祝われない誕生日(ボツワナ)

丸山 淳子

六月。南半球に位置するカラハリ砂漠では、寒い季節を迎える。狩猟民として知られるブッシュマンも、絵はがきのなかでは、皮のふんどし一枚で原野を闊歩しているが、この季節、そんな格好じゃ、寒くてしかたがない。とりわけ早朝の寒さはこたえる。みんな、厚手のコートに毛糸の帽子までかぶって、焚き火から離れられずにいる。

その日も寒かった。燃え盛る焚き火を囲み、温かい紅茶を飲みながら、六月は本当に寒いね・・という会話のついでに、私は自分の名前の由来を話した。私の名前は「じゅんこ」という。六月の最終日に生まれたことを記念して名づけたとか。そう、六月は英語で、ジュンだ。

この地域のブッシュマンは、出産前後の出来事にちなんで、名前をつけることが多い。たとえば、私が住まわせてもらっている家の長女の名は「嫌い」ちゃん。父さんの求婚を母さんが長い間、「あなたなんて嫌いよ」と拒み続けてきた挙句に、生まれたこどもだからだという。日本の感覚では、ちょっとビックリするような名前だが、その名前の意味がもつイメージの善し悪しは、彼らにとってそんなに重要なことではないようだ。ともあれ、日本ではいささか安易に思われがちな私の名づけられ方も、彼らにとっては、なじみのあるものとして受け入れられた。

「生まれたとき、ジュンの月だったから、ジュンコだったのか。なるほどね」ブッシュマンの言葉に、季節をあらわす単語はいろいろあるが、カレンダーで示されるような十二ヶ月の各月の名前はない。必要なときは、ジュン、ジュライ、オーガスト・・・と英語を借りる。「そうか、あんたの場合、自分の『ツァバナの日』が、名前になったってことだな」前後の文脈から考えて、「ツァバナの日」とは、誕生日とかお祝いの日のことを指しているように思うかもしれない。でも、ちがう。ツァバナとは、トウモロコシとダイズの粉を混ぜた食品の商品名だ。

ブッシュマンは、昔のことを驚くほど詳細に覚えていたり、人々の長幼をけっしてまちがうことのないが、それを西暦や日付で記憶することはしてこなかった。ところが、最近になって、誕生日を覚えることが重要になった。村にできた診療所が、乳幼児を対象に毎月、食料を配給しはじめたからだ。たとえば六月十五日に生まれた子どもなら、毎月十五日に診療所に行って、簡単な健康診断を受け、食料を配給される。そのとき必ず配られるのが、ツァバナなのである。つまり、誕生日とは、ツァバナが配給される日として、記憶されている。

それから数日して、町の学校を出た青年が、私の名前の由来を聞きつけ、訪ねてきた。英語ができて、外国の風習についても多少の知識のある彼は、「君のバースデーパーティーをしよう」と誘ってくれたのである。しかし、お世話になっている家の母さんは、酔っ払い癖のあるこの青年を、以前から快く思っていない。上機嫌でしゃべり続ける彼に、母さんがぴしゃりといった。「さっきから、何をいっているの?この子は、とっくにツァバナをもらう年齢じゃなくなったわ。もうそんな日付を覚えている必要なんてないのよ!だからどんな日だって、うちで静かにすごすのよ。ツァバナなんて、もう関係ないんだから」青年は黙って帰ってしまった。

実際、ブッシュマンのあいだでは、誕生日であれ、結婚記念日であれ、あるいは命日であれ、特定の日にちを記念して、そのために何かすることはほとんどない。唯一、人々が話題に上らせるのは、独立記念日とクリスマスくらいだ。それも、前者は政府が、後者は教会が、素敵なご馳走を振舞う日として、認識されているにすぎない。だから、生まれたときどんなふうだったか、そのころ何があったのか、誰が誰より年長なのか、そういうことは繰り返し語られるけど、生まれた日付なんて、ツァバナの支給年齢が過ぎたら、ちっとも大事なことだとは思われていない。

結局、その年の六月の最後の日は、いつもと変わらない一日だった。その日が私の誕生日であることに触れる人も、祝う人もなかった。バースデーパーティーをしようと言ってくれた青年も、そんなことはもうすっかり忘れてしまったのか、母さんの剣幕に恐れをなしたのか、私を訪ねてくることさえなかった。

その晩、冷え冷えとした星空のもとで、母さんは、いつものようにあたたかく甘ったるい紅茶を入れてくれた。そして、ふと思い出したかのように「アンタの生まれた月は、ほんと寒くて、やっかいだよ」と、ぶつぶつ文句をいった。私は、寒さに震えてくっついてくる「嫌い」ちゃんと一緒に、母さんの文句を聞き、紅茶を少しずつ飲みながら、こうやって彼女たちと過ごすなんでもない「ツァバナの日」も悪くないなと思っていた。