飲酒の作法(タンザニア)

黒崎 龍悟

うっとおしい酔っ払いも多いが,飲酒の場はなかなかおもしろい場所だ。そこでは人々は少人数のグループになって,地酒をまわし飲みする。酒を飲むことが村の人々にとって重要な娯楽なのはいうまでもない。

ニヤサ湖も近いタンザニア南部では,ほかの多くのアフリカ農村と同様に一般家庭で地酒が醸される。そのため毎回つくられる酒には出来不出来がある。酒の出来は,飲酒の場が楽しいものになるかどうかを決定づけるし,販売する場合には売り上げを大きく左右する。失敗した酒はすっぱくて飲めたものではない。それを飲んでいるのはよほど酒がなければやっていけない人か、作った女性と親しい人たちだ。そういうわけなので,つくっている段階から酒造りがうまくいっているかどうかという情報は頻繁に話題にのぼる。人々にとって酒を飲む楽しみはこの段階から始まっているようだ。

酒場ではおごりあいが盛んだ。人々はよく売り子を介して同じグループや,違うグループの人へと酒を届けさせる。 誰かからおごられたらおごりかえすのが礼儀だ。ただそういう場でも作法がある。すぐおごりかえせばそれで良いというわけではない。ある時,若者のひとりに酒を買ってもらったので,返礼のつもりですぐに酒を注文すると,彼は「おれが困っているときにこそおごってほしいのに」と不満そうだ。私におごってくれるのはきたるべき日のための「保険」らしい。彼は不平ともつかない不平を言いながら,それでもおごられた酒を飲んでいる。

飲酒の場を何度も村人と一緒に過ごすうちに,特殊な酒の飲み方(売り方)があることに気づいた。皆が「カーディ」と呼ぶものだ。

「カーディ」とは英語のカードからの借用で,祝宴などの招待状=インビテーション・カードに由来している。「カーディ」はようするに日常的な労働にみられる互助作業のようなものだと,皆はいう。 「カーディ」で飲むとはこういうことだ。まずある女性が地酒をつくったとしよう。彼女はそれを自分で販売せず,親しい人物に売りさばくように依頼する。依頼されるのはだいたい近しい親族が多い。依頼された人は,「何日にカーディの酒があるからきてくれ」というように知り合いに声をかけてまわる。声をかけられた人々がくるかこないかは当人たちの判断にまかされる。普段,酒は1リットル単位の決められた額で販売されるが、「カーディ」の場合は,来た人々がそれぞれ任意の金額を払って飲み放題となる。100シリング(注)でも2,000シリング払うのでも良い。そのようなシステムだから,販売を依頼された人物はうまく参加者を集めて売りさばけば,普通に女性が売るよりも多くの利益を手にすることができる。それに地酒の作り主に少ないながらも景気づけの酒がただでもらえるのだ。地酒の作り手にとっては売るための労力を減らすことができるし,つけでの払いを避けることができる。お互いにとってメリットの多いやり方だといえるだろう。

「カーディ」の成否を決定するのは,酒の出来具合もさることながら,地酒の販売を依頼された人物の人脈によるところが大きい。人脈はどのようにできるのか? それはいろいろな理由が考えられるが,その販売を依頼された人が,過去にどれだけの人々に対して「貸し」があるのかを考えるとわかりやすい。たとえばある人物Aが「カーディ」で酒を売ることを依頼されたとする。そこに私がAに招かれて行き,売り上げに協力したら,Aは,後日私が「カーディ」で地酒を販売するのを依頼されたときにやってきて売り上げに貢献してくれるということだ。「おごられたらおごりかえす」の精神はこのような場面でも貫かれている。

乾期のある日,「カーディ」に参加する機会があった。その日,友人がたまたま農作業で集まっている人々を「カーディ」の酒に誘っている場面にでくわしたのだ。みんな了解したようで,「仕事を終わらせて,足を洗ってから行こう」ということで話はまとまり,ついでにそこに居合わせた私も誘われたのである。ところが仕事が意外と長引き,隣村についたときにはもう午後4時をまわっていた。しかし彼らはひるまず,目の前にバケツを2〜3つと置き,淡々と飲み始める。目の前にあったバケツがなくなり,十分に酒の渇きも癒され,そろそろ帰宅かと思うと,新たなバケツが現れる。帰りは送っていってやるといっていた人はしたたかに酔い,もうあてにできないので他の人々をまつことにした。10時を過ぎた頃,やっと人びとは重い腰をあげ,われわれはその村を後にした。ところが帰り道、一行は違う場所を経由する。まさかと思い前を歩いていた人にたずねると,彼はもう一軒ハシゴするのだとあくまで笑顔だ。きっとカーディというわけではないが,こちらの酒も何かのしがらみのなかにあるのだろう。よく考えてみれば普段から濃密な助け合いの関係のなかに生活しているのだから,誰かしら売り上げに貢献してくれるのには不思議はない。それをハシゴしてまでやる妥当性があるかどうかはまだ私にはよくわからないが。

帰り道,月もなくあたりは真っ暗だったので,われわれ一行は酒場のちかくの民家で借りた灯油ランプで夜道を照らした。先頭の人がランプを手に持ち、山道を歩く。皆,足元がおぼつかないが,会話の勢いが衰える気配はない。もう次の酒の販売日が話題にのぼる。あさって家の近くの酒場ではまたいろいろなやりとりが交わされることだろう。

注;10タンザニア・シリングがおよそ1円(2006年)