家建設狂想曲(タンザニア)

溝内 克之

「ジャコブは、家で商売をだめにしたんだ。」
タンザニアの中心都市ダルエスサラーム(以下、ダル)でキオスク(注1)経営者にインタービューしているときにジャコブの話題がでてきた。私がジャコブと出会ったのは、表通りのサモラアベニュー。面白い本はないかと露天の古本屋を回っているときだった。「この本はどう?」といった彼のスワヒリ語の訛りにピンときた私が「チャガ人?」と声をかけたのが始まり。

チャガ人は、ダルから北へ約600キロ、キリマンジャロ山中腹の村々を故郷とする人々。高学歴のエリートも多いが、小学校か中学校を卒業後、ダルや他の都市へと“Safari”(旅・出稼ぎ)にでる。ジャコブも小学校を卒業後、叔父さんの店で店番として雇われ村をでた。

今はしがない古本商人だが、起業家としての次の目標は、キオスク経営。「古本業は安定しない。街中のキオスクなら儲けが違う。50シリング(約5円)の水パックを1袋売れば25シリングのもうけ。ソーダを1本売れば…、儲けが出始めたら2号店。1号店には村から小学校卒の子供を捜してきて店番として置いておく…。」、計画はどんどん壮大になる。小さなキオスクだといっても侮れない。年中蒸し暑いダル、ひっきりなしに「水」「ソーダ」「水」「ソーダ」と売れる。儲けも少なくないらしい。


わずか1畳強のスペースに総計20万円ほどの商品

実はジャコブ、数年前までキオスクを経営し、妻と子供2人を養っていた。しかし、今は零細な露天古本商人。彼が、キオスクを失ったのは、実は故郷に家を建てたためだと商人仲間は言っている。キオスク経営をしていた頃、ジャコブも成功に見合う家を村に建設し始めた。コンクリブロックの壁。屋根はトタン。土壁で草葺の家だとダルの仲間に「バカ」にされる。彼は、一度に家を完成させようとしたという。頻繁に村に帰り進捗を確認し、商売の資金を家建設にまわした。結局、商売をだめにした。家も配線やペンキ塗りなどを終えていないという。どうしてそこまで男たちは家にこだわるのだろう。


調査村のある家の写真

チャガ人の男たちのほとんどが相続した土地を持っている。その土地に自分の家を建てることは「当然」だと言う。都市で失敗したときのため、成功の証、趣味、親孝行、結婚するためさまざまな理由が挙げられるが、共通することは家を「墓」と形容すること。「どうして都市に住んでいて、年に数回しか帰らない村にそんなきれいな家を建てるの?」という「愚問」を投げかける私に、将来、自分と家族が埋葬される土地の準備だと口をそろえて答えてくれる。チャガ人にとって、故郷の自分の土地(当然家がたってなければいけない)に将来「帰郷」することは私が思っている以上に重要なよう。


終の棲家。ダルで死んでも遺体は村に送られる

赤十字で働くあるチャガ人男性は「老後も、医療事情の良い街中に住みたい」と語る。そんな彼は、母親の家、未婚で子供を育てる姉の家、巨大な自分の家、すでに3棟の家を建てている。冒頭の男性は「村なんかに家を建てるより、ダルエスに建てたほうが投資にもなる」と話を続けていたが、そんな彼もどうやら村にも家を建設しているという話だ。キリマンジャロの村々には「ここは本当に村か?」と疑問を抱かせるような瀟洒な空き家がたち並んでいる。


この男性、ダルで買った土地を売ってこの家を建設している

ある日、いつものようにサモラアベニューのチャガ露天商たちと駄弁っていると、ジャコブが「ちょっと歩かないか」と切り出してきた。こういう場合、借金の申し入れだったりするのだが、やはり、そのお願いがだった。ジャコブは、いつもの壮大なキオスク計画を説明し、「なんなら、“Yoshiyuki Kiosk”という名前にしよう」とまで言ってのけた。帰国が迫っていた私は、手持ちもあまりなかったが、すこし「投資」。次回のタンザニア行を楽しみにすることに。

1年後、ジャコブは相変わらず古本屋だった。「いやー、最近大変で」とジャコブ。日本語で「村の家は完成しているかも」と私。家を建てるのも大変。

(注1) キオスク:日本では駅の売店が想像されますが、タンザニアでは都市部、農村部、どこにでもある小売店のこと。日常に必要な雑貨(米・砂糖・卵などの食料品、飲料水やソーダ、マッチ、灯油、ビーチサンダルその他なんでも)が所狭しと並べられています。