電気のない生活だからこそ「あるもの」は?(タンザニア)《umeme/電気/スワヒリ語》

岩井 雪乃

私がかよっている村には電気(umeme)がない。だから、生活は不便だ。

たとえば、村でミルクティーを飲もうとしたら、何をするか? まず水くみから始まる。水を供給するには電気ポンプが必要だ。日本でも停電になると水が止まるのは、みなさんご存知だろう。だから村には水道がない。井戸やため池、川までくみに行かなければならない。水場に近い家でも30分はかかるし、多くの家庭では1時間以上かかるのがあたり前だ。

写真1 連れ立って水くみ
 

次は牛乳だ。電気があって冷蔵庫があれば、牛乳を保存しておいていつでも使えるだろう。しかし、それができない村では、乳搾りからしなければならない。牛を飼っていない家庭は近所から買ってくる。そして、このタイミングは朝しかない。日中は牛が放牧に行ってしまうし、家に帰って来た夕方は乳量がもう少ないのだ。つまり、ミルクティーは朝しか飲むことができない。

写真2 薪で調理
 

そしてお湯を沸かす火は、薪を使う。電気コンロはもちろん、ガスもないので、ここでも長いプロセスが必要だ。薪を集めて使いやすく小さくし、慣れが必要な火おこしをして火加減を調節し、ようやくお湯が沸かせる。村ではこのようにたくさんの労力を経て、ようやくミルクティーを飲むことができる。それも朝だけ。

日本では、たくさんの電化製品を使うことで、飛躍的に時間と労力を省いている。冷蔵庫で食材を保存しておけば、いつでも使うことができる。洗濯機や掃除機を使えば、短い時間で服や部屋をきれいにできる。炊飯器を使えば、ご飯を炊くのもスイッチを押すだけ。そんなに便利になるのだから、家事を担う村の女性たちは、電気が使えるようになることを待ち望んでいる。

写真3 制限のある環境でがんばる子どもたち
 

また、夜の明かり、電灯も、電気の重要な役割だ。これがない村ではどうしているか? ランプの火をともしている。燃料は灯油。煤がガラスにつくので、毎日ガラスをみがくのはお母さんの仕事。これも毎日となると手間がかかる。そして、ランプの揺れるわずかな炎で、子どもたちは必死に宿題をする。よく見えないから効率は悪いし、やる気も下がってしまう。勉強したくても、できない環境なのだ。

このように、電気がないと不便なことが多い。しかし、電気がないからこそ「あるもの」もある。

それは、「コミュニケーションの機会」だ。要するに、「おしゃべりの時間」といってもいい。水をくみにいけば、集まっている女性たちでおしゃべりに花が咲く。日本でも「井戸端会議」という言葉があるように、水場には人が集まりコミュニケーションの場になる。家事労働は、手を動かしながら話すことができる。洗濯をしながら、料理をしながら、バケツを頭にのせて歩きながら、女性たちはさまざまな情報交換をする。

写真4 近所の人が集まった日の食事
 

夜は、ランプの周りにみんなが集まって、おしゃべりタイムになる。男性も子どもも、ご飯ができるのを待ちながら、そしてご飯を食べ終わってからも、わいわいガヤガヤと話している。新しい情報は、こんなおしゃべりの中で共有されるし、お客がくれば、村の外の様子を聞くこともできる。おじいちゃんやおばあちゃんから、孫たちに昔話がされることもある。

こうして村では、おしゃべりの時間がたっぷりあり、それが娯楽であり、そこで情報交換や意思伝達のコミュニケーションがとられ、家族の絆やコミュニティのまとまりがつくられていく。

しかし、決して彼らが好んでそうしているわけではないように思う。テレビがあればテレビを見るし、ケータイがあればケータイをいじるし、まんがやゲームがあれば、そちらのほうが子どもは面白いだろう。それらがないから、暗くてできないから、他にやることがないから、他に娯楽がないから、おしゃべりで楽しみを生み出しているように思う。

私のホームステイ先のママは、電気が家に届く日を、今日か明日かと心待ちにしている。実は、電線は昨年、村まで開通したのだ! 本線から各家庭に電線を引き込むのは自己負担になる。その費用の支援をママに頼まれた時、私は心の中でがっかりしていた。とうとう、この村にも、この家にも、電気が来てしまうのか・・・すぐにではないかもしれないが、やがて、あの豊かな集いの場、おしゃべりの時間は失われてしまうのか・・・

日本で便利な生活を享受している自分がこんなことを思うのは、先進国の人間の傲慢だということはわかっている。ママが毎日大変な労働をしていることは、この20年見てきた。電気で、ママが楽になってくれるのは娘として、とてもうれしいことだ。とは思いつつも、残念なような、淋しい気持ちは湧きあがってきてしまう。

それは、日本のわが家のコミュニケーションが足りないと感じているからなのだろう。私には夫と二人の娘がいるが、夜みんなが家にいても、それぞれにPCに向かったり、勉強したり、まんがを読んだりテレビを見たりしている。それぞれの部屋に電気があるから、同じ家の中にいてもバラバラだ。まだ携帯電話は禁止にしているが、それもいつまでできるか・・・これをいかに改革できるかは、私の課題だ。

村のママは、電線を引き込んで、電気を使う準備を万全に整えた。しかし、あれから1年、まだ電気は届いていない(苦笑)。3日間だけ通電したそうだが、送電機か何かが壊れたらしく止まってしまった。そうこうしている間に、5年に1度の総選挙キャンペーン期間に突入し、行政は機能不全に陥って、未だに復旧されていない。選挙が先日おわったので、そろそろ復旧するだろうか? 幸か不幸か、ママには申し訳ないが、タンザニアの変化は、私が危惧するようなスピードでは進まないようだ。日常のおしゃべりタイムは、これからも続きそうだ(笑)。