ワールドカップ開催国の隣で:ブッシュマンたちのサッカー

丸山淳子

「ねぇ、このスカートおかしくない?」「ちょっと、そのヘア・クリーム、私にも貸してよ!」「こっちのTシャツがいい?それとも、あっちの赤い方がいいかな?」誘われて、薄暗い小屋のなかに入ると、喧しい声が耳に飛び込んできた。甘ったるいボディ・ローションの香りが立ちこめるなか、数人の女の子たちが、ひとつしかない小さな鏡をかわるがわるにのぞき込み、数少ない洋服をとっかえひっかえしている。傍らには、最先端のファッション誌の切り抜きが並んでいた。この国よりも、もっとずっと都会的な隣国、南アフリカで発行されたものだ。「あら?その服で行くつもり?」ぼんやりつったっていた私の色あせたズボンにも非難の目が向いた。「あのスカートにきがえてらっしゃいよ。」「急いでね、早くしないと、はじまっちゃうから!」

昼間から互いに髪を編み込み、おしゃれの準備がはじめる女の子たち。

大騒ぎした挙げ句、ようやく全員のおしゃれが決まり、いざ出陣。向かう先は村はずれのサッカー場だ。すでに、ずいぶんたくさんの人々が集まっていて、賑やかな空気があたりに満ちていた。同じように着飾った女の子たちのグループが、あちこちに固まって、くすくす笑っている。赤ちゃんを連れた若いママたちの横では、おばあちゃんたちが嬉しそうに、小さな子どもたちをからかっているのが見える。向こうでは、年配のおじさんたちが集まって、議論をたたかわせているようだ。ときどき、演説調の大きな声がこちらまで響いてくる。日中はギラギラと照りつけていた太陽も西に傾き始め、通り抜ける風も、ようやく涼しくなってきた。

やがて、待ちわびていた人々の視線が一気に集まる。キックオフ。笛の音が響き渡った。白と緑、それぞれのユニフォームを身につけた青年たちが、ボールを追い始める。この集落には、20歳前後の青年たちから成る3つのサッカーチームがあり、数日ごとに対戦している。彼らの試合は、ここに住む老若男女問わず、最大の楽しみのひとつでもある。とりわけ若い女の子たちにとって、この試合は、大切なイベントだ。お目当ての男の子の勇姿を見ようと、そして試合のあとの時間を彼らと一緒に過ごそうと、彼女たちは精一杯のおしゃれをし、サッカー場に向かう。

ユニフォームもボールも本格的だ。

こんなふうに、サッカーは今や、ここに住む人々の暮らしの一部としてとけ込んでいる。しかし彼らのあいだで、こんなにもサッカーが盛んになったのは、ここ十数年のことだ。わずか三十年ほど前、この人々は、ボツワナの中央カラハリ砂漠で狩猟や採集をしながら生活をしていた。ブッシュマンの名で知られる彼らは、原野に分散し、数十人で小さな集団をつくって、移動生活をおくっていたのである。ところが、今日では、彼らの故郷の多くが自然保護区や商業用牧場となり、立ち入ることも、自由に移動することも望めない。古くは、南アフリカ、ボツワナ、ナミビアなど南部アフリカ一帯で生活していたブッシュマンだが、度重なる異民族の到来を経て、彼らが自由に生活できる土地は、どんどん限られてきた。そして今、中央カラハリのブッシュマンは、その最後の限られた土地からも追われ始めたのである。

広大なカラハリ砂漠に代わって、彼らの新しい住みかとなったのが、政府の設けた集落だった。それぞれの集落には、数百人、ときには数千人のブッシュマンが集まって定住的な生活を始めた。かつて経験したことのない集住状況に直面し、住民のあいだでは不和や問題が表面化するようになった。そんななか、若者たちが、同世代がたくさん集まる集落に積極的な楽しみをみつけようと、サッカーを始めたのである。新しい集落では、雑誌やテレビを通じて、南アフリカのプロ・サッカーの試合や選手の様子を知ることも多くなった。そのプレイに憧れ、彼らはボールを追い続け、そして自分たちのチームを結成するまでなった。最近では、NGOの支援をうけてサッカーボールやユニフォームを得ることもでき、近隣の集落とも対抗試合を始めている。

サッカー選手の登場を、いつか自分たちも、と見上げる少年たち。

突如、周りの観客が一斉に歓声をあげ、立ち上がった。ボールが高く弧を描いて、ゴールに向かったのだ。私たちのそばで、興奮した子どもたちが金切り声をあげた。「ゴール!」それを合図に、子どもも大人も、そしておじいちゃんもおばあちゃんも、いっせいにフィールドに飛び込んだ。試合は中断し、選手も観客もいっしょになって喜び合う。その中心にいるのは、南アフリカのサッカー選手をまねて勝利のポーズを決める青年たち。そしてひときわ高い歌声を響かせるのは、南アフリカのモデルに似せたファッションに身を包んだ女の子たちだ。カラハリの片隅につくられた集落で、ブッシュマンの若者たちは、サッカーとファッションをとおして、新しい時代を生き、そして隣の経済大国、南アフリカに憧れる。

その南アフリカでは今年、アフリカ大陸初のワールドカップが開催される。各地で、立派なサッカー・スタジアムが急ピッチで建設されているという。それは、南アフリカが、アフリカのなかでも、断突の経済力を誇ることを、周辺国に見せつけるかのようでもある。そのスタジアムに、ブッシュマンの若者たちが足を踏み入れることは、おそらくない。南アフリカまでの旅費も観戦代も、彼らが工面できる額をはるかにこえているのだ。隣国でワールドカップが開催中であっても、彼らがサッカーを楽しむのは、手作りの木製のゴールに、カラハリの砂が舞い上がる、このサッカー場になるだろう。南アフリカのスタジアムとは比べものにならないほど簡素なサッカー場は、それでも、別々の地域から集まってきた住民どうしの大切な社交の場として、そして若者たちの友情と、ときに愛が生まれ、育まれる場として、重要な役割を果たしつつある。

試合終了と同時に、少女たちの歌声は厚みを増し、やがて古くから伝わる伝統的なダンスがそれに加わる。そのなかからひとりの少女が私に駆け寄り、耳元で恥ずかしそうにささやいた。「あの人がゴールを決めたときの写真、あとでちゃんと私にちょうだいね。」たしかに、原野で鍛えられたすらっとした足で、ボールを蹴り込む彼らの姿は、南アフリカの気鋭の選手に負けないくらいに、かっこいい。そして、軽やかなステップを踏み、躍りの輪に戻っていく少女の姿もまた、小屋のなかでみたファッション誌のモデルに劣らず、美しい。夕方のサッカー場に集うブッシュマンの若者たちは、隣国への憧れを抱きながらも、自分たち自身のゴールを求め、ボールを蹴り、その行く末に目をこらしている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。