市場で育つ(カメルーン)

塩谷 暁代

中部アフリカに位置するカメルーン共和国。その首都ヤウンデの「台所」である市場は、今日も賑やかだ。わたしのフィールドは、村ではなく、畑でもなく、都市の市場である。この国は豊かだ、と心から思うのは、市場に溢れんばかりに農作物が広がり、そこで生き生きと働く女性たちの姿を見る時だ。

朝、市場に到着すると必ず目にするのは、女性商人同士が人目を憚ることなく大声でケンカする姿である。商品の仕入れをめぐって、あるいは、売り場のテリトリーをめぐって、激しく言い合いをした後、最後にはそれを笑い飛ばし、双方が自分の売り場におさまっていく。商品である農作物は、「アフリカの縮図」とよばれるカメルーンの多様な風土により、高原野菜から熱帯性の根茎類にいたるまで、多種多様である。

そんな市場には、商人に連れられた赤ちゃんや子ども達が、そこかしこで遊んでいる。まだおっぱいを飲む赤ん坊やよちよち歩きはじめた小さな子(ときどき、くず野菜の散らばった地面をハイハイしていてびっくりする)、午後になれば学校帰りの子ども達が集まってくる。みな、母あるいは祖母である女性商人の売り場を基点としながら、それぞれの発育にあわせて「自由気ままに」、そこに居る。

あるとき気づいたのは、騒々しい市場のなかにあって、赤ちゃんの、子どもの「泣き声」がまったく聞かれない、ということだ。赤ちゃんは誰かの腕に抱かれ、あるいは、売り場の下にある貯蔵庫や陳列台の上でスヤスヤ眠っている。歩きはじめたばかりの子どもが危ないことをしそうになると、誰かが「危ないから止めなさい」と止め、学齢期の子ども達は売り場のあちこちを走ったり、じゃれあったりしながら笑いあっている。その雰囲気は、安心感そのものであり、誰が誰の子どもであるという認識を越えて、市場全体がそこに育つ子どもの姿を静かに見守っている感じなのだ。

市場ではもめ事が絶えない。商人同士のもめ事がこじれたとき、「市場の母」と呼ばれるまとめ役の元に解決策を求めてみなが集まる。ある時、若い男女の商人が恋愛沙汰のもめ事を起こした。ふたりは「市場の母」の元に呼ばれた。年配の古株商人たちに囲まれた若いふたりは、もめ事の経緯を説明するよう求められた。ふたりの説明に対し、まず古株商人がひとりひとり意見を述べ、最後に「市場の母」が言った。「色恋沙汰に他人が口を出す必要はない、と人は言うかもしれない。しかし、わたし達は、あなた方ふたりの母であり、父である。この市場で働く商人はみな、家族と同じ。その家族が過ちを犯したとき、それを正すのがわたし達の務めだ。たとえ結婚していないとしても、男女の関係において双方が誠実であるというのは大切なことだと教える必要があるのだ」と。

件の男性商人は、膝まづいて許しを乞うた。女性商人は、「そんなことはナンセンスだ」と反発した。結果、女性商人は市場を追われ、男性商人は市場に残った。わたしはふだんの市場とは全く異なる厳粛な空気に緊張し、その「裁き」の厳しさに驚いた。緊張のあまり、質問することも憚られた。それを察してか、「市場の母」はわたしに言った。「わたし達は、(男性商人が)学校から逃げ出してここで働き始めたずっと小さい時から彼を知っている。彼はわたし達にとって子どもも同然」。同時に、彼女は言った。「市場の秩序を守ることが大切なのだ」と。

市場では、14,5歳の少年が働く姿をよく目にする。古株商人であるパパ・マルセルが少年に声をかける。「ちゃんと稼げよ」と。そしてわたしに振り返り、「彼はね、学校が嫌いで逃げてきちゃったんだ。勉強が好きではないんだよ。それで市場で働いている」。パパ・マルセルの孫なの?「あはは、ここにいる子たちはみんな僕の子どもであり、孫みたいなものだよ」。

徴税人のジョジョは、毎日、市場の売り場を歩き回り、商人達から営業税を集める。怒鳴ったり、なだめたり、冗談を言いながら、商人の手から金を受け取るまで何周もするのだ。「今日はまだ何も売れていないから払えないわよ!」「昨日は払ったでしょ、今日は無理なのよ!」と商人たちはなかなか税金を払わない。「今日こそは払ってもらうからな!なんてったって俺はあんたの息子なんだから。俺を困らせないでくれよ!」とジョジョも怒鳴り返し、その様子に笑顔になった女性商人から税金を受け取る。

ジョジョとともに市場をグルグル周るうちに、彼が税金をとらない商人がいることに気づいた。「あの女性はもう年とって疲れているだろ、商品だってあれっぽっちだ。あっちの女性はこの間子どもを産んだばかりだ。それからトマトを売っているあの商人は子どもと孫を一人で育てているんだ…」とジョジョがわたしに耳打ちした。「毎日一緒に市場で働いていればわかることだよ。それに俺は小さい時から市場で育ったんだ。商人はみんな俺の母親みたいなもんだよ」。

2月11日は、50回目の「若者デー」だった。ポール・ビヤ大統領は、その日を祝したスピーチのなかで、現代カメルーンの若者たちを「アンドロイド世代」と称した。拡大しつつあるデジタル市場を担い、活躍するのはこれからの若者たちだ、という期待がそこにある。農業分野だけでなく商業においても若者たちの活躍が今後の国を支える、という政府の期待とは裏腹に、若者たちは「学校教育を終えたところで仕事がない」と嘆く。

わたしのフィールドである市場の近くに大型ショッピングモールが完成したのは2011年。当時の新聞は、市場で商売をする若い商人を優先的に誘致すると発表した。2016年になった今でも、ショッピングモールの店舗のほとんどは閉鎖したままだ。大通りに店舗が整列するショッピングモールは、整備された「商業空間」そのものである。わたしの知る市場の姿は、雑多で、騒々しく、おとなも子どもも男も女も混ざり合い、関わり合い、ぶつかったり笑ったりしながら日々を送る「生活空間」そのものなのだ、と、ショッピングモールのたたずまいを見るたびにおもう。このショッピングモールが賑わう日は、まだまだずっと先かもしれない。そうでありますように、と。