書くことと書かないこと (ボツワナ)

丸山 淳子

緑の小さなノートとペン。ブッシュマンたちと過ごすあいだ、私はこの2つを手放すことはない。日々、直面すること、聞かせてもらった話を記すことは、調査生活の基本といってもいい。そうでもしなければ、私には、あの豊穣な世界を事細かに覚えておくことなんて、とてもできない。

だけど、ブッシュマンの友人たちは胸を張る。「俺たちは、書かなくったって、ぜんぶ、頭のなかに置いておけるんだ」。誰と誰がどんな関係にあるのか、あのときに何があったのか、そしてそのあとどうなったのか、その木は何という名前で、どんなところに生えているのか、どの季節にどこに行けば木の実が手にはいるのか。たしかに、私のペンが追いつかないほどのたくさんの知識や記憶が、彼らの頭のなかにはぎゅっと詰まっている。そんな彼らからすれば、私はひどく物覚えが悪い。

南部アフリカ、カラハリ砂漠に暮らす狩猟採集民として知られるブッシュマンは、文字を持たない。彼らが話すのは、クリックとよばれる舌打ち音を使い、複雑な音韻体系を持つとても美しい言葉だ。最近になってNGOや教会が中心になって、文字化とその普及が進められつつあるが、この複雑な音をすべて記し、誰にでも使える実用性の高い表記の方法がつくりだされ、広まるにはまだ時間がかかりそうだ。それよりも先に、教育現場では、この国の国語であるツワナ語や英語で書くことが教えられている。

今日、文字が使えることは、情報にアクセスし、コミュニケーションをするためのごくごく基本的なツールだと考えられている。だからこそ識字率の低さは、多くの場合、改善すべき「問題」として認識される。私がお世話になっている家の父さんは読み書きなどまったくできないけれど、最近の世の中がそんなふうにまわっていることはよく知っている。

父さんは、あるとき、学校に通う娘の背中を見ながら、ぽつんといった。「あの子は、学校に行って書くことを習っているんだ。これからは、書けないと、仕事もないからな。そうだ、いつかおまえが日本に帰っても、あの子が手紙を書いてくれるぞ。元気ですか?ってな。俺たちはすごく遠くで離れていても、そうやって挨拶し合うんだ。それってよくないか?」だけど、そばにいた母さんが、あっさりと答えた。「なに言ってるの?この子はまたちゃんと訪ねて来るんだから。会って、元気かって聞けばいいのよ。そうでしょ?」

母さんの言うとおり、私は、その後、何度もカラハリに通うようになった。だけど、通えば、通うほど、私は彼らをあきれさせるばかりだ。「いいかい?この話は、君があの大きな木の近くに住んでいた年に、その木の下で、君に話したんだよ。で、君はそれをその緑のノートに書いたんだ。で、今、君はそれをどこに書いたかも思い出せない。まったく君は、書いた端から、忘れてっちゃうのかい?」ひとしきり私を笑ったあとで、彼らはまた最初から話してくれる。暑い日差しのなかで、たき火を囲んで、雨降りの日の小屋のなかで、たくさんの物語が、繰り返し繰り返し、語られる。彼らの包容力に、忘れっぽい私はどっぷり甘えて過ごしてきた。

そんな私は、父さんたちのように、書き留めたりしないでも出来事を鮮明に記憶する術を、いつか習得できるのだろうか。「書くこと」を仕事にまでしてしまった私が、ノートとペンを捨てることなんてできるのだろうか。それよりも、文字を書いたり読んだりすることを学んだ新しい世代が、社会を動かすようになる日が来る方が、ずっと早いはずだ。若いブッシュマンたちのなかには、ときどきメールをくれたり、私の論文を読んでくれたりする人も現れた。新しい時代は少しずつ始まっている。

だけど、私は、文字のあふれた日本の日常に戻ると、母さんの言ったことばかり思い出す。たとえ手紙のやりとりなんてしなくても、あそこには私がまたやってくることを、ちゃんと知っている人たちがいる。どこかに書いておかなくても、私たちが笑い転げたり、ケンカしたりした日々を、ちゃんと「頭のなかに置いて」いてくれる人たちがいる。そのことを思うとき、書けないこと、読めないことを、ただ「問題」だとしかとらえられない、この世界の窮屈さから、少しだけ解放された気になる。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。