好きになれる?−森の民バカ・ピグミーとサッカー−

服部 志帆

バカ・ピグミーの村

「ウォー!」。
ビニール製の大きな荷物入れのなかからサッカーボールを取り出すと、村のあちこちで大きな歓声が上がる。少年たちは私のところへ駆け寄り、顔いっぱいに笑顔を広げてサッカーボールを受け取ると、その場でさっそく蹴り始める。空気がたっぷりと入ったボールは勢いよく跳ね上がり、少年たちは地面から突き出た切り株を飛び越え、空地に生えさかる草を踏みつけて我先にとボールを追いかける。大人の男たちも加わり、カメルーンの森の小さな村にたちまちボール遊びの輪が広がる。しかし、このボール遊びはサッカーへと続くわけではない。彼らはみなでボールを追いまわし、村のなかや広場を走りに走るだけである。これは、私が人類学の調査のためにここ9年間ほど通っているバカ・ピグミーの村を訪れた時の様子である。

サッカーはいまや世界的に人気のあるスポーツとなっている。足でボールを蹴る遊戯は、古代から世界各地でみられるが、現在決められているようなルールを持つサッカーが生まれたのは、それほど昔ではない。19世紀の半ば、イギリスのパブリックスクールで教育の一環として始まり、国内そしてヨーロッパに広がった。さらには植民地化の流れにのり世界中へ伝播。カメルーンにサッカーが伝わったのもこの時期であり、それ以来盛んに行われている。首都ヤウンデや大きな町には必ずサッカー場があり、プロに限らずさまざまな階層・年代の人が楽しんでいる。カメルーンはアフリカのなかでもとくにサッカー熱が高い国となっているのである。では、カメルーンに暮らすすべての人々が、サッカーに熱い思いを寄せているのであろうか?

バカ・ピグミーはカメルーン東南部で、動物や植物など森の恵みをたよりに暮らしている狩猟採集民である。首都から車で2日間、赤土のでこぼこ道を行くと、ようやく彼らの村に到着する。村に電気はなく、もちろんテレビもない。一台のラジオがあるが、故障が多く電池の入手も困難であることから、頻繁に使われてはいない。サッカー番組は、彼らにとってそれほどなじみのあるものではなさそうだ。しかし、彼ら自身、サッカーと完全に無縁な生活を送っているわけではない。近隣に暮らす農耕民コナベンベに誘われて、サッカーをやり始めたのである。

ここで森の住人たちについて少し説明したい。バカ・ピグミーとコナベンベはともに森に暮らす人々であるが、言語はもちろんのこと、生活スタイルや文化が大きく異なっている。村の外側の世界との接触度も異なっており、それぞれが得る情報量もずいぶん違う。コナベンベは漁労や農耕など現金収入源が充実しているため、町へ頻繁に出かけて行っては、流行の音楽や洋服、政治、サッカー事情などさまざまな情報を持ち帰ってくる。一方、バカ・ピグミーは現金収入をほとんど狩猟だけに頼っており、町までの旅費を稼ぐことが難しい。町へ出ることがほとんどなく、森や村の周辺で日々多くの時間を過ごしている。そのようなバカ・ピグミーにとって、コナベンベは外部世界のチャンネルのようなものであり、サッカーもまたコナベンベを通じて伝わった。

サッカーボールを持つバカ・ピグミーの子ども

2001年7月に村に大きな広場が作られ、サッカーのゲームが初めて行われた。バカ・ピグミーとコナベンベがそれぞれにチームを作り、赤土の手作り競技場を裸足で走り回った。結果はバカ・ピグミーの惨敗。勝負にすらなっていなかった。テレビでサッカーを見たことがなく町でサッカーを経験したこともないバカ・ピグミーである。コナベンベが説明するのを見よう見まねで覚えようとするが、なかなかうまくいかない。蹴りあげるボールは空高く舞い上がり、そのまま自分の上に落ちてくる。役割分担はさておき、みんなで一つのボールを追いかける。ボールを持ったら、誰にもパスせずひたすら一人でゴールを目指す。挙句の果ては、自分たちのゴールにシュート。バカ・ピグミーたちは、私に見せたことのないような神妙な顔つきでサッカーをしていたが、心の底から楽しんでいるようには見えなかった。余裕がなかったのかもしれない。それに対し、コナベンベはなかなか要領を得ないバカ・ピグミーにフラストレーションをためていたが、実に楽しそうに見えた。

