美人の条件(タンザニア)

岩井 雪乃

「美人」はもてる。そして、女の子はみんな「美人」になりたい。それは万国共通の願いだろう。では、アフリカの「美人」の条件とは何なのか?タンザニア、セレンゲティの村に滞在して間もないある日、私は男の子たちにきいてみた。

誰が美人でしょう?

 私「ねえねえ、村でキレイな子って誰?」
青年A「うーん、ワクルかな。キサンビさんとこの」
B「俺はニャンブラがいいな」
C「えー?俺はニャンギのほうがキレイだと思うな」
私(あれ?あんまり統一見解はないんだ。人の好みはそれぞれということか?)
「じゃ、その子のどんなところが好きなの?」
ABC声をそろえて「色が白い(ニェウペ)!」

「え!?白い!?って、あなたたち黒人じゃん!!」
と、みなさんも思ったのではないだろうか?黒人といえば黒い肌。そこになぜ「白い」という形容詞がでてくるのか?私もこの会話の時にはたいそう驚いた。しかし、「あの子は白い」といわれてよく見てみると、確かに彼女は他の人に比べると色が薄く、黒というより茶色の肌をしている。そして、その目で他の村人もよく見てみると、いるいる、漆黒のように黒い人から、よく日に焼けた日本人に近いような人まで。なるほど、「黒い肌」にもグラデーションがあるのだ。目が慣れてくると、私にもその違いがわかるようになってきた。そして、茶色い肌は「茶色い」とはいわれず「白い」と表現されるのだ。

着飾ってポーズを決める少女たち

 男の子が色白を好むとなれば、女の子の「美白」の努力は、当然なみなみならぬものになってくる。タンザニアで売られている各種クリームにも、「これであなたも白い肌に」などというキャッチコピーをよく見かける。若い女の子はつい手をのばしてしまうだろう。そして、高価な市販のクリームを買えない村の女の子の間では、「特製美白パック」というものが使われているらしい。アボガドをベースにいくつかの素材を自分で混ぜて作るのだが、そこに使われている美白成分は、なっ、なんと洗濯用漂白剤だというのだ!

とはいえ、本当に使っているのかどうかは確認していない。教えてくれた女の子は「肌がボロボロになるから、私は使わないわ」といっていた。そうだ!絶対に止めたほうがいい!そういえば、村で異様に顔だけが白い女の子を見たことがある。彼女の肌がひどく荒れていたのは漂白剤のせいだったのだろうか・・・

当初私は、色白を賛美する彼らの意識が気にいらず、「黒肌だってステキじゃない!日本では、わざわざ日焼けサロンに行って黒くする人もいるんだよ!」などと、黒い肌のすばらしさを力説したりしていた。欧米を優越視して「タンザニアは貧しい」と卑下する日頃の彼らの発言と重ね合わせていたのだ。

しかし、「色白=美人」という価値観は、この土地でいつどうやって生まれたのだろう?植民地化やグローバリゼーションにともなう西欧的な価値観の影響なのだろうか?もしかしたら、そうともいえないのかもしれない。日本をみても美人の条件といえば色白があがってくるし、その美意識はすでに江戸時代には生まれていたらしい。今度、村に行ったときには、昔の話もきいてみよう。最近では、私も色白の美しさを認めるようになってきた。鏡に向って美白クリームをすりこむこの頃である。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。