20年ぶりのタンザニア農村で境界線を考える:ゾウプロ訪問記⑥

宮内 洋平

私は首都圏の色々な大学でアフリカ関連の講義をしてきた。セレンゲティ国立公園の話は、学生の食いつきがもっとも良いテーマのひとつだ。学生はまず国立公園のような「野生の王国」が、実は住民を追い出して造られたものだという事実に「驚き」、さらに近年、個体数が回復してきたゾウの襲撃を受けるようになったが、住民みずから組織をつくって対処せざるをえないことに「衝撃」を受ける。ドラム缶を叩いたり、懐中電灯をあてたりといったほとんど効き目のない退治方法に、最近、バローティという名の爆音器が加わったとはいえ、学生たちは「もっとどうにかならないものか」とやきもきするようだ。「犬を使って追い払うことはできないのでしょうか」などと、さまざまなアイデアを提案してくれて、皆一様にアフリカの遠い村の理不尽な出来事に思いを馳せる。私は現地に行ったことがなかったためニュアンスを伝えることができず、もどかしい思いをしていた。なんとか現地を見てみたいというのが長年の夢であり、今回、岩井さんをはじめ、アフリック・アフリカのメンバーの皆さんのおかげでその夢が叶った。

セレンゲティを目指す多数のサファリカー

タンザニアは、私にとって特別な所である。1999年に、大学院生だった私が初めて訪れたアフリカの国がタンザニアだった。ナイロビ経由のエア・インディアが、ダルエスサラームに向かう途中で、氷河を頂に抱えたキリマンジャロの真上を飛んだ。その時の光景は今でも忘れられない。タンザニア南部のムベヤ州の農村で1ヵ月ほど現地調査をした。ときには1日5食もご馳走になりながら、タンザニア人のやさしさとご飯のおいしさ、素朴な農村生活にいたく感激し、アフリカ研究者として幸運なスタートを切れた。残念ながら2000年にもう一度だけ現地調査を行ったあと、調査地を南アフリカに変えてしまったため、2023年までタンザニアを再訪することは出来なかった。タンザニア南部で調査をしていた時、大観光地の北部と比べ、「何もない南部」を私が調査地に選んだことを気の毒がられたりもした。

うずたかく荷物を積むランドローバー

今回、ようやく北部を訪れることができたが、キリマンジャロ国際空港に到着して早々に「もうひとつのタンザニア」に驚かされた。欧米や中東から大型機(ちなみに私が乗ったカタール航空はボーイング787-9だった)が、日に何本も乗り付け、外国人観光客を大量に降ろしていく。観光客はアルーシャで準備を整えると、みなトヨタのランドクルーザーを改造した(開閉式の天井を持ち、開放すると動物がよく観察できる)サファリカーで一路、セレンゲティ国立公園を目指すのである。幹線道路はサファリカーが行き交い、ンゴロンゴロ保全地域のゲートを越えると、通る車はほぼすべてサファリカーになり、狭い山道を登るときは渋滞となる。ときおり、人がすし詰めにされ、屋根の上までうずたかく荷物が積まれた古いランドローバーや年季の入ったバスと遭遇する。乗客は、セレンゲティ国立公園を越えた先の村に暮らしているという。私たちの借りた車はとんだトラブル続きで、国立公園の向こう側の村にたどりつくのがいかに大変なことなのかを身を持って体験できた。なんとか夜になってロバンダ村に到着した。疲れ切った私たちをママ・ルーシー一家が盛大に出迎えてくれた。食卓に並んだのは20年前に食べた懐かしいタンザニアの味だった。疲れは一気に吹き飛んだ。

