歌える歌い手は少なくなり、もちろんママ・マディナの出番だ。当日、準備をして 治療儀礼が行われる村を訪れ、儀礼の開始を待った。ママ・マディナは、自ら太鼓のバチ を握り人々の輪の中心近くに陣取った。彼女の歌が、実際の儀礼の場でも欠かせないもの であることを目の当たりにした。それを見て、初めて私が訪問した際に、歌いだしたら止 まらなくなったママ・マディナの様子に納得できた。

写真1 儀礼で太鼓を叩き、歌を先導するママ・マディナ

 

元々野生チンパンジーという、言葉を話さない野生動物を対象に研究していた私は、村人 に何かを教えてもらう農村での調査のノウハウを全く持ち合わせてはいなかったが、この 時の体験が現在の農漁村でのフィールドワークに活かされている。5年後、また別の調査 でママ・マディナの住む村からはボートで8時間かかる村を訪れた。その際、親族の葬儀 でママ・マディナがこの村に来ているとの噂を聞きつけて会いに行った。久々の再会をマ マ・マディナはとっても喜んでくれた。そして私にこう言うのだった。

「あんたが初めて私のところに来たときと違って、今じゃもうすっかり年老いてしま って、声も出なくなってしまったよ。でも、またいつでもおいで。もうあんたは私の大 事な友達だから。」

声が出なくなってしまったというのが単なる冗談かどうかはわからないけれど、ママ・マ ディナに友達だと言ってもらえたことはとっても嬉しかった。5年前と比べて確かにち ょっと老けたなぁと感じたママ・マディナ。いつまで儀礼の中心で歌い続けられるだろう か、後継の歌い手は育っているのだろうか、そんなことをふと考えた再会だった。

写真2 5年ぶりに再会したママ・マディナ(一番左)