カメルーンの車いす事情(カメルーン)

戸田 美佳子

2006年10月,カメルーン東南部の熱帯林をはじめて訪れたとき,上腕の逞しい男性が見馴れないハンドルの付いた三輪車に乗り,子供たちと一緒に舗装されていない道路を一気に下っているところに出くわしました。あまりの速さに,それが障害者用の車いすだとわからないほどでした(写真1)。

写真1:三輪車型のハンドル付き手回し車いす。

この手回し車いすは,中部アフリカをはじめアフリカ各地で広く使用されています。カメルーンでは,村と村を繋ぐ路上,村人が集まるバンジョと呼ばれる集会所,町中の作業場,行商が集まる交差点(写真2),余暇を楽しむバー,さらには森のカカオ畑(写真3)のなかで,この手回しの車いすを日常的に見かけます。

写真2 : 町中のタバコ売り。ほろ酔い気分で自分のニワトリを操り満足の一枚。

写真3:カカオ畑へと車いすで収穫作業に訪れる。

わたしが調査をおこなったカメルーン共和国では,コンゴ共和国の技術者からこの車いすを製造する技術が伝えられ,首都ヤウンデのNGO団体が中心となり自国で製造しています(写真4と5)。現在,カメルーン政府による障害者政策の一貫として,この車いすの無料配布がおこなわれています。2006年からはじまった支援活動によって,2009年までに348台の手回し車いすが配布されました(日本でよく見かける折畳みの車いすはその約半分の191台)。

写真4 : 手回し車いすの製造に必要な三つの機械。左から,主な部品である鉄筋にカーブを付ける機械,鉄筋を切断する機械,手回し車いすの型。これらの機械も,全てヤウンデ市のなかで製造されている。

写真5:手回し車いすの製造のための三工程。

溶接を町中で頼んでしまえば,たった三つの機械で作れてしまうハンドル付きの車いす。坂道が多いカメルーンでは,かれらの移動手段のかなめです。ハンドルを回して,雑草が生い茂る畑のなかまで入っていきます。何年も一緒に歩きまわり,すっかり赤茶色になった車いすを,かれらは大事に自分で修理をして長く使います(写真6)。最近では,町中の自転車を使って,自分で一から作ってしまうつわものもいます(写真7)。

写真6 : 車いすのオイルを差す青年たち。村のなかでもメンテナンスを怠りません。

写真7 : 車いすもファッションの一部。ついに,自分で車いすを作ってしまった男性。

カメルーン東南部のある県で,ソーシャルワーカーがそこに暮らす254人の障害者に調査をおこなったところ,83人がこの車いすを必要としていました。現在のカメルーンの国家財源では,この県に配布される車いすは年間2台。最後の人は,40年も待たなければならない状況です。

カメルーン東南部の農村に暮らすある身体障害を抱えた男性は,車いすを手に入れるため,遠くの町に要望書を送り続け,5回目の要請書を出したとき,はじめてかれの元に車いすが届きました。その期間は,なんと15年。車いすと出会うまで,かれは家から出ることはなかったと語っています。今では,村の中心まで遊びに行くのは日常,5km先の商店までひとりで買い物に行っています。しかし,もし村に手紙を書ける人がいなかったら?手紙を届けてくれる車が村を通らなかったら?かれがすぐ諦めてしまっていたら?そして,この村の誰も車いすの存在を知らなかったら?たった一つでも違えば,かれの生活はどうなっていたのでしょうか。

人と人がごったがえす町中を手回し車いすが颯爽とすり抜けるさま,未舗装の赤茶けたガタガタ道を車いすに乗り自らの腕力で力強く坂を駆け抜ける姿はまさに精悍です。しかし,かれらの逞しい腕を見ていると,逞しくならざるをえない状況がここにはあるのだと訴えられているようです。

写真8 : 村と村を行き来する手回し車いす。

村の近くには,まだまだ同じ境遇の人はいます。まず,わたしたちは,何からはじめたらいいですか。

注)本文章は,以下の既発表の拙論の一部を再編したものである。
・「アフリカに「ケア」はあるか:カメルーン東南部熱帯林に生きる身体障害者の視点から」『アジア・アフリカ地域研究』10-2号2011年3月
・「カメルーン東南部熱帯林に生きる身体障害者のケアの諸相: wa kuma(「脚が動かない人」と呼ばれる人びと)の生業活動を通して」戸田美佳子・中村沙絵・吉村千恵編『2008年度大学院教育改革支援プログラム院生発案型共同報告書.ケアをめぐる実践』中西印刷株式会社出版部松香堂書店, pp1-18. 2009年