井上真悠子
「女がおとなしくしてると、男は太鼓のように女を叩き続けるから」
「女は、黙って我慢してたらダメなんだよ」
これは10年以上前、私がタンザニアの島嶼部ザンジバルで調査をしていたときに、夫に殴られたと言って実家に戻ってきた娘にママが言った言葉だ。外に働きに出るのも、市場に買い物に出るのも男性で、女性は家の中でおとなしくして、人前に出るときは髪を隠し、肌を出すなんてとんでもない、という保守的なイスラーム教徒というイメージが強かったザンジバルの中年女性が、こんなにもはっきりとこんなことを言うなんて。日本で「結婚は女が我慢することで続いていくもんなんやから、何かあったら女が我慢せないかん」と言われながら育った私は、ザンジバルのママの「女は黙って我慢したらダメ」というキッパリとした物言いに、とてもびっくりしてしまった。
私は、ザンジバルの女性たちとの暮らしがとても心地よかった。6人姉妹の家庭で、親族の女性たちはよく出入りするものの、男性はほとんど入ってくることがない空間で、とても安心して暮らしていた。おそらく私は心のどこかで彼女たちのことを、「女性だからという理由でさまざまな行動を制限されている同士」と思って、勝手に親近感を持っていたのだろう。そんな暮らしの中で突然、冒頭のママの言葉を聞いたので、私はとても驚いたのだ。
ママはその後、数十年前に実家の村で起きた「事件」の話をしてくれた。
「ある夫が、よく妻のことを殴っていた。ずっとずっと殴られて、ずっと我慢していたけど、あるとき妻は耐えられなくなった。彼女は、夫が寝入るのを待って、服を全部脱いだ。上半身は裸のまま、ズボンを履いてベルトをしめた。こうすれば、闇夜にまぎれてしまえば、遠くからは男にしか見えないから」
「そして妻は、土間に転がっていた鈍器を拾って、思い切り夫の頭を殴りつけ、森の中へと走って逃げた。結局彼女はその後、村人たちによって発見され、捕まえられたが、大人の女性が上半身裸でズボンを履いて暴れるなんて、とても異常なことだから、『可哀想に、頭がおかしくなったんだな』ということで、おとがめ無しのまま家に帰された。そしてそれ以降、夫は妻を殴らなくなったのよ」
めでたし、めでたし・・・と言わんばかりの顔でそんな話をしてくれたママは、「だからね、女は黙って殴られ続けていたらダメなのよ」と重ねた。「黙って我慢していても状況は改善されないからね。女だって、抗うことができるんだよ」と。夫婦間の問題はなかなか他人にはわからないものだけれど、なにはともあれ私はこの時、「結婚生活は、どちらか一方だけが我慢すべきものではない」という、今となってはあたりまえの考え方を、ザンジバルのママから教えられたのだった。
「結婚するなら絶対、バラ(タンザニア大陸部)の女がいいよ。ザンジバルの女は、ずっと家の中で食ってしゃべって寝てるだけだもん。バラの女は働き者だよ。朝から子ども背負って頭に売り物乗せて仕事行ってさ・・・」
家では女性たちと過ごしていた一方、日中は街の土産物屋という男性ばかりの空間で調査をしていた私は、タンザニア大陸部からの出稼ぎ男性たちからよくこんな話を聞かされていた。ずっと家の中にいるのも、子どもを背負いながら外で働くのも、その家庭や社会で期待されている女性のふるまいが異なるからであって、女性たち自身の問題かのように語られるのはどうなんだろうな、と思いながら聞いていた。
タンザニアでも、日本でも、「これは男の仕事」「これは女の仕事」「男たるものこうあるべき」「良い女はこんなことをしない」など、さまざまなジェンダー規範が根強くある。男でも、女でも、自分が生まれ育った家庭や社会の「あたりまえ」から脱却するのは、とても大変な作業だ。少なくとも私は、このザンジバルのママの話を聞いていなければ、ずっと「結婚は女が我慢するもの」と思い込み、とても嫌なことだな、結婚なんかしたくないな、と思い続けていただろう。
娘夫婦がその後どのような形で和解したのかはわからないが、それからは殴られたと言って実家に帰ってくることもなく、外から見る限り平穏に夫婦関係を継続している。また、6人姉妹のうち、妻が外で働くことに否定的だった夫と結婚していた別の娘は、その後離婚し、現在は別の男性と再婚して雑貨店を開業し、楽しそうに働いている。2021年3月にタンザニア初の女性大統領となったサミア・スルフ・ハッサン大統領はザンジバル出身の女性だが、彼女が就任してからというもの、現地の報道でも女性のエンパワーメントに関する話題が増えているように思う。スワヒリ語の「Wanawake wanaweza」という言葉は「女性は/女性だって、できるんだ」という意味だが、この言葉を聞くたびに、ママが話してくれた衝撃的な「事件」のことを思いだし、タンザニアの、ザンジバルの女性たちの静かな底力を感じ、勇気づけられるような気持ちになる。女が我慢しないといけないわけじゃない。女だって、できるんだよ、と。