ご飯と魚《wali na samaki》(タンザニア)《wali/ご飯/スワヒリ語》

藤本 麻里子

私たち日本人の食事の基本といえば、もちろん白いご飯。パンやパスタの普及で米の消費量が減少しているとはいえ、今でも多くの人が白米こそ日本人の主食と考えていることと思う。タンパク源はといえば、和食を代表する寿司や刺身、焼魚や煮魚といろんな調理法で楽しめる魚。近年は若者の魚離れが進み、日本人一人当たりの動物性タンパク質摂取量に占める魚介類の割合は年々下がっているという。特に若い世代では、魚介類に代わって肉の消費量が増加傾向にあるというが、やっぱり季節ごとの旬の魚は魅力的な食材として認識されているだろう。

私が調査を行う地域は、タンザニアのタンガニイカ湖に面したキゴマ州とインド洋に浮かぶザンジバル島とどちらも水辺のため、魚が手に入りやすく、調査中にも魚を食べる機会が多い。キゴマ州のタンガニイカ湖畔ではトウモロコシの粉をお湯で練った練粥、ウガリ(ugali)を食べる頻度が高く、ウガリに魚料理が一般的な食事だ。お米も作られているので、ご飯も食べられているが、多くの人にとって主食と言えばウガリ、ご飯は2番手、という位置づけだ。スワヒリ語でご飯はwaliと呼ばれ、魚はsamakiと呼ばれる。wali na samakiを英語にすればrice and fishとなり、タイトルの通り「ご飯と魚」という意味になる。家庭では主食2番手とはいえ、キゴマの街中の食堂に行けば、wali na samaki (ご飯と魚)というメニューは必ずあるので、私はローカル食堂ではwali na samakiをよく食べる。特にタンガニイカ湖を代表する魚、ムゲブカ(mgebuka)(Lates stappersii)は味も姿もサンマによく似ていて、とても美味しい。

写真1 キゴマ州のローカル食堂のwali na samaki
 

タンザニアのローカル食堂の定食は、主食と主菜以外に副菜が2種とmchuziと呼ばれるトマトベースのスープがセットになっている。wali na samakiを注文すれば、ご飯、揚げ魚、豆の煮物、菜っ葉の煮物、トマトスープが標準的な定食メニューだ。主食はご飯(wali)とウガリ(ugali)から、主菜を鶏肉、牛肉、魚の中から選べるのが一般的だ。食堂によっては季節の果物が添えられる場合もある。栄養バランスが良く、ご飯と魚が好きな日本人にとってタンザニアのローカル食堂のwali na samakiは、まずまず満足度の高い食事だといえる。

写真2 ダルエスサラームのローカル食堂のご飯と鶏肉定食
 

キゴマ州の家庭ではウガリを主食とすることが多いのに対し、インド洋の島嶼部ザンジバル島では主食といえばご飯(wali)だ。ウガリも食べることはあるが頻度がとても低く、ザンジバルの漁村の家庭に泊めてもらう間は、毎日の夕飯の主食はご飯で、おかずには魚がつくことが多くwali na samakiの毎日だった。ザンジバルの食堂では、魚以外の魚介類も豊富で、中でもタコのココナッツミルク煮込みは絶品だ。タンガニイカ湖にタコはいないので、こちらはザンジバルをはじめ、インド洋に面した地域限定で食べられるメニューとなる。

写真3 ザンジバルの食堂の“ご飯とタコのココナッツミルク煮込み”
 

しかし、ご飯(wali)といっても日本のご飯とタンザニアのご飯には色々と違いがある。米の品種の違いはもちろん、調理法が異なるのだ。キゴマ州の家庭でご飯を炊く時は、米に塩とサラダ油少々が加えられる。一方のザンジバルではココナッツミルクを加えて炊きあげられる。そのため、見た目は白いご飯で同じようにご飯(wali)と呼ぶけれど、風味は2つの地域で大きく異なる。私はどちらのご飯も美味しくいただくが、やっぱり水だけでふっくら炊きこんだ日本のご飯が一番だ。タンザニアの人たちにサラダ油も塩もココナッツミルクも入れずに、水だけで炊いたご飯が日本人の主食だと話すととても驚かれる。もちろん、調理せず、生で食べる刺身こそが一番贅沢な魚の食べ方だと話しても絶対に理解されない。タンザニアでは各家庭に冷蔵庫が普及しているわけではないし、生で魚を食べる習慣はない。

日本人はどんな食べ物が好きで、どんなものを良く食べるのか、と問われると、私は即座にwali na samakiだよと答える。それを聞くとタンザニアの人々は皆、一様に胸をなでおろし、「じゃあこっちの食べ物も平気だね」という。でもその後、私が水だけで炊いた真っ白な日本のご飯のことや、新鮮なうちに捌いて生で食べる刺身について説明すると、多くのタンザニア人は顔をしかめる。彼らにとって未だ見ぬ日本の刺身定食は、彼らにとってのwali na samakiとはあまりに違い過ぎて想像がつかないようだ。いつか彼らに和食のwali na samakiの美味しさを味わってもらいたいと、調査に行くたびに強く思うのでした。