初めてのサッカーに必死の面持ちだったバカ・ピグミーは、サッカーをどうとらえたのだろうか?サッカーは、近代に発明された勝敗を競うスポーツである。バカ・ピグミーの間では、人と競うという発想がなく、子供たちの遊びのなかにも勝ち負けのゲームはほとんどみあたらない。彼らの社会は、集団のなかにリーダーを作らない無頭制社会である。たとえば、狩猟で手柄をあげたとしても、あげた人が表立って称賛を浴びたり、自らの手柄を自慢することはない。逆に、なんら貢献をしなくとも責められることはないし、肩身の狭い思いをすることはない。食料はどれだけ取れようとも取れなくても集団のなかで分配されるし、生活用品の貸し借りは日常的に行われ、物の独占が避けられている。平等への志向が強く、人々は生活のいたる場面で不平等が起こらないように気を配っているのである。サッカーにある勝ち負けの論理は、一見、バカ・ピグミーの社会や文化に相容れないように思えてしまう。

バカ・ピグミーの心中をのぞきみるのは困難であるが、ただ一つ言えることがある。バカ・ピグミーは、転がるボールを追いかけることに夢中であるということである。ルールや勝ち負けはさておき、バカ・ピグミーはボール遊びが大好きだ。私がお土産にサッカーボールを持って村に現れると、はしゃぎにはしゃいでボール遊びに興じる。ポコンポコンとボールを蹴りあげ、一つのボールをみなで追いかける。ときに、日が沈み森に囲まれた小さな村に月が顔を出しても、ボールをもてあそんでいることがある。サッカーボールは空気が入っていてよく跳ねるため、ボール遊びに拍車をかけるようであるが、サッカーボールが村にくる以前から、彼らは植物製のボールで遊んでいたようだ。バナナの葉を丸めたものの上にクズウコンの茎からとった紐を巻きつけてボールを作り、これを蹴って村を走り回るのである。サッカーが発明されるよりずいぶん前、ボールを足で蹴るという遊戯は世界各地で見られたというが、カメルーンの森でバカ・ピグミーが行ってきたボール蹴りも含めて、ボール遊びは人間にとって普遍的な営みの一つなのかもしれない。

植物製の手作りボール

中学生のころ、授業で私は女子サッカーをやったことがあるが、ボールを追いかけるのはそれだけで本当に楽しかった。ボールにのめりこんでいくうちに、頭のなかが溶け出して、夢見心地になる。思考を超えて感覚や本能の世界に入り込むような気がした。我が家ではこれまでに犬や猫を飼ってきたが、彼らはともにボール遊びが好きである。動くものを追いかけるのは人間だけに限らない本能のようだ。バカ・ピグミーがサッカーというゲームをどのくらい楽しんでいるのか、また受け入れているのかわからないが、ボールを追いかけることそのものに大きな興奮を感じていることだけは間違いないような気がする。彼らはこの本能的な興奮に誘われて、サッカーに足を踏み入れたのではないだろうか。しかし問題はこの先である。彼らは、興奮の先にある勝ち負けの世界にどのように対応していくのだろうか。

2010年のワールドカップ開催を目前にひかえ、アフリカの人々の間ではサッカーへの関心がますます大きく膨らんでいる。おそらくカメルーンの森では、コナベンベがワールドカップについて声高に語り、いつもに増して力いっぱいサッカーボールを蹴っているだろう。いたるところでサッカー機運が高まりつつあるなか、今後バカ・ピグミーは、コナベンベや世界各地のサッカー愛好者たちのようにサッカーを好きになっていくのだろうか。これは、アフリカの森の奥深くに暮らす森の民バカ・ピグミーに、サッカーボールといっしょに投げられた近代からの問いである。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。