臼をつく音(ザンビア)

村尾 るみこ

アフリカの村で滞在していると、犬の鳴き声、トイレなど、いろいろな理由で夜中に目が覚める。なかでも、日本で一人暮らしをする生活のなかではありえないが、隣の家の子供の声でおきることが多いように思う。

ある夜は隣の家の子供が、なにやら母親を起こしている声で目が覚めた。
「ナァナ、ナァーナァー(かあさん、かあさーん)」
子供の声はひびくのだが、眠そうに応対している母親の声が低くて聞こえない。聞こえないと気になって眠れない。母親は、私と同じ年で3人の子持ちだ。むずかんでいるのは、どうも一番下のちび助ぼうやだ。いたずら好きで、ひとなつっこくて、甘えん坊で、いつも何かで泣いている。それが未明のことであったのを、枕元の時計で確認したまで覚えているのに、私はそのままねてしまったらしい。

朝5時、まだ白々と夜があけてきているなかで、
「こん、こん、こん」
と、どこかで木臼をつく音がする。音は軽やかでテンポが良い。寝袋のなかで、彼らの主食である「チブンドゥ」の材料を、誰かが搗いている音だと知る。しかも、量はとっても少ないはずだ。

完璧に目が覚めてしまった私が家からでると、家の出たところにつくった台所で、ちび助ぼうやとその母親が熾した火に鍋をかけていた。
「おはよう」
「おはよう。昨日の夜中はどうしたの?その子がずっとむずかんでいたようだけど」
「そうなのよー。おなかがすいたっていうのよー。」
にこにこ笑っている母親に、ぼうやが半べそをかいてくっついている。そうしているうちに、私達と軒を連ねる、親戚の家のみんなも起きてきた。なかでもぼうやのおばあちゃんは、小さなお皿に魚を煮込んだスープをいれてもってきた。おばあちゃんはチブンドゥと一緒に食べるおかずをもってきたのだ。
「あんたんちのおかずがないことはしってるよ」
と、いわんばかりにさしだす。母親は拍手を打って受け取った。

父親はのんだくれで、毎晩どこかの家でのみつぶれている。彼の稼ぎはこのところゼロだ。 母親が畑作物を小売して得る少ない稼ぎではなかなか毎日毎食のおかずを手に入れるのはむずかしい。ごはんを準備する時間も労力も、レンジでチンする私達とはちがいなかなかのものだ。おまけに最近は隣の空家に変な日本人がすみついたおかげで、彼女の雑用も余計にふえてしまったときている。

私はどこかの畑にでかけるついでに、その畑の持ち主にたのんで、キャッサバという作物の葉をたまに摘んで帰るようになった。家にかえって、小売から帰って来た母親に渡すと、にやにや笑って受け取った。おばあちゃんはあきれていた。

ほどなく、彼女は新たな人生を歩むべく離婚した。女性は離婚すると自分の実家にかえり、耕していた畑も旦那に返してしまう。離婚した後親戚の成人があつまって会議が開かれ、彼女の残していった畑をだれが引き継ぐか、未払いの婚資をどう払うのかが話し合われた。みんなが解散した後、おばあちゃんは飲んだくれの旦那にむかって、奥さんの畑の作物をなんとかしろ、未払いの婚資をどうにかしろと説教した。旦那はさすがにあくる朝から、奥さんが耕していた畑へ通いはじめた。

隣の家からの生活音がなくなり、家のドアをたたいて「ご飯だよー」とよびにくるぼうやもいなくなってしまった。おばあちゃんは孫のためのおかずを買わなくなった。親戚みんなが暮らす家々のど真ん中から活気がなくなったので拍子ぬけだ。もっと拍子ぬけなのは、「おい、いるかい」と彼女がぶらっとたずねてくることだ。そして月に2,3回、自分の耕していた畑の作物をよこせといわんばかりに収穫していく。かつての旦那は、横目でそれをみているだけだ。それでも彼女が、隣の家で調理することは2度となかった。

彼女は今日もどこかで、新しい家族とともに、軽やかな木臼の音をひびかせているのだ。