じいちゃん先生、歴史を語る(タンザニア)

八塚 春名

「オレたちサンダウェは、もともと南アフリカから来たんだ。」
「そうそう、だって、ほら、南アフリカのマンデラ元大統領は、オレらとよく似た言葉を話すだろ。」

暑い昼下がり、ピエリじいちゃんとニカノリじいちゃんのふたりは、木陰で酒を飲んでいた。たまたま横を通りがかった私は酒を勧めてもらい、そのまま、あれよ、あれよと、彼らの話に巻き込まれ、いつの間にか、話題は彼らの民族の歴史になり、ふたりのじいちゃんは、私の先生へと化していた。

孫と一緒のピエリじいちゃん

 

私が10年以上ものあいだお世話になっている、タンザニアに暮らすサンダウェという人びとは、クリックと呼ばれる舌打ち音を使う言語をはなす。彼らの言語は、タンザニアのほかの多くの民族のものとはぜんぜん違う。一方、南部アフリカには、サンダウェと同じように舌打ち音を使って話す人びとがたくさん暮らしている。ちなみにコサという民族のマンデラが話した言語は、正確には同じ系統のものではないが、コサ語にもクリックがすこし混じる。言語学や考古学などの研究では、サンダウェは南部アフリカの舌打ち音をつかう人びとと歴史的に関係が深いと推測されてきたが、なぜ彼らがタンザニアにいるのか、そのあたりの歴史については今でもたくさんの謎が残っている。

しかし、サンダウェのじいちゃんたちには、彼らなりの論理がある。
「マンデラが大統領になった時、タンザニアでもラジオでマンデラのニュースをやっていて、マンデラが話すのを聴いたんだ。それに、マンデラを称えて南アフリカの人たちがうたっていた歌、あれ、サンダウェの歌だよな。」
「オコヨーラーレーって歌うやつだろ!?ハルナ、知ってるだろ?」
「遠く離れているのに、オレらと南アフリカの人たちは、同じ歌がうたえるんだよ。」
ふたりの講義はどんどん盛り上がり、私はじいちゃん先生たちの会話をせっせとノートに書き留めていく。

さて、そんなピエリじいちゃんには、ふらりとどこかへ出かけてしまう癖がある。私が知り合った時、じいちゃんは70歳くらいだった。その数年後、ピエリじいちゃんは一度、誰にも行き先を告げず、ふらりとどこかへ出かけて行ってしまった。「ふらりと出かける」ことがどういうことなのか理解できなかった当時の私は、どこへ行ったのか、元気なのか、帰ってこられるのか、彼の家族に何度も尋ねた。でもみんな慣れたもので、大丈夫、そのうち帰ってくるよ、と誰も何も心配していなかった。そして、ほんとうに約ひと月後、じいちゃんはふらりと帰ってきた。どこに行っていたのかと尋ねたら、地理の授業のように、私の知らない地名をずらずらと並べて説明をしてくれた。それぞれの場所になんという人たちが暮らしていて、その人たちの畑がどんなふうだったか、どれくらいの家畜がいたのか、誰の家に泊めてもらい、毎日何を食べたのかなど、まるでベテランのフィールドワーカーのごとく、多くのことを私に聞かせてくれた。こんなふうにふらりとどこかへ出かけることを、スワヒリ語では「旅をする」という意味のテンベア(tembea)という単語で表現する。 今の私は、「テンベアしてきた」といわれると、ふーん、そうなんだ、と、なんとなく納得できるようにもなった。

「そうそう、マンデラは、タンザニアの初代大統領ニエレレに、サンダウェを南アフリカに返してくれっていったんだ。」
「え、ほんと?それで、どうなったの?」と私。
「でもニエレレが、南アフリカの人がタンザニアに住めば、その人はタンザニア国民になり、タンザニアの人が南アフリカにすめば、その人は南アフリカ国民になる、だからダメだっていって断ったんだ。」
「ニエレレが断っていなかったら、オレらはみんな今頃、南アフリカに住んでいたんだよ。」

私は引き続き、せっせとノートにメモをする。ピエリじいちゃんの語りが史実と同じかどうか。そんなことを考えだすと、彼の語りはすべて「うそっぱち」にしか聞こえなくなる。私にとっては、そのことが史実か否かはそれほど重要じゃない。大切なのは、彼らがそうだと信じ語ってくれることであり、それこそが、彼ら自身の「歴史」なのだと思うから。「歴史」のなかには、もちろん、私のような、たまに来る外国人から聞いた話も混じっているかもしれない。でも、きっと多くは、ピエリじいちゃんのように人びとがテンベアを繰り返すなかで、さまざまな地域に出かけ、いろいろな人と会った結果として伝えられてきた話が凝縮されているのではないだろうか。

今では80歳を過ぎ、もうテンベアをしなくなったピエリじいちゃんも、おしゃべり好きは健在で、今でも、彼の家の横を通るたびに私の足を止め、熱のこもった講義をしてくれる。