蹴って運ぶ(ケニア)

目黒 紀夫

アフリカにかぎらず、地元の人のお宅に泊めてもらいながらフィールド調査をしていたら、その家の家事・労働を手伝うのはおそらくとても普通のことだろう。私が調査をしているのはケニア南部、牧畜民マサイの土地で、舗装道路とともに電気(電信柱を通じた電線)が町に到達したのはほんの数年前である。いまだ大多数の人びとの家には電気は通っていないし、水道については言わずもがなである。となると、薪拾いと水汲みは家畜の日帰り放牧と並ぶ子どもの(ほぼ)毎日の仕事である。朝のうちにお母さんが水汲みに行くこともあるが、僕の滞在先のお宅では、学校や日帰り放牧から帰ってきた子どもたちは夕方になると必ず、日が暮れようとするなか水汲みに出かけていた。

食器を洗うときは少量の水を鍋やタライに張って手際よく洗っていく

調査地に滞在しはじめの頃、まず目についた水汲みの風景といえば、女性が数人、20リットルほどの容量とおぼしきポリタンクを運ぶ様子である。女性の多くはポリタンクの取っ手に布を結びつけて輪をつくり、それを頭にかけて運んでいた。ポリタンクは前かがみになった女性のちょうど背中に乗っかっている。収穫された農作物がつまった麻袋や旅行用のトランクなどの重たい荷物を頭に乗せて運ぶ人の姿はケニアではよく見かけるし、その首の強さに驚きつつも納得できる水の運び方だった。

私が水汲みについて行くというので最初の頃にわたされたのは、その20リットルほどのポリタンクではなく、その半分以下の大きさの洗剤の空き容器らしきものだった。容量としては6〜7リットルほどだろうか? 最初に容器をわたされたときは、「こんな小さな容器か」とつまらなく思ったものである。普段から私も水を使っているわけだし、せっかくだからできるだけたくさん水をもち帰りたいとも思う。とはいえ、実際に容器が水で満杯になると、6〜7キログラムの重さであっても(たいして握力が強いわけでもない私にとっては)とてもバカにできない。やはり水は重いのだ。

幸いなことに、私の調査地はいわゆる乾燥・半乾燥地に含まれるのだが、近く(といっても数10kmは離れて隣国のタンザニアに位置しているのだが)にそびえ立つアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)から地下水脈が流れてきており、それが湧き出てできた川や泉が実はたくさん存在する。現在までに、そうした水源から畑へと灌漑水路が引かれるようになっており、さらに最近では水路の多くがセメントで舗装されるようにもなっている。灌漑水路の基本的な目的は、一年中湧き出る水を畑へと流すことで雨季だけでなく乾季でも農耕をおこなえるようにすることなのだが、日常的に人びとはそこから水を汲んでいるし、家畜を連れてきてそこで水を飲ませる人もときたま見かける。日によって、ある時間帯に水が流れる水路は変わってくるので、それによって水汲みの時間も変わってくるのだが、近ければ歩いて片道5分もしないほどである。だが、その距離であっても、ホームステイ先の10代前半の女の子のように20リットルの水を運ぶことは、私にはとてもできなかった。

灌漑水路からの水汲みの様子(右端に見えるのが小型の容器)

と、そんなある日、10歳にもならない男の子たちが水汲みに一緒に行くことになった。なんと彼らは20リットルのポリタンクを手にぶら下げている。

「まさか、これを抱えてもち帰るのか? それとも彼女のように布で頭に結びつけて運ぶのか?」

頭のなかをハテナが無数によぎる。見たところ、布などはもっていないようである。

水路に着きいつものように、小型のカップや水差しを使ってポリタンクに水を溜めていき、いっぱいになったら蓋をする。女の子は布をポリタンクの取っ手に結びつけると、それとは反対側を頭へとかけていく。とくに男の子たちは何も準備らしきことはしていない。「どうするんだ?」と思っていると、男の子たちはやおらポリタンクを横に倒すと、それを片足で蹴って押し進めはじめた。

「そういうことか!」 実はポリタンクには丸い物と四角い物があるのだが、女の子が四角い物を運び、男の子たちは丸い物を蹴り運んでいく。丸ければ転がせばいいというのは、たしかにそのとおりだ。ためしに丸いポリタンクを蹴らしてもらうが、さすがに20キログラムの重さともなると、軸足となる左足のかかとや足の裏のあたりに力を入れたうえで、腰を落としこみ、踏みこむような感じで右足(のかかと)で蹴っていかないと、なかなか前には進まない。右に曲がるにはポリタンクの左端のほうを蹴る必要があるし、10センチメートルほどの段差を乗りこえるのも、意外と大変である。ポリタンクを右足で蹴っているというのと同時に、大地を左足で蹴っているという感じである。とはいっても、手で抱えて運ぶのにくらべれば、はるかに楽なのは確かである。ということで、それをきっかけに、私も20リットルのポリタンクで(一人前の?)水汲みができるようになった。

その後、日本に帰国してふと思ったのは、ここ数年、日本ではキャリーケースが急速に普及しているが、あれも要は、「背負って運ぶ」よりも「転がして運ぶ」ほうがカンタンだということなのだろうということだ。とはいえ、アフリカの女性からすると、「足で蹴る」よりも「首にかける(吊るす)」ほうがやはりカンタンなのだろうか? 自分の体を使って試すかどうかは別として、次にケニアにいったらちょっと聞いてみたいところだ。