国立公園のゲート、ようやくロバンダ村へ

私たちはロバンダ村でゾウ被害にあった畑を視察した。去年300袋分のトウモロコシがとれた畑だが、今年は、ゾウの襲撃で亡くなった方の葬儀で見張りが出来なかった隙をつかれ、一晩で食べつくされてしまったという。 360度、動物保護区で囲まれているので、どこからゾウがくるかは分からない。木の枝などを組み合わせたフェンスで畑を守っているが、ゾウにとっては無いに等しい。ミセケ村では、ゾウ追い払い隊によるデモンストレーションをみせていただいた。60人の村人が参加している追い払い隊は、各自が爆音器をもっている。ゾウを追い込み、もっともよいタイミングで爆音機を盛大にならすと、ゾウは逃げ帰っていくそうだ(エッセイ「暗闇でゾウを『聴く』」)。石投げ名人の女性は、ツノの装飾を頭にかぶって登場し、石をセットしたロープを頭の上で器用に回転させて、ゾウめがけて投擲する姿を再現してくれた。「女性は、料理をつくるような単なるお手伝いで参加しているのではなく、追い払い隊のれっきとした一員である」という。大変な状況に追い込まれながらも、住民たちは知恵を出し合って対応している姿に感銘を受けた。

ゾウの被害に遭った畑を視察

南アフリカを研究していると、常に境界線を考えざるを得ない。人種、民族、階級などに基づき、南アフリカ社会には無数の物理的・非物理的境界があふれている。今回の訪問で考えさせられたのは、近代が作り出してきたゾーニングとそれにより生まれる境界線がタンザニア農村部でも至る所に生まれていて、それらが人びとの生活に苦難をもたらしているということだ。

ゾウ対策の電気柵

1951年のセレンゲティ国立公園による囲い込みに始まり、近年は南アフリカの老舗私設ゲームリザーブ会社が、この地でもゲームリザーブを開設し観光客のための空間を作り上げていた。ゲームリザーブの周囲の一部は電気フェンスで囲まれている。電気フェンスは治安の悪い南アが「世界に誇る輸出品」として名高い。ここのフェンスが南ア製かは不明だがその可能性は高い。ここは元々トロフィーハンティングが許された猟獣保護区だったという。トロフィーハンティング自体の問題点はさておき、ここはハンティングを禁止して野生動物を保護して観光客を呼び込もうとしているのでゾウの被害が増えるという皮肉な結果になっているようだ。他にも政府が野生動物観光促進のために作ったワイルドライフ・マネジメントエリアが、村人の活動領域をさらに狭めていた。加えて2018年に政府は突如バッファーゾーンを設定し、動物保護区から500m圏内における建造物建設と耕作地利用を禁じたため、ゾウ見張り小屋も壊された。こうして限られた空間に住民は押し込められ、そこで畑を作っている。ゾウにとっては村全体が食糧庫に見えるだろう。興味深いことに、村自体でも新たなゾーニングが始まっていた。村役場の前には観光案内マップではなく、土地利用計画図がドンと置かれている。ゾーニングによる徹底した統治の足音が迫っていた。

同じようなことは道中のンゴロンゴロ保護区でも生じていた。かつてはマサイの人たちが暮らしていた土地である。数年前まではマサイの人たちがウシを放牧することを許されていたが、現在は禁止されたそうだ。マサイの人たちを別の地に移住させる計画が着々と進められていて、すでに移転した人もいるという。「野生の王国」建設プロジェクトは最終段階に達していた。

近代国家は、遊動する人たちを必死に定住させようとしてきた。ゾーニングは、為政者にとって国民を管理しやすくするものである。同時に、都市の公衆衛生を向上させたり緑地を確保できたりと、良いことに思える公共サービスも提供しやすくなる。だが、これは人びとの生活領域を固定化し、システムから逃れることを難しくしていく。ゾーンニングは力のある者やお金を持っている者に優位に働いているように見える。セレンゲティに生きる人たちは自分たちの生活圏がどんどん囲い込まれたあげく、ゾウの襲撃に遭っている。毎年のように畑を壊されても、めげずにまた翌年に畑をつくる。端から見ると、畑ではなくて他のことをした方が良いのではと思ってしまう。だが同時に、彼らが畑づくりにこだわるのは、「自分たちはここにいるのだ」という強いメッセージを送っているからではないかと私は受け止めた。