ザンジバル島の家作りと、装飾ドアへの情熱(タンザニア)

榊原 寛

ザンジバル島の住宅街や農村を歩いていると、ブロック製の壁が途中までしか作られていなくて放置されたような家がたくさん建っています。屋根もなく、窓枠もなく、家の中は草が生え放題。これは一体何?人が住まなくなって崩れつつある廃墟?それとも建設中に家主が死んでしまったとか…?

これは廃墟??

ところがよくよく聞いてみると、これはまだ建設中の家だそうで。え、でも大工さんが近くで働いてる気配なんかないし、最近人が近寄ったふうでもないんだけど…。

どうしてこういう家が多いかというと、ブロックとか、セメントとか、屋根にするトタン板とか、それぞれが庶民にとって大変高価なものだから。みんなはお給料が入るごとに毎月、セメント一袋とか、ブロック何個とか、ちょっとづつ買い足します。そして何年か何十年かかけてやっと一軒の家を完成させるんだそうですよ。

「自分の家を持つのはザンジバル人の夢なんだ。でも一度に買えるほどのお金はないからこうやって分割払いするしかないんだ」って向こうの人は言ってました。

なんだか、何十年もの住宅ローンでやっと慎ましやかな家を買う日本のサラリーマンと似てますね。

さて、ブロックやトタン板ももちろん高価なのですが、ザンジバルの人が家を作るときに特にこだわるのが「ザンジバルドア」と呼ばれる玄関の木彫ドアです。19世紀に象牙や奴隷の中継貿易港として栄えてアラブ商人やインド商人が大量に移民してきたため、ザンジバルでもそれらの地域の影響を受けた木彫ドアの伝統が発達しました。より大きくて、より豪華なドアを入り口に取り付けられることが、その家主の富と名声の象徴だったそうです。

19世紀に作られたアラブ風の立派なドア

今でもドア工房はザンジバル中にあって、のみをたたく心地いいコンコンという音があちこちで響いています。工房で作られるドアは、ホテルとかお金持ちの豪邸につけられるようなすごく立派ものから、主に農村の家用の人一人がやっとくぐれる慎ましやかなものまで色んなタイプがあります。でも、一番小さくて彫りが単純なドアでも、やっぱり庶民には高いらしくて、毎月フレームの木材一本ずつお金を払うのがやっとの人も多いとか。

そうまでして、ドアを飾りたい欲求はどこから出てくるんでしょうね。だって人が出入りできて泥棒が入ってこなければ玄関としては本来十分なはず。それなのにこんなにお金をかけて木彫のドアを買いたがるのは、ただの見栄?それとも伝統だからと周りに合わせてるだけでしょうか?

庶民の家のドアはこれくらい素朴です。でも結構高価。

世界の色んな地域で、身体とともに、建築は装飾の対象となります。日本でも、ヨーロッパでも、東南アジアでも、そしてアフリカでも。

なぜ人は装飾するのか?

心地よい「形」を生み出し所有することを目指して、わざわざ人が労力とお金を費やすということ。その不思議。

それは簡単に答えが出る問題ではありません。しかしわれわれもザンジバルの人々も等しく持っているその情熱の中には、なにか人間の深い深いところにある秘密が、隠されているような気がしませんか?