八塚春名
タンザニアの公用語であるスワヒリ語は、アルファベットを用いて記述する。だからアルファベットを知っていれば、わたしもなんとか読めるし、書ける。タンザニアで調査を始めることに決めた20年前のわたしは、四苦八苦しながらもなんとかスワヒリ語を覚え、その後、徐々に話せるように、読めるように、書けるようになった。わたしが居候していた家のおじいさんはとても筆まめな人で、ケータイが普及する前は、たびたび手紙を書いて日本まで送ってくれた。わたしやわたしの周囲の人たちの様子を尋ね、自分たちの様子を伝え、今年は雨がどうかとか、誰それが学校を卒業したとか、いろんなことがスワヒリ語で書いてあった。今も大切にとってある、わたしの宝物だ。
とはいえ、手紙をくれたおじいさんはスワヒリ語を母語としない。彼らはサンダウェという人たちで、サンダウェ語を母語とする。スワヒリ語とサンダウェ語は、単語も文法も、なにもかもが大きく異なる。サンダウェ語にはクリック音が入り、別の民族からは「チ・チャ・チャって話す人たち」と揶揄されることもある。言語学者たちは、このクリック音を学術的な方法を用いて記すが、その表記方法はサンダウェ語を話す当の本人たちはまったく知らない。調査を始めた頃のわたしは、植物のサンダウェ語名を覚えようといつもみんなに植物の名前を尋ねていた。すぐに忘れるわたしはメモをとりたくて、「どう書けばいいのかな」と問うと、「たぶんQaじゃないか」、「いやXaじゃないか」などとみんな頭を悩ませ、いつも答えにたどり着けなかった。そんなとき、先のおじいさんが、わたしにいいものがあると「サンダウェ語カレンダー」を貸してくれた。
サンダウェ語カレンダーというのは、SIL internationalという識字の向上を目指すキリスト教系の団体が、サンダウェ語の識字を向上する目的でそのころ毎年つくっていたカレンダーだ。彼らはサンダウェ語をアルファベットだけで表記する方法を独自にあみ出し、それを普及するために、簡単な文例を載せたカレンダーをつくって村々で配布・販売をしていた。おじいさんがわたしに見せてくれた年のカレンダーは、各ページに簡単ななぞなぞがサンダウェ語で書かれていた。そして末尾にすべての音の表記方法をまとめた図が載っていた。
カレンダーはすべてのページが、”tantabule tankweta (なぞなぞをかけるよ)“ というかけ声から始まった。ここには難読なクリック音は入らないし、みんなよく知ったかけ声だから読める。でも問題はその次の行。肝心のなぞなぞ箇所になると問題文が読めなくて、なぞなぞがかけられない。彼らは小学校でスワヒリ語を学んでいるので、スワヒリ語は読めるし、アルファベットも書ける。でもサンダウェ語は違う。日常、家庭で話すのはサンダウェ語で、学校で使われるのはスワヒリ語。お酒を飲む場で近所の友人たちと話すのはサンダウェ語で、村内の公式な会議で発言するのはスワヒリ語。体系のまったく異なる2つの言語を、場によって使いわけるというのはものすごいことだと思うのだけど、かれらはそれをいとも簡単にやってのける。でも、書く・読むとなると話は別だ。筆まめなおじいさんも、カレンダーの解読には毎年途中で挫折していた。カレンダーは年を追うごとに文章が長くなり、内容が複雑になった。そして、いつからかカレンダーはつくられなくなった。
調査に行くとき、最寄りの町からサンダウェの暮らす村々を通るバスに乗ると、それまでのスワヒリ語一色だった空気がガラッと変わり、車内がサンダウェ語で満ちる。村に行くんだと、わたしの気持ちも高揚する。そう、サンダウェ語は、書いたり読んだりすることに使われなくても、みんなが話す言語としてたしかに使われているのだ。サンダウェ語とスワヒリ語のふたつの言語をたやすく行き来し、スワヒリ語で日本にいる友人にメールを送り、車内や村の酒場ではサンダウェ語で談笑する。カレンダーが読めなくても、それでいいじゃない。村で暮らしながら彼らが話す音を聞いていると、そんな気分になってくる。今日のバスもきっと、おしゃべりするみんなの心地よいサンダウェ語が満ちることだろう。