『おまけ付き』の灯油(タンザニア)

井上 真悠子

私の肌が白いからなのか?外国人はみんなお金持ちだと思われているのか?それとも、適正価格を知らないと思われているからなのか?

買い物をしようとして、適正価格以上の値段を言われるたびに、そんなことを考えてしまう。「アフリカには『定価』がないからさ、みんなそうして交渉して買うもんなんだよ」と、現地の友人に慰められたりもするけれど、それでもやっぱり、なぜこんな高い値段を言ってくるのだろうかと、いつも何となく、少し悲しくなってしまう。マラリアで朦朧としながら病院で検査代の交渉をしていたときなんて、どうして私はこんなところでまで値切らないといけないのだろうか、と、弱りきった頭で考えたりもした。私が調査をしていたタンザニアのザンジバルは、観光地ということもあり、外国人観光客向けの値段と、現地の人向けの値段は10倍くらい違っていた。長期滞在していると、お店によっては私のことも現地の人たちと同じ扱いをしてくれる場合もあったが、時には外国人向けの高めの値段をふっかけられることも多々あったため、私にとって、適正価格の判断と値切り交渉は、ややこしい限りであった。

友人が言うとおり、現地の人びとにとっても、市場など大きい場所での買い物の際に「値切る」ことはとても一般的で、みな少なくとも2〜3回ほどはキャッチボールをくり返し、社交辞令のように値段交渉をおこなう。しかし、扱う商品も少なく、近所の人びとが毎日のようにこまごましたものを買うような小さな雑貨屋では、適正価格が周知されているため、値切り交渉はおこなわれない。そんな小さな雑貨屋で、私は値切り交渉に疲れて泣き出してしまったことがあった。

雑貨屋さん

当時、ザンジバルでお土産用の絵を描いている画家さんたちに弟子入りをして調査をおこなっていた私は、よく画家さんたちのお遣いで、絵具を薄める灯油を買うために作業場の近所の雑貨屋まで走らされていた。「200シリング分の灯油を買ってこい」と、画家さんから代金と使い古された絵具まみれの空き容器を渡され、それを雑貨屋に持っていくだけの簡単な使いっぱしりである。雑貨屋の店員のお兄ちゃんも、私が画家さんたちの手伝いをしていることを知っているため、特に何の問題も無く、いつも黙って200シリング分の灯油を容器に入れてくれていた。

しかしある日、いつものように200シリング硬貨を握りしめて雑貨屋に灯油を買いに行くと、その日はいつものお兄ちゃんではなく、何だか意地悪そうな顔をした見慣れないインド人のおじいさんが店番をしていた。おそらく、この雑貨屋の店主なのだろう。いつものように「灯油を200シリング分、ください」と絵具まみれの容器を渡そうとすると、おじいさんは私に「今日からは300シリング分からしか売れないよ」と、冷たく言い放った。困った私は、「でも、200シリング分って言われたので、量が少なくなってもいいから、200シリング分だけください」と食い下がったが、「ダメダメ、300シリングからしか売れないから」と、すげなく断られてしまった。

ああ、どうしよう。このままでは画家さんたちに「お遣いも満足にできないのか、やっぱり日本人は機械が無いと何もできないんだなあ」なんて、またバカにされてしまう。ああ、こんな近所の簡単なお遣いすらもまともにできないなんて、私はなんて役立たずなんだろう・・・そんなことを思っているうちに、私は何だかどんどん悲しくなってきた。「200シリング分の灯油が買いたいだけなのに・・・なんで?私が白いから?私は灯油も買えないの?」お遣いすらまともにできない自分が情けなく、また、どうしてこんなところでまでボったくられないといけないのかと腹立たしくて、とうとう、私は雑貨屋の前で、絵具まみれの容器を握りしめたままインド人のおじいさん相手に泣き出してしまった。

すると、おじいさんは急に困った顔になり、「いや、最近は灯油の値段がどんどん上がっていてね、今日からは本当に300シリング分からしか計れなくなったんだよ」と、事情を説明してくれた。それでもまだ自分がボられていると信じ込んでいる私は、しぶしぶ作業場に戻り、画家さんに事情を説明して100シリング硬貨を一枚もらい、しぶしぶ300シリング分の灯油を買った。でも、どうしてこんなにもボられるんだろう、どうしてこんなにもいちいち値切らないといけないんだろう、なんで、色が白いからってこんな思いをしないといけないのだろう。もう、買い物に行くのは嫌だ、と思った。

しかし、悲しい気分のまま翌日も作業場に行くと、画家さんの一人が、ぶつぶつと文句を言いながら灯油の容器を持って帰ってきた。「なんかさ、灯油、300シリング分からしか売れないんだって!また灯油の値段が上がったみたいだよ!」と・・・。そう、灯油の値段は、本当に値上がりしていたのだ。私の肌が白いからでも、おじいさんが意地悪だからでもなく、本当に、灯油の適正価格自体が値上がりしていたのである。

意地悪されたんじゃなかったのか・・・と、ちょっとほっとしてその日もまたその雑貨屋に行くと、おじいさんはちょっと困った顔で笑いながら、「悪いけど、今日も300シリングからしか売れないけど大丈夫かい?」と言ってくれた。そして周りの人たちに、「もう、この子は灯油の値段が高いって言って泣いてなあ・・・」と、笑って説明した。いい年をして泣いてしまって恥ずかしい限りではあったけれど、しかしそれ以降、そのおじいさんは会うたびにとても優しく接してくれるようになった。意地悪そうな顔をしたおじいさんは、実は全然意地悪じゃなくて、むしろ、とても優しいおじいさんだったのである。

アフリカにいると、たしかに私は外国人であり、びっくりするような値段をふっかけられることもある。そのためついつい「私が外国人だからボられてるのだろうか?」と思ってしまうけれど、しかし、必ずしもそうとは限らない場合も多い。そして、適正価格の判断はやっぱりまだ少し難しく感じるし、時々は疲れることもあるけれど、泣いて、笑って、人と人とのやりとりによって成立するアフリカのお買い物には、黙って差し出せばピッと値段が表示されるコンビニには無い、素敵なおまけが付いている。灯油のおまけは、意地悪そうな顔のおじいさんの、優しい笑顔だった。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。