ウェディングストーリー・イン・バレンタイン(ケニア)

目黒 紀夫

真っ赤なカーネーションが目をひく露店。着飾った人びとが、カーネーションの花束やメッセージカードなどを見ている。2016年2月14日、日曜日。半年ぶりにおとずれたケニアの首都ナイロビで、僕が10年来のつきあいのマサイの友人ジェレミアと再会したのは、バレンタインの日曜日だった。

日曜日のナイロビ中心街
 

キリスト教徒が多いナイロビでは、日曜日には多くの人がきれいに着飾って、教会の礼拝に出かけていく。午後には礼拝帰りの人たちを通りで見かけるようになるけれど、平日のようなビジネスの喧騒もなければ、車の交通量も少ない街を、はなやかな装いの人びとがおしゃべりをしながら歩いていく。そんな日曜日の雰囲気を楽しみながら歩いていた僕は、その日がバレンタインだとはしばらく気がつかなかった。と、横を通りすぎる子どもが「バレンタインだね」と口にしているのが聞こえた。そうか、今日はバレンタインなんだ。ジェレミアによれば、10年ぐらいまえからケニアでもバレンタイン・デーが祝われるようになったという。

バレンタインの贈り物を売っているナイロビの露天
 

ジェレミアとバレンタインの日に会う約束をしたのは、たまたまだった。そして、再会するまでの半年のあいだに就職が決まり、恋人との結婚を考えるようになっていたジェレミアは、その日、僕に婚約者を紹介するつもりだった。彼女が来るのを喫茶店で待ちながら、僕とジェレミアはそれぞれの国や社会における恋愛や結婚について語りあった。

ジェレミア・ラライト、28歳。日本であればそれほど違和感をもたれないかもしれないけれど、自分の結婚はすごくおそいものだと彼はいう。なにしろ、彼の友人の大半はすでに結婚していて、子どもも授かっているというのだ。ただ、ジェレミアの結婚が遅いのには理由があった。彼は幼いころに父親を亡くしていて、父親がわりに母親を助け、弟や妹の学費、家族の生活費を工面しなければならなかったのだ。彼が恋人との結婚を決意したのも、給料が高いうえに雇用が安定している公務員に就職が決まり、母親や弟、妹を支援しながらでも自分の家庭を築くことができると思えるようになったからだった。ジェレミアは国際NGOから奨学金をもらい、ナイロビの大学にも通っていた。そのうえさらに公務員として就職するなんて、彼の地元ではかなりのサクセスストリーだ。しかし、そのかげには口に出さないだけで、彼なりの努力や苦悩があったのだと思う。

ジェレミア(中心)と婚約者のアグネス(左)、ジェレミアの姉でありアグネスとおなじアパートメントに暮らしているエヴァリン(右)
 

婚約者のアグネスはジェレミアと同じ地域の出身のマサイだ。ふたりはこれからおたがいの両親や家族にあいさつをして、2017年の4月か12月に結婚式を開く予定だ。なぜ、4月か12月なのか? それは雨季だからだ。牧畜民のマサイは雨がふらない乾季になると、家畜といっしょに水や牧草をもとめて集落から遠くにまで出かけていく。それにたいして、雨季なら集落の近くで水も牧草も手に入るから、遠くまで行かなくていいし家畜の世話もかんたんだ。だから、多くの人に来てもらうため、マサイは雨季に結婚式を開くのだという。

結婚式でふたりは、ビーズで飾ったマサイ流の盛装をするという。またマサイの伝統として、結婚式のあとの宴ではウシをつぶして来客に肉をふるまうし、婚資としてジェレミアはアグネスの家族にウシを贈るという(それが何頭になるのかはこれからの交渉しだいだ)。そのいっぽうで、敬虔なキリスト教徒でもあるふたりは、結婚式は教会で開き、おたがいのイニシャルを彫った結婚指輪を交換するともいう。キリスト教の様式とマサイなりの作法とがまじったこうした結婚式は、今日ではとくにめずらしいものではないという。

以前に参加した結婚式におけるマサイの女性の「盛装」
 

僕とジェレミアはまた、恋愛や結婚をめぐる日本とケニアのちがいについても話をした。そのなかで僕がおどろいたのは、彼の歳の差婚への反応だった。ジェレミアは婚約者のアグネスより7歳年上だ。それを聞いた僕は、「ケニアでは年上の女性と年下の女性とで、どっちのほうが男性に好まれるとかあるの?」と質問した。ジェレミアは困惑した表情を見せた。質問の趣旨が伝わらなかったのかと思い、説明をしなおした。すると、「年上(の女性と結婚する)なんてありえない!」といわれた。僕が「なぜ?」と聞いても、「わからない」「そんなことはありえない」というだけだ。いつも論理的な説明をこころがけている彼だけれども、このときはまったくもって説明できないでいた。

いくつか理由を考えることはできる。たとえば、かつてマサイ社会では、女性は成人すればすぐに結婚するものだった。それにくらべて、男性が結婚できるようになるのは、成人してから15年ほどあとのことだった。こうした慣習はジェレミアの両親の世代にはつよく残っていたので、その世代の夫婦で女性が年上の例は「ありえない」ものだといえる。あるいは、彼が想定していた「歳の差」というのは、2歳とか3歳の差ではなく、これまでのマサイ社会でよく見られたような10歳とか20歳、あるいはそれ以上の年齢の差のことだったのかもしれない。

理由はどうあれ、どうやらジェレミアのなかにも、マサイとしての伝統や慣習へのこだわりが、本人も気づかないところでまだまだ根強くあるのかもしれない。はたして、そんな彼とアグネスとは、どんな家庭を築いていくのだろうか? どういうかたちであれ、ふたりにはぜひとも幸せになってほしい。そんな願いもこめて、喫茶店を出たあと、バレンタイン・プレゼントとして写真立てを贈った。

プレゼントした写真立てを手にカメラに構える三人、中央でかまえるのは……
 

ところで、そうしてプレゼントを選ぶときも、そのあとに記念写真を撮るときも、この日アグネスと一緒に来ていたジェレミアの姉のエヴァリンが、その場をとりしきっていた。一家の主となるべき男性であっても年上の女性に圧倒されることがあるのは、どうやらマサイも日本も変わらないようだ。日本では「かかあ天下」や「姉さん女房」あるいは「恐妻家」といった表現があるけれど、はたしてマサイ社会にもそういう関係はみられるのだろうか? おたがいに年をとるなかで、それまで話したこともないような話題を議論するようになることがある。これをきっかけとして、マサイ社会における結婚や夫婦についてさらに調べていきたいと思う。