ベアタさんの家:女も家を建てる

溝内 克之

「舗装道路からクワ・マングールワ市場を抜け、山道を10分ほど下るとベアタさん(仮名、女性)が建てた新しい家があるので、その角を左に曲がる。そこからすぐ右手に見えてくる黒い鉄のゲートの家が私のホームステイ先だ。」

タンザニア北部キリマンジャロ山間部にある私のホームステイ先までの道を伝える際に、おおかたこのように説明する。土地勘のある人だとすぐにわかるほど近代的で大きなゲートが目立つベアタさんの家はよく知られている。

2010年頃、今はベアタさんの家が立っている土地のコーヒーが引き抜かれた。キリマンジャロ山間部は、コーヒーの生産地としてよく知られているが、コーヒーの老木化、急激な人口増加による土地不足、2000年前後のコーヒー販売価格の下落などを背景としてコーヒー生産から離れる世帯が現れていた。コーヒーを抜いた村の人々の説明をなぞるように「お金にならないからねえ」と畑の整地をしていた男性に話しかけると「ちがうちがう、新しい家を建てるんだ。ベアタが土地を買ったんだ」と教えてくれた。ベアタさんが同じ親族集団の男性から土地を購入し、家を建て始めたのだ。

ベアタさんは、タンザニア最大都市ダルエスサラームで商売をしている女性で、彼女の生家が私のホームステイ先の隣りなので面識があった。彼女は、暇を見つけては年老いた母親にたくさんのお土産とともに会いに来ていた。「カカ(兄弟という意味のスワヒリ語)、私のおかあさんの話し相手をしてくれているらしいね」といって私にもビールをおごってくれるような人だった。

1980年代半ば、小学校を卒業したベアタさんは、父親の商売を手伝い始めた。その当時、ベアタさんの父親はケニアから石けん、塩、ガソリン、布、衣類、様々な雑貨を持ち込み、物資が不足する都市部へそれらの製品を運ぶ商売で財をなしていた。当時のタンザニアが経済的に厳しい状況で工業品など多様な物資の入手が困難な時代であった。その交易は公式な出入国地点を通るわけでなく非合法なものであったが、「我々が都市の生活を支えたんだ」と話す村の老人もいる