ねだりをめぐる悩み(ザンビア)

岡本 雅博

ザンビアのとある町でバイクに乗っていたときのこと。顔見知りの警察官から「お前が乗っているバイクを貸してくれ」と言われたことがある。「いいよ。そのかわりおれにも護身用にあなたがもっているピストル貸してくれ」と私は笑いながら返答。こういう感じでやりとりできるようになるまで、どれくらいかかっただろう。もちろん、お互いバイクもピストルも貸すわけではない。一種の冗談である。少し親しくなった知人や、時にはまったくの初対面の相手から、物や金を「貸してくれ」あるいは「くれ」といわれて戸惑ったり憤慨したりしたことは、アフリカに長期滞在したことがある者なら誰でも経験したことがあるだろう。私もはじめてザンビアに滞在したときに、この問題にかなり悩んだ。

アフリカでのねだりや物乞いは、何も私たち外国人にのみにむけて発せられるものではない。すこし観察してみると、このような交渉は彼らどうしのあいだでもけっこう盛んになされている。たとえば、村では食材のやりとりが日常的になされている。その日の食べ物がないときや調理に使う食用油や塩などの調味料が切れてしまった場合、近隣の家を訪ねて借りたり分けてもらったりする。かつての日本の長屋の味噌の貸し借りと似ている。その日獲れた魚に余裕があったり、トウモロコシの備蓄がまだあったりする場合は渡すこととなるが、ときには明らかに余裕があるのに断ることもある。その理由を訊ねてみると、「最近、私ばかり助けていて、彼女はぜんぜん私を助けようとしないから」とのこと。ねだりや物乞いといっても、いっぽう的なものではだめで、ある程度のバランス関係があってこそ成り立つものであるようだ。

さてここで大事となるのはどのように断るかである。冒頭で述べたような冗談でかわすことも、ひとつの手であろう。冗談で切り抜けるほかに多いのが、嘘を言うケースである。はっきりと断るってしまうと人間関係に傷がはいることがあるが、嘘の場合はそれを回避できる。たとえば、少量の食用油が欲しいといわれたとする。実際には2リットルのコンテナにいっぱいの食用油が台所の奥にあったとしても、平然とした顔で「私も食用油はない」といえばよい。「私はあなたに食用油をあげたいのだけれど、手持ちがないからあげることができない」といったニュアンスになろうか。ねだりにきた当人は引き下がらざるを得ない。この堂々と嘘がつけるポーカーフェイスできる才能はたいしたものだ。

またたとえばある人が懐中電灯をひとつだけ持っており、ほかの者がそれを欲しいとねだったとする。そうした場合には「私は懐中電灯を『ひとつ』しか持っていないから、あげられない」と答えればよいようだ。しかし二つ以上持っており、ひとつしか使っていない場合はそうはいかなくなる。アフリカでは、ストックという考えは通用しないようだ。そのときに使用しておらず遊んでいるものを他人からねだられた場合、それにこたえなければならないという通念が存在する。だから、余分にもっている物は人目につかないよう隠しておく必要がある。

私たちがアフリカに滞在する場合、さまざまなものを持って行く。現地では調達できなさそうな物に関しては、いくつか同じものをスペアとして持参することもある。要するに、極端にいえば、彼らが私の所有物の全容を見たら、その大半はねだりの対象になってしまうともいえる。親しくなった人で、ほんとうに困っていたりしたら、相手の要望にできるだけ応えてあげたい。しかも、外国人である私たちは、現地の人たちの助けなしでの滞在は不可能である。しかし、彼らの流儀に100%のっていく勇気はまだもちあわせてはいないし、実際にアフリカの人たちもそれほど正直にやっているわけではない。私たちとしては、冗談でかわすユーモアと、相手を傷つけないために平然と嘘をつく優しさは身につけておくほうがよい。

追記:私は上の文書を日本で書いたが、昨日(8月2日)よりザンビアに来ている。首都ルサカの馴染みのゲストハウスに滞在しているが、私の来訪を知ったゲストハウスのスタッフの女性は「私のために日本から何をもってきてくれたの?!」と開口一番。私は彼女のために何も買ってきてはいない。やばいっと思いながら、「お土産は私自身だ」と私は答える。彼女は笑いはしたが、それでは納得はしてくれない。何度アフリカに滞在しても、こうしたやりとりは思ったようにはいかないとつくづく実感。そのいっぽう今朝こんなやりとりもあった。ゲストハウスのオーナーである女性が、これから街に買い物にいくという。私は「じゃあスイート(お菓子)買ってきてー」と冗談のつもりでねだってみた。そしたらほんとうに私のためにチョコレートを買ってきてくれたのである。なんということだろう。うれしい驚きである。私の結論は修正したほうがよさそうだ。アフリカでやっていくために大切なこと。それは、冗談でかわすユーモアと、相手を傷つけないために平然と嘘をつく優しさ、そして他人であっても何かを与える寛容さをわれわれは身につけねばならない。