タンザニアのザンジバル島で長期滞在していたとき、朝ごはんは私の「一番の楽しみ」だった。
当時、両親と兄妹8人という10人家族の中にホームステイさせてもらっていた私は、家で朝ごはんを食べることも可能だった。わが家の朝ごはんは、潰したショウガを入れた紅茶と、近所のパン屋で買ってきたザンジバル独特の「ボフロ」とよばれる小さなバケットのようなパンだった。焼きたてのボフロは外がパリパリで、中はふんわり。ザンジバルの人たちと同じように、ちぎったボフロを紅茶に浸して食べるのも、また美味しい。朝に飲むショウガ入りの熱い紅茶は、ホッと身体を和らげてくれる。最初のうちは、家で美味しく朝ごはんをいただいていた。
しかしある朝、うっかり寝過ごしてしまって朝ごはんを食べずに家を飛び出した私は、街中の軽食屋で、「葉っぱもの」との運命の出会いをはたしてしまったのである。島の西端にある1km四方ほどの小さな旧市街・ストーンタウンの中には、「ホテリ」とよばれる、ローカルフードを出す軽食屋が何軒もある。観光地でもあるストーンタウンで働く人は多く、彼らは出勤後や出勤途中に、こういった軽食屋に朝食を食べに来るのである。朝食を食べずに家を出てしまった私は、その日、初めてホテリで朝ごはんを食べた。
とりあえず、紅茶と・・・チャパティを1枚。ん?あの、あそこの人が食べている緑色のは何ですか?「ムチチャ」?葉っぱ?じゃあ、それもくださいな・・・。
ミルク入り紅茶とチャパティ、そして「葉っぱもの」一皿をオーダーし、席で待っていると、「あれ、お前もここで朝ごはん食べてるの?」と、何人かの顔見知りに声をかけられた。昼にしか会ったことのない人たちだったので知らなかったが、一人暮らしも多い出稼ぎの若者たちの中には、朝ごはんは外食で済ませている人も意外に多いようだ。
運ばれてきた「ムチチャ」は、緑色と白色が混ざったような色をしていた。店員のお兄ちゃんが、「味が足りなかったら、この塩を足してね」と、塩を置いていってくれた。塩を少しふって食べてみると、それは口の中でとろけるように柔らかく、美味しかった。白い色はどうやらココナッツミルクだったようで、ほんのりと甘い。以来、葉っぱものが大好きな私は、この「葉っぱもののココナッツミルク煮」にすっかりはまってしまったのである。
それからというもの、毎日何かと理由をつけては朝ごはんを食べずに家を抜け出し、街中のホテリで朝食をとるのが日課になった。通ってみると、ホテリの朝ごはんは意外に種類が多く、ムチチャとよばれる葉っぱものの他にも、カトレシとよばれる魚や挽肉が入った小さなコロッケ、牛肉のスープ、パッションフルーツやオレンジやタマリンドなどをブレンドしたフレッシュジュースなど、さまざまなメニューがあった。タンザニアの人々が好むマハラゲという豆の煮物は、もちろんどこの店でも必ず置いてある。ウガリや米などは昼食にしか食べないので、朝ごはんのメニューには入っていない店も多いが、そのかわりに朝は、小麦のパン、米のパン、ナンのような薄いパンなど、さまざまな種類のパンがそろっている。また、マンダジとよばれる揚げパンやチャパティなども、できたてのものが店頭に並んでいて、とても美味しい。
そうして毎日通っているうちに、朝ごはん屋さんでの人付き合いなんかも、何だか楽しくなってきた。紅茶が熱くて飲めないでいると、隣に座ったおっちゃんが「熱い?じゃあ、こうして飲んだらいいんだよ」と、カップの受皿にザバーっと紅茶をあけると、日本酒の杯さながらに、皿から紅茶をクイっと飲む、という、猫舌のための飲み方を教えてくれた。チャパティだけを先に食べて、後からゆっくり紅茶を飲んでいると、「なんで紅茶とチャパティを一緒に食べなかったんだ」と、“ばっかり食べ”を怒られる子供さながらに怒られたりもした。隣の席のおっちゃんや店員のお兄ちゃんに「これは美味しいから食べてみろ」と勧められることで、新しい味を知ることも多かった。
また、昼に会うときには仕事の話しかしなかった出稼ぎ観光業のお兄ちゃんたちとも、出勤前のホテリで会えば、ゆっくり色んな他愛もない世間話ができた。故郷の話や、お母さんの作ったご飯の話。昨日の夜はどこに遊びに行ってたとか、どんなところに住んでるとか、彼女と同棲しているとか、子供が昨日からマラリアだとか。普段、ギラギラした目で「ヘイ、ハロー!」と観光客相手に激しい客引きをおこなっている姿と、ホテリで朝ごはんを食べながら私生活の話をしている姿とはずいぶんとギャップがあったけれど、彼らはそうやって毎日頑張って仕事をしてるんだなあ、と思うと、どちらの姿も何だか愛おしくなってくる。
毎日ムチチャとよばれる「葉っぱもののココナッツミルク煮」を食べ続けている私を見て、彼らは一様に「俺はムチチャは嫌いだ。なぜなら、貧乏臭いから。」と言っていた。そんなことを言われながらも、私はムチチャを食べながら、彼らはマハラゲを食べながら、朝のゆっくりとした時間を共にする。みんなと一緒にごはんを食べて、色んな話をする。そんなささやかなひと時が、ザンジバルの空気の中に私をなじませていってくれたのである。
ザンジバルで食べる朝ごはんは、何だかとても暖かくて、美味しかった。一方、日本での朝ごはんは一人で黙々と食べることが多く、寂しいものである。今はただ、あのザンジバルの朝ごはんの風景が恋しくてたまらない。ホテリでおっちゃん達に囲まれてムチチャとチャパティをほおばりながら、カップの受皿にあけた紅茶を、クイッと一気に飲みほしたい。