「ないものねだり」からわかったこと(タンザニア)

八塚 春名

Daima ninakukumbuka. 永遠にあなたのことを忘れない

東アフリカの布、カンガは、下端にことばがプリントされている。かれらは人にカンガをプレゼントするとき、そのことばを参考に選ぶ。”Daima ninakukumbuka.” 私が、親友のママジュマにお別れにプレゼントしたカンガのことばである。

腰にカンガを巻いたママジュマ

ママジュマは、私の3つ年上で6児のママ。初めて会ったのは、調査をはじめて間もない頃、全戸調査をしようと近所を歩き回っていた時だった。初めて会う日本人に、あまり多くを語ってくれない人もいた中で、ママジュマは、キラキラ光る大きな瞳で、にこにこしながら、私のつたないスワヒリ語を理解しようとしてくれた。その後、食事調査をお願いしたり、隣村の彼女の実家に連れて行ってもらったり、近所だから、暇な時に遊びに行ったり、とにかく、私は彼女が大好きだった。私のことをあまり知らない人が、「外国人だし、お金くれるかな?」と冗談を言うと、彼女は「ハルナは学生で、勉強しに来ているんだから、お金なんか持っているわけないじゃない!」と本気で怒ってくれた。野生動物の狩猟を取り締まりに来た役人に、私がかれらの狩猟を告げ口しないかと噂がたった時には、「ハルナは、役人に“獣肉を食べたことはない”と胸を張って嘘をついてくれたのよ」と言ってくれていた(注)。ママジュマはいつも私の味方をしてくれた。

そんな彼女に一度、私がぼやいたことがある。「ママジュマは、30歳にして6人も子供がいて、素敵なだんなさんもいて、いいなぁ。私なんて、もうすぐ30歳なのにまだ学生で、お金も稼いでいなければ、結婚もしていない」。すると彼女はこう言った。「何を言ってるの!?勉強をして、そのおかげでハルナはタンザニアに来たから私に出会えたのよ。結婚なんていつだってできるんだから、勉強を頑張りなさい。勉強を頑張れば、その先は何だってできるわ。タンザニアで働くことだってできるし、可能性はたくさんあるんだからね」。

ママジュマのふたごの女の子

私にしてみれば、アフリカで、子供がたくさんいてにぎやかな家族に囲まれて過ごしていると、これこそ本物の幸せなんじゃないかと思う時がたくさんある。一方、小学校しか出ていないし、町にだってほとんど行ったことがないママジュマにしてみれば、どこへでも行けて、町でお金を稼ぐことだって可能な私の立場をうらやましいと思うのかもしれない。お互い、ないものねだり。当時はそう思っていたけれど、今なら少し違う見方ができる。ないものねだりと言えばそれまでだ。でも、実はそれだけではなく、ママジュマと私は、互いの人生に共感しているのではないだろうか。「結婚なんていつだってできる」というフレーズはさておき、それ以外はママジュマの言う通りだ。私は、勉強をしてタンザニアに行く、という道を選択した。その結果、ママジュマをはじめ多くの人と出会うことができた。これだけで、私が勉強という道を選び、タンザニアへ出かけていった意味があったのだ。そして今、ママジュマや村の人たちが、私の選んだ道に共感してくれているのなら、私はこの道を選んだ者として、何かやるべきことがあるのかもしれない。かれらが、アフリカで暮らす者として、「家族の幸せ」や「ホスピタリティ」といったものを私に教えてくれたように。ママジュマの言うとおり、本業の勉強を頑張ることも、私がやるべきひとつである。同時に、私が共感したかれらの日常を、それを知らない人たちに伝えていくことは、「ないものねだり」から生まれた私の目標である。

今、ママジュマと私は、私が書く手紙でのみ、つながることができる。日本への切手代は決して安くなく、6人も子供を抱えた彼女の家計費からそれはまかなえない。返事は来なくても、彼女と子供たちが私の手紙や写真を、楽しそうに何度も眺めている光景は、はっきりと私の心に描くことができる。Daima ninakukumbuka.

(注)タンザニアではライセンスなしの野生動物の狩猟が一切禁止されている。しかし、野生動物の狩猟は昔から住民の生活の一部であった。また、ライセンスの取得にかかる費用は高額で、村人たちが払える額ではない。私は、狩猟がかれらの生活の一部であることを認め、条件を付けて狩猟を許可することも検討されるべきである、と考えている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。