顔を殴られた衝撃で後ろに吹っ飛ばされる、こんな体験をすることになるとは夢にも思っていなかった。たとえ相手が人間だったとしても。
私が初めてタンザニアを訪れ、マハレ山塊国立公園で野生チンパンジーの調査に参加したときだった。現地に到着後、森へチンパンジー調査に行き始めてたった2日目のこと。まだまだ森の歩き方も知らず、もちろんチンパンジーの個体識別も出来ていないときだった。調査助手のおじさんとつたないスワヒリ語で話しながら、チンパンジーたちとの出会いに胸高鳴っていた。チンパンジーの集団はそのとき、食後の休憩時間ともいえる、のんびりとした時間を過ごしていた。私は赤ん坊を抱く母親と、その周囲で戯れるコドモのチンパンジーを観察しながら、個体識別に励んでいた。しばらくすると、メスたちがのんびり過ごす場所から100メートルほど前方で、オスたちが何やら騒々しい声をあげ始めた。まだ観察にも慣れていないし、私はその声を気にしつつも、メスたちの観察を続けていた。何かが近づいてくる物音に顔を上げた時だった。1頭の大きなチンパンジーがこっちに向かって走ってくるのを確認した次の瞬間、私は顔に激しい痛みを感じるとともに、強い衝撃で全身を後方に飛ばされ、尻もちをついていた。
「痛っ!」
もちろん日本語でそう叫び、何が起こったのか把握しようと顔を上げると、苦笑いを浮かべる調査助手のおじさんと目が合った。
「ピムー」
と調査助手のおじさんが一言。
当時群れの中で第3位のオスだった、ピムと呼ばれる個体が駆け寄ってきてジャンプし、私の顔を殴って走り去ったのだ。右目の辺りを殴られ、まぶたからは出血していた。その日はあまりのショックでそのまま観察を打ち切りキャンプへ。鏡で確認すると、右目の上に切り傷があり、出血。翌日からは目の周囲が紫色に腫れあがった。殴られると本当に目の周りが紫色になるのか、アニメみたい・・・と思いつつ、感染予防の抗生物質入りの軟膏を塗って処置。
チンパンジーのオスたちは、群れ内で激しく争い、第1位の座を獲得していく。まだまだ第1位オスにはかなわないようなワカモノ期から、徐々に強いオスとなるべく、まずはメスたちに、優位者に対してする挨拶を自分に向かってもするように強要することから始まる。メスたちがまだオトナオスとして扱わず挨拶しないと、殴ったり突進したりして、力づくで自分がメスより上の立場であることを知らしめていく。また、オス間でのケンカで敗れると、そのストレスを自分より弱いオスやメスたちに向けることもある。
当時第3位だったピムは気性の荒い性格で、事あるごとにメスを殴り、石や木切れなどを投げて自分の強さを誇示していた。私を殴ったときの詳細なオスたちのやりとりは見ていないが、調査助手たちの話によれば、まだ第1位オスやその取り巻きにはかなわず、そのストレスを、私を殴ることで発散し、かつ自分の強さを周囲にアピールしたのだろうとのこと。チンパンジーのオスは群れ内で自分の強さを誇示したいときに、まるで「俺は人間だって殴れるぞ」とでもいうように、研究者を脅かしたり殴ったりすることがある。相手が女性だったり、まだ来て間もない不慣れな研究者だったりすると、それも察知して攻撃対象にするそうだ。私はそんな気性の荒いピムの格好のストレスのはけ口にされたのだ。
その後、しばらくはチンパンジーが怖くて怖くて、移動開始や食べ物のある場所に着いたときなどに発せられる、パントフートと呼ばれる大きな鳴き声が群れ内で起こり始めただけで、また何かされるのか・・・と身構える日々。目の前でオスたちが激しいやりとりを始めると、木の陰や調査助手の背後に隠れる始末。オスのチンパンジーにもなかなか怖くて近づけなかった。こんなことで観察できるのだろうか、と不安に思いながらも、少しずつ観察に慣れていった。その後も様々な形でチンパンジーに殴られた。やはり同じ個体、ピムからの攻撃が一番多かった。興奮して自分の強さを誇示しているときに、通りすがりに太ももを叩かれたこともあった。そして、まだ当時はワカモノオスだったけれど、オトナオスへの階段を上り始めたオリオンという個体には、石を投げつけられたり、太い木の棒で背後から膝の裏を殴られて驚いたり・・・。それらも、観察を続けるうちに単なる楽しいエピソードへと変わっていき、観察を終えて帰国が近くなる頃には、チンパンジーたちの攻撃を未然にかわすことも出来るようになっていた。