アフリカの人は目がいい(タンザニア)

藤本 麻里子

「アフリカ人は目がいいんでしょ?」
これは、多くの日本人がアフリカの人々に関して信じていることではないだろうか。私がタンザニアに行く前にも、何人かの友人からそう尋ねられた。そのたびに「テレビでよく言ってるね。」とか「そうらしいね。」と答えていたし、いかにもテレビで言っていたなという、あの「毎日サバンナで何キロも先の動物を眺めているから、アフリカの人は目がいい」という、いわば子どもの頃からの言い伝え的なものを漠然と信じていた。

初めてタンザニアを訪れ、野生チンパンジーの研究に参加したとき、この「アフリカ人は目がいい」を毎日肌で感じ、想像以上の出来事に驚かされた。まずは「遠くのものがよく見える」について。たとえば、森の中には高さ数十メートルを超える巨木があり、その上で休息するチンパンジーなど、声を出したり動いたりして物音を聞かない限り見つけるのは困難だ。そんな状況でも現地の調査助手は「ほら、チンパンジーがあそこにいるよ」と教えてくれる。眼鏡をかけた上からさらに双眼鏡を覗いても、私にはうっそうと茂った葉っぱ以外何も見えない。何度もどこにいるのかと尋ねているうちに、チンパンジーが動きはじめ、枝がきしむ音や葉っぱが揺れる音でようやくどこに居たのかがわかる始末。また、チンパンジーらしき黒い塊を樹上に見つけることにようやく慣れてきた頃。私がチンパンジーを発見し、「あ、チンパンジー」と言うと、彼らは「○○が居るよ」といったいどの個体が居るのかまで教えてくれる。チンパンジーらしき黒い塊としてしか認識できない私と違い、オスかメスか、若い個体か年寄りの個体か、一体どの個体なのかまで見えてしまうのだ。しかし、これは1年間観察を続けるうちに私にも彼らと同等までとはいかなくとも、かなり出来るようにはなってきた。

写真1:地上で休息するチンパンジー

彼らの目の良さは、遠くのものがよく見えるというだけではない。次は「隠れているものもよく見える」だ。チンパンジーを探して森を歩いていると、その他の危険にもよく遭遇する。中でも恐ろしいのは毒蛇だ。真偽のほどはよくわからないが、彼らはとにかくヘビを見ると毒があると言って警戒する。ところが、森の中では木々や草本、蔓植物、大きなシロアリ塚などあらゆるものが混在していて、そこにヘビが一匹潜んでいても私には発見するのは至難の業だ。いつも彼らが「ヘビだ!気をつけて!」と歩いている私の手を掴んで足を止めさせ、私が「どこどこ?」とキョロキョロしているうちに、「もういなくなった。」と言われてしまった。そんなときも視力の違い、いや観察眼の違いを思い知らされた。

そして、彼らの目の良さは「小さいものもよく見える」のだ。チンパンジー研究者を悩ませるものの一つに、砂ノミと呼ばれるノミの仲間がいる。砂ノミは非常に小さく、ヒトの足の裏の皮膚や足の爪に入り込んで卵を産みつける。最初はかゆみを感じるが、気づかず放置するとそのうち痛くなってくる。靴ずれかな、なんて思って油断しているとそのうち皮膚を切開しなければならないほどに悪化する。しかし、慣れてくると足に違和感を覚えた時点で「砂ノミかな」と気づく。しかし私にはよく見えない。そんなとき調査助手は私の足をじっと眺め、すぐに砂ノミを発見し、小枝を切り取って即席つまようじを作り、除去してくれる。こんな小さなものがなぜ見えるのか、またまた驚きである。

写真2:山の頂上から麓の村を眺める調査助手

 おまけに彼らは「暗くてもよく見える」らしい。チンパンジーを夕方遅くまで追いかけて、帰り道で日が暮れてしまったら、私はヘッドランプなしでは一歩も歩けない。だから調査に出かけるときはヘッドランプが欠かせない。帰りは何時になるかわからないのだから。でも、たまたまヘッドランプを忘れたときに限って、遅くまで観察できたりしてしまうのだ。そんなとき、彼らは真っ暗闇をヘッドランプなしでスタスタと歩く。私は手を引いてもらい、恐る恐るついて帰る。それでも石につまづいたり、段差が見えずにこけそうになったりする。キャンプの明かりが見えるところまで来たら本当にホッとする。私なら、舗装道路ですら何の明かりもなく歩くのは難しいだろう。ところが、山の斜面や川原の岩場でも、彼らは真っ暗な中をスタスタ歩く。

チンパンジーが棲む森は、何キロも先まで見渡せる大平原やサバンナではないけれど、やっぱり彼らは目が良かった。そして、彼らの目の良さに私は幾多の困難を助けられたことだろう。