八塚春名
2020年3月16日。タンザニア第1号のコロナ感染者が出たというニュースを、わたしはタンザニア南部の町イリンガのホテルで聞いた。さっきまで一緒にいたレンタカーのドライバーさんに電話をしたら、「車のラジオでニュースを聞いたよ。でもたったひとりだし、外国帰りの人だし、もう入院しているし、大丈夫」と、とても落ち着いた感想がかえってきた。もともと3月にタンザニアに行くと決めたときから、アジア人だからと街中で「コロナ」とからかわれたりしたらイヤだなと心配していたが、今日までそんなことは一度もなかった。これを機に、みんなのわたしへの視線ががらりと変わったらどうしよう、と気になりながらも、おなかが減ったので夕飯を食べにホテルの階下にあるレストランに行った。レストランの女性は、わたしの心配なんて無駄だったかのように、ふつうに接してくれた。ほっと一安心。ただ、唯一異様なのは、レストランのテレビがずっとコロナ第一号のニュースを報じていることだった。
その日からさかのぼること2週間、3月3日にわたしは日本からタンザニアに到着した。その頃、タンザニアの大統領が、コロナ予防のために、手ではなく足と足を合わせて野党の議員と挨拶をした、という写真が新聞に載り、みんなの話題になっていた。まじめに真似をする人もいたらしいが、その頃はほぼ笑い話として受け取られていた。
数日後の3月7日、わたしは15年以上にわたりお世話になっているタンザニア中央部の調査村に来た。村でもコロナはホットな話題のひとつだったが、村の人たちは相変わらずひとつの皿からの共食を楽しみ、お酒を回し飲みしていた。ある日、村のおばちゃんがこんなことをいった。「むかしはエイズをとても恐れていたけれど、今やエイズは死なないふつうの病気になったでしょ。コロナもそんな感じよね、きっとすぐにみんな慣れるわ。」 数日前までわたしがいた社会では、あっという間にマスクや消毒液がなくなり、近所のスーパーには、毎朝オープンの1時間前から人が並び、とにかくみんなが焦っていた。一転、いま目の前でわたしにさらっと語ったタンザニアのおばちゃんは、とても落ち着いていて、めちゃくちゃかっこよく見えた。
さて、この村でわたしがホームステイをする家は、キリスト教会のすぐ隣にある。だから日曜の朝にはわたしもミサに行くことにしている。毎回ミサの最後には、参加者に連絡事項を伝える時間がある。わたしが村に来て1週間たった3月15日(日)、「ムゼ―・シキリーザ」というあだ名の男性が連絡を伝える役目だった。ムゼ―とは、スワヒリ語で高齢者につける敬称で、シキリーザとは「(注意を向けて)聞く」という動詞で、この場合は命令形の「聞きなさい」。彼はミサ後の連絡タイムに、「シキリーザ、シキリーザ」とよくいっている。その顛末として、みずからのあだ名が「シキリーザ」になったのだ。
この日のミサのおわり、ムゼ―・シキリーザはいつものとおり「シキリーザ」といったあと、参加者にこう伝えた。「隣のケニアでコロナの感染者が出た。わたしたちは、なるべく手で顔を触らないようにしよう。握手をして挨拶をすることはとても大切だけど、今は握手をやめよう。手を握るかわりに手を挙げて、やあ!と挨拶をしよう。」教会のなかでは、ムゼ―・シキリーザが「やあ!」と手を挙げる姿を見て、クスクスと小さな笑い声が起こった。そんな挨拶をする人、この地域にはいない。
連絡タイムの後、いつもなら教会を出たところで、参加者どうしの挨拶合戦がはじまる。その日もいつものようにみんなが手を出してきて「おはよう!」と挨拶をしてきてくれた。わたしはわずか数分前のムゼ―・シキリーザのお達しを忘れて、出された手を握ってしまった。すぐにはっと我に返り、さっと手を離した。でもおばちゃんたちは「握手をやめるなんてムリよね」、「あんなお達し守れないわ」、「やあ!って手を挙げるんだって(笑)」と笑っていて、感染症への悲壮感はちっともなかった。挨拶をとても大切にするこの大陸で、目の前にいる人の手をがしっと握って挨拶ができないなんて…と寂しい気持ちを抱えつつも、しぶしぶ決意をしたはずだったのに、おばちゃんたちの笑い声に、わたしの憂鬱な気持ちは、いいのか悪いのか、ラクになってしまった。
翌日、わたしは冒頭のとおりタンザニア南部のイリンガへ行き、数日間の調査をしたのちに、飛行機を2日早めて日本に帰国した。コロナの感染者が出た後の数日間も、タンザニアはとても落ち着いていた。ただ、お店やホテルの入口に、蛇口のついたバケツと石鹸が設置され、手を洗わないと中へ入れてくれなくなった。入口で率先して手を洗おうものなら、門番に笑顔で褒められたりもした。そして、幸か不幸か、今年のタンザニアは各地で浸水被害が相次ぐほどの大雨で、手洗いの水は十分すぎるほどにあった。こうしてみんなが手を洗い、気を付けて、平穏に日々を送れればいいなと思った。帰りの空港は、カウンターで搭乗手続きを待つ外国人の長蛇の列は、いわゆる「密」だったが、出国手続きに進む前には全員に検温があり、消毒液を手に付けないと進ませてくれなかった。誰も混乱せず、コロナ禍でも、居心地はちっとも悪くなかった。
その後のタンザニアは、かなり独自のコロナ対応をとり、今は「コロナ・フリー宣言」まで出ている。本当のところはどうなのか、わからないけれど、とりあえず、わたしの友人たちはみんな元気だ。電話口で「日本はだいじょうぶ?大変そうね、気の毒に」とわたしを心配してくれる。彼女たちはいつも「こっちにコロナはもうないよ」と楽しそうにおしゃべりをしている。東京に暮らすわたしが、結局のところ、自粛中にいちばんうらやましかったのは、電話の向こうのタンザニアの友人たちだったのかもしれない。彼らとわたしとのあいだで、何がそんなに違うんだろう。考え出すときりがないけれど、少なくとも、未知のウィルスを前にしながらも、「握手をやめるなんて、ムリよね」と明るく笑い飛ばす、あの空気を生み出せる力は、とてつもなく偉大な気がする。