歌の響く小道(ザンビア)

村尾 るみこ

アフリカで調査をしていて、人びとが歌を歌う場に遭遇する機会はたくさんあると思う。
教会、学校、乗合バスやバーなどで、それはある時申し合わせたかのように、しかしごく自然に始まる。そして決まって3重、4重のハーモニーに分かれていく。

おそらく私が一番よく遭遇した歌の場は、長く調査してきた、ザンビア西部州の村だ。特に、みんなが畑を往来する小道で歌う機会だ。砂が深い道で、普通の道の数倍つかれる。早起きして畑に向かう途中、無口だと「おい、昨日眠れなかったのか?」「いや、朝食抜きで歩いてるからきっとお腹が減ってしゃべれないんだよ」「畑についたらキャッサバを掘って焼こう。そのために、ほら、火のついてる薪をもってきたんだ」「あんたそんないい靴はいて、私達よりうまく砂の上を歩けないのか」と、茶々をいれられる。そしてやがて噂話に突入し、自然に歌がはじまる。私はそれを、はじめはただ心地の良く感じるだけの観客だった。しかし毎日畑へ一緒に通っていると、だんだんそういうわけにはいかなくなってきた。

林のなかの小道。畑へと続いている。

 

畑を往来するときに歌を歌うのは、主に女性たちだ。彼女たちが讃美歌や流行りの歌を歌い始めると、お前も歌えと目配せされる。結婚や離婚に伴い女性たちは頻繁に転居するが、その行き先で新参者となる女性やその子供も、みんな一緒に知る/知らないメロディーにあわせ、歌うことになる。そうして私もいつしか、とても自然に、畑へ/家へと向かう「小道の合唱団」に参加させてもらっていた。

畑から帰り、疲れをいやす女性たち。

 

歌の歌詞は、彼らの話すンブンダ語や、初等教育で使われるロジ語を中心にしながら、ときに南部州のトンガ語や首都で話されるニャンジャ語と多彩だ。ニャンジャ語は全くお手上げだが、首都から転居してきた女性がノリノリで流行りの歌を披露する。英語はめったにでないが、「なんか英語の歌を歌え」とみんなにいわれて、何度かやけくそで歌ったことがある。日本語の歌は何度も歌った。JPOPより、小・中で習った日本の民謡がとてもうけたので、それらの歌は、つい調子にのって、夜焚火をかこむくつろぎの場でも歌うようになった。やがて「歌詞を書け」といわれ、日本語をアルファベット表記でしるして渡し、音楽の先生のように寄せ集めの合唱団を指揮するようになった。日本語の意味を、辞書のないンブンダ語で説明するため、英語とンブンダ語のわかる学校の先生を訪問したりもした。そうして結局、どんな日本の曲もブンダ語で記憶されていくのであるが、ザンビア国内の言葉だとそのまま覚えられていく。

アフリカでも日本でも、といってもいいと思うが、歌は何気ない日常の場にあふれている。地域や国境を越え、人見知りも社交家も巻き込んで一つの場をつくりあげていく。ザンビアの小道は、そんな当たり前ながらも偉大な歌の場を提供してくれていたのだ。