今年のカラハリは、例年にない大雨に見舞われている。砂漠と呼ばれる乾燥地域にもかかわらず、来る日も来る日も土砂降りが続き、きまって稲妻が光る。砂地にたたきつける雨音と天が割れるような雷音は、とりわけ夜に耳にするには、気持ちのいいものではない。
「だからって、あんなにこわがらなくてもいいと思うのよ。まったく年をとると、変な行動をするようになるもんだわ」。ジョーバばあちゃんの娘が、苦笑いをしながら話す。ここのところ、日が落ちるころに雨の気配を感じると、ジョーバはかならず毛布をもって家を出ていくのだという。
訪ねる先は、少し離れたところに住んでいる彼女の姉のところだ。そして、小さな家のなか、二人は並んで毛布をかぶり、一緒に朝まで過ごすのだという。ジョーバも、もうずいぶん高齢だから、その姉はもっと高齢だ。二人とも受け答えはしっかりしているし、ときどき鋭いツッコミもするけれど、足が弱っていて、とくに姉のほうは歩くこともできない。
「雷が鳴ってるなかで、すっかり年をとった二人が一緒に過ごしたって、どうにもならないじゃない?」と娘はため息をつく。こわがりな老女たちが、子どものように意味のないことをすると、笑いぐさになっているのだそうだ。それでもジョーバは、雨雲が厚く垂れこめている空を眺めては、かならず姉の家を訪ねて夜を過ごしていた。
ジョーバ。陽だまりのなか、家の草葺き用の紐をつくっている。
「雷がこわいの?」今夜もまた、毛布を抱えて出てきたジョーバに聞いてみた。少しよろめきながら歩いていた彼女は立ち止まると、まじめな顔でわたしを見て「そうだよ、こわいよ」と答えた。「雷が落ちて、焼け死んだ人の話をきいたことがないのかい?」見渡す限りまったいらなカラハリでは、落雷はそんなにめずらしいことではないようだ。そういえば、雷によって燃え落ちたという木を見たこともあるし、「雷に殺された」人の話というのも数少ないけれど聞いたことがある。「昔から雷はこわいものだったよ。子どものときも、大人になってからも、いつだって、雷の夜は、みんなでくっついて寝たもんだよ。」
カラハリで狩猟採集を営んできたブッシュマンの社会では、最近まで、移動生活があたりまえで、そんなに大きな家はつくらなかった。移動の先々で、木を半円状に組んで、上から草を葺いた簡素な小屋をつくり、それをたいていは夫婦ごとに利用していた。小さな子どもたちは両親とそこで眠り、少し大きくなった少年たち、少女たちはそれぞれ何人かで集まって小屋をつくることが多い。年老いて妻や夫に先立たれた老人らは、こうした少年少女たちの家に混ざって寝起きすることもよくあった。
この小さな家屋を、彼らは「雨の家」と呼ぶ。逆に言えば、雨さえ降らなければ、料理も食事も手仕事もおしゃべりも、そして睡眠も、生活の大半は、戸外で営まれるのである。とくに暑くて乾いた乾季の夜には、むしろ戸外で眠るほうが気持ちいい。家々は互いに見える範囲に固まってつくられ、そのあいだにうまれる空間が、日常生活の場として機能していたのだ。やがて雨雲が空を覆う季節になると、日常生活の場がようやく「雨の家」へと移る。日中の活動はもちろんのこと、夜はみなここで眠る。小さな家いっぱいに毛布を敷き詰め、ぎゅうぎゅうづめになりながら眠りにつくのである。そうやって、ジョーバも小さなころから、恵みの雨を喜びながら、同時に、雷の音におびえながら、雨季の夜、みんなでくっついて過ごしてきたのだ。
昔ながらの「雨の家」。たっぷりの雨を受けて、家の周りにスイカが実る。
「ほら、降りだしたよ。」ジョーバが空を見上げた。稲光が大地に刺さるように光った。「さ、姉さんのとこにいこうかね。」そうつぶやくと、彼女はまた歩き始めた。定住化政策が進行する今日では、ジョーバがなじんできた木と草でできた小屋だけでなく、土壁の家や、ブッロクとトタン板でできた家も数多く建ち並ぶようになった。でも、これらの家の大半は、あいかわらず「雨の家」として使われている。乾季にはたくさんの人びとは戸外でにぎやかに過ごしていたけれど、こうやって雨が続くと、みな、それぞれの「雨の家」のなかで過ごす時間が増える。通りを歩いていても人影が見えず、閑散とした雰囲気が漂っている。そのなかをジョーバはひとり、ぽつぽつと歩いていった。
実は、去年までは、ジョーバにも、雨の夜を一緒に過ごす人たちがいた。夫はずいぶん前に亡くなったけど、孫娘たちとひとつ家のなかで寝起きをしていたのだ。かしましい少女たちが、夜遅くまで笑い声をあげることに、「寝られやしないよ」と不平をいいながらも、彼女たちと一緒になって夜遅くまで歌ったり踊ったりしていたものだ。ところが、今年、その少女たちはみな、町の中学校に進学した。いまでは彼女たちは百キロ以上も離れた町の寄宿舎で暮らしている。
昔の少女たちは老女と暮らしながら大人の女性になっていったし、老女たちはそんな少女たちと晩年をにぎやかに過ごしていたのだろう。でも時代は大きく変わった。ジョーバが子どものころ、この地域には学校なんて行かなかったけれど、彼女の末娘は1年だけど小学校に通った。そして孫娘たちは中学校に進学するようになった。もちろんジョーバだって、孫娘たちを引き留めるつもりなんてない。だけど、長く生きてきた彼女が、一人で過ごすには、雨季の夜は長い。雷の音が響く夜は、とりわけ、昔のできごとを思い出すだろうし、変化し続ける世の中について思いを巡らすだろうし、そして心細くなることもあるのだろう。
「あら、今夜もまたなのね。」ジョーバの姿を見た娘が私に話しかける。「あのおばあちゃんたち二人は、今夜も昔話をしながら寝るのね」。彼女も、たぶんほんとは、ジョーバのさみしさをわかっているのだろう。自分の家から一枚の毛布を持ち出すと、ジョーバに手渡すために、追いかけていった。
孫娘たちに散髪してもらうジョーバ。