ブッシュマンの子育ては今(ボツワナ)

丸山 淳子

最近、長男のいたずらぶりが目に余る。いつかあの子は恐ろしい目にあうにちがいない。ひさしぶりにカラハリに戻ると、わたしがいつもお世話になる家のおかあさんは、彼の話ばかりしていた。このうちの長男、シークエは8歳になった。前回の滞在のときには、やんちゃ坊主なくせに甘えん坊な彼が、ちゃんと学校になじめるのか、おかあさんとわたしは心配したものだ。

 

でも、わたしたちの心配をよそに、彼は毎朝喜々として、学校に通い、もう2年生になった。最近では学校でできた友達と徒党を組んで、あちこちで悪さばかりしているようだ。そのなかでも、もっともおかあさんの頭を悩ましているのは、彼がこっそり「ガソリン」に手を出していることだという。

国立公園からの立ち退きを迫られたブッシュマンたちが、カラハリのはずれに政府が設けたこの定住地に引っ越してきたのは、1997年のことだった。長いあいだカラハリの原野の中で狩猟や採集をしながら暮らしていた人々も、1980年代以降、徐々に開発政策の波に巻き込まれ、ついには故郷を離れることまで余儀なくされたのである。

それから7年がたった。原野での生活に愛着を持ち続ける人がいる一方で、定住地の新しい生活にいちはやくなじんだブッシュマンのなかには、四輪駆動車を持つ人々まで出てきた。車があれば、100キロ離れた町まで行って食料品や雑貨を買い、定住地で売りさばいて、一儲けができる。町まで政府の役人を送迎して稼ぐ人もいる。

ただし、やっかいなことがひとつある。この定住地にはガソリン・スタンドがないのである。町で満タンにしたガソリンも、なんのかんのと車を使っているあいだに、もう一度町に行くには不十分な程度しか残らない。ここに目をつけたのが、この家の夫妻だった。町で買ってきたガソリンを、定住地のなかで販売し始めたのである。これは、なかなか賢いおもいつきだった。ガソリン屋はそこそこ繁盛し、暮らし向きもよくなってきた。

ところが、ある日、問題がおこった。両親が家に帰ってくると、ガソリンを入れたタンクの蓋があいていたのである。子どもたちの話で、シークエの仕業だとことは、すぐにわかった。彼は悪ガキ仲間たちと一緒に、揮発したガソリンを吸う、いわゆる「シンナー遊び」に似たものを始めたのだった。ふたりは、子どもたちをきつく叱り、そしてガソリンを小屋の中にしまい、鍵をかけるようにした。おかあさんは、いったいぜんたいガソリンを吸うとどんなことになるのか、どうして子どもたちがそんなことをするのか、さっぱりわからないと嘆いていた。

一方で、ひさしぶりに会ったシークエは、昔のようにわたしのひざにもたれて、たいして悪びれもせず、友達との武勇伝をいろいろと語って聞かせた。彼によるとガソリンは「甘い味がする」らしいが、それよりも、そうやってスリルを味わうのが楽しいという。彼はどうやら、それからもときどき、親の目を盗んでガソリンに手を出しているようだった。木の枝と草で作った小屋の鍵なんて、いたずらっ子にかかったらすぐに開けられてしまうらしい。

それから数週間後、いつか恐ろしいことが、といったおかあさんの嫌な予感が当たった。静かな昼下がりに、突如として小屋の中から、おとうさんの怒鳴り声と、バチーンという大きな音が聞こえてきたのである。家畜の世話から帰ってきたおとうさんは、彼の息子がまたしてもガソリンのタンクに口をつけているところを目撃した。そして、ついに息子を縄で打ったのだった。わたしと一緒に木陰でくつろいでいた数人のおじさんが、大慌てでおとうさんに駆け寄り、羽交い絞めにした。おばあちゃんは泣き叫ぶシークエに走りより、抱きかかえてやった。

夕方になる前に、この事件のうわさは定住地じゅうを駆け巡った。シークエたちのいたずらぶりを嘆き、学校に行くようになった最近の子どもたちはろくなことをしないという人もいた。だけど、話題の中心は、おとうさんが息子を縄で打ったことだった。

「なんといってもまだシークエは子どもだし、分別がつかないのだ。分別がつく大人が守ってやらなきゃいけない。子どものいるところにガソリンを置いておくなんて、親がわるい。そのうえ子どもを叩いてしまうなんて・・・」

子どものすることは許容し、子どもに対して感情的に怒鳴ったりせず、ましてや体罰なんてけしてふるわないブッシュマンにとって、これは非常にショッキングな事件だったのである。

その日から、おかあさんは、すっかりガソリン販売に弱気になった。

「もうガソリンを家に置くのはやめましょう。お金なんてなくてもどうにかなるわ。」

でも、おとうさんはつぶやくようにいう。

「ガソリンを売ったお金で、彼の給食費を払って、鉛筆を買っているんだぞ。お金もなしに、このさきどうやってあの子たちを大きくするんだ?お金がなくてもやっていけた時代じゃないんだ。そう思わないか?」

おじいちゃんは口をすっぱくしてシークエに言うようになった。

「おまえみたいに大きくなった男の子がいつまでも、うちのまわりでうろうろするものじゃないよ。さぁ、原野へ行って動物でも見つけておいで。」

もう目も見えず、足も悪くなったおじいちゃんは知らないけど、おとうさんはよくわかっている。自分たちが昔育った故郷とは違って、この定住地の周りには子どもたちが夢中になれるほどの野生動物なんていない。子どもたちは定住地の中にしか楽しみを見つけられないのだ。

わたしが、この家族と一緒に暮らした月日は、合計すると2年近くなる。そのあいだにわたしはなんども、シークエの両親が子どもたちを溺愛といっていいほどに、かわいがる姿を目にしてきた。その光景は、とてもあたたかく、ほほえましく、そしてなにより、ふたりは堂々とした親に見えた。だけど、そんなふたりが、こんな時代に、どんなふうに子どもを育てていけばいいのか、自分たちがどのように生きていけばいいのか、迷っていた。なんでも知りたがるわたしに、いつも丁寧にその日あったことを説明してくれるおとうさんが、自分の息子に手を上げたことについてどう思っているのか、ついにわたしに話すことはなかった。

結局、わたしが日本に帰るころになっても、おとうさんとおかあさんは、ガソリン販売をやめなかった。シークエのいたずらもとまらなかった。ただ、おとうさんはときどき、休日に友達とふらふらしているシークエを、狩や家畜の世話に誘いだすようになった。狩に出ても見つかるのは鳥やウサギ程度で、大きな動物はみつからない。家畜の世話といっても、おとうさんだって、この定住地に引っ越してきてから始めたのだから、そんなに慣れているわけでもない。でもシークエは、おとうさんの手さばきを真剣に見つめるようになった。

ブッシュマンを取り巻く世界は、親たちも追いつけないほどのスピードで変わっていく。親たちが子どもだったころとは、何もかもがちがう。そして子どもたちが大人になったとき、世の中がどんなふうになっているのか、親にもさっぱり想像ができない。それでも親はただ、どんな時代が来ても、子どもたちが立派に生きていけるように、育てていくだけだ。仲良く連れ立って帰ってくる父子を見て、おかあさんはかならず自慢げにわたしに言う。

「見て。あのウサギを担いでいるのがわたしの息子よ。あの子は読み書きも習っているけれど、ウサギもとってこられる。あの子はちゃんと生きていける大人になるわ。」