流れない水洗トイレ(タンザニア)

井上 真悠子

「何で他人が用を足したのと同じ場所で、しないといけないんだ」

以前、とあるアフリカ研究の先生が、調査地から知人を首都に連れてきたときに、ホテルでこんなことを言われたらしい。調査地では草原の適当な所で用を足すらしく、「他人と排泄場所を共有する」トイレという存在が、何とも気持ち悪いものとして受け止められたそうだ。

私の調査地は主に都市部なので、長距離バスの移動中以外、人々が用を足すのは基本的にはトイレである。椅子状の便座に座って用を足す形を「洋式」、しゃがんで用を足す形を「和式」と表現するとすれば、タンザニアの一般的なトイレは「和式」に近い。日本とは違ってドアの方に顔を向けて用を足すだとか、金隠しと呼ばれる部分が無いとか、ボットン式のように穴が開いているといった違いは色々あるものの、要はタンザニアのトイレもしゃがんで用を足すのである。

 

タンザニア式トイレ

用を足した後の処理に関しては、クリスチャンが多いタンザニア大陸部の都市部ではトイレットペーパーを使う人も多い。しかし、イスラム教徒が多い海岸部、特にザンジバルでは、都市部の人々でもあまりトイレットペーパーは使わず、用を足した後は水で洗う人が多い。つまりは「手動ウォシュレット」のようなものである。

トイレで尻を洗うのに使うのは必ず左手であり、逆に、ご飯を食べたり、人に物を渡したりするときに使う手は必ず右手である。この習慣には最初は多少抵抗があったけれど、お風呂に入って洗うのと同じことだと思えば、すぐに慣れた。濡れっぱなしの尻も、一年中暑いザンジバルではすぐに乾いてしまうので、特に気にならないのである。ちなみに、この「手動ウォシュレット」の習慣はイスラム圏に多いようで、アラブ首長国連邦のドバイの空港のトイレにも、洋式便座の横に尻を洗う用のシャワーが設置されている。

手動ウォシュレットはさておき、トイレ自体が水洗か水洗ではないかと問われれば、水洗でないところのほうが多いかもしれない。しかし、水洗ではないトイレでも、水洗機能の名残らしきタンクや配管などが見られることがある。私がお世話になっていたザンジバルの家にも、すいぶん長い間その機能を果たしていないであろう割れたタンクと配管がトイレの上部に設置されていたが、水が通る気配は全く無いため、今やそのタンクは子供たちのパンツ干し場と化していた。

一応、風呂場や台所に水道の蛇口はあるのだが、基本的には我が家は常に断水状態だった。しかし、我が家が断水状態でも、外の公共水道ではなぜか水が出ているので、我が家では毎日の家の裏にある公共水道まで水を汲みに出ていた。公共水道までもが断水のときは、水売りのおじさんがどこからともなくやってきていた。上水道が機能していなくても、生活用水に関しては、うまいことなんとか確保されている。しかしそれにしても、お隣の家はけっこういつでも水が出るし、我が家も雨期になると水が出る日もあった。「昔はちゃんと水も出てたんだけどねぇ・・・政府が悪いのよ」とお母さんは愚痴っていたが、つまりは日ごろの水圧が弱いのだろうか。

このように、水道の設備があっても断水はしょっちゅう起こりうるし、都市部といえどもタンザニアの水事情は、概してあまり良いとは言えない。断水はしなくとも、水圧が弱くてチョロチョロとしか流れないなんて、しょっちゅうなのだ。そのため、水洗トイレとして作られたトイレが、結果的には水が足りないためにボットン式として使用されていることも、タンザニア都市部では少なくないのである。

それでもタンザニア式トイレは、水を汲んできて手桶一杯でも流せばじゅうぶんに流れてくれるので、結果的にボットン式として使われていても特に不自由は無い。困るのは、偉そうに鎮座している洋式トイレのほうである。洋式トイレのほうがオシャレできれいなイメージがあるのだろうか、街中のホテルやレストランなどでは、洋式トイレに改装したがる傾向がある。しかし洋式トイレは、たくさんの水が無いと流れない。汲み置きの水で流そうにも、洋式トイレはタンザニア式トイレに比べ、流すためにはバケツ一杯以上の大量の水が必要である。手桶一杯で何とかなるタンザニア式トイレに比べ、何と不自由なことか。タンクが機能していたとしても、弱い水圧では、流せるほどに水が溜まるまでにはかなりの時間を必要とするため、困ることも多い。

そのため、洋式トイレでは前の人たちの「置き土産」と遭遇することがよくある。しかし、他人様の「置き土産」に遭遇しても、慌てて流してはいけない。一回分の水を溜めるのに長い時間がかかるタンザニアの洋式トイレでは、もし前の人のモノがうまく流れてくれたとしても、次に自分のモノを流すための水がなかなか溜まらなくて、今度は自分自身が新たな「置き土産」を残すはめになりかねないからだ。もし万が一、前の人の「置き土産」と遭遇した場合は、動じず、いつも通りにふるまうのが一番なのである。つまり、その上に用を足して、全部一緒に流すのだ。

水事情の悪いタンザニアでは、流れない水洗トイレより、いっそもうボットンのままの方がいいんじゃないか、いっそ草原の方が快適なんじゃないだろうか。前の人の「置き土産」と遭遇するたび、そんなことを思ってしまう。何で他人が用を足したところの上に、しないといけないんだろう・・・と。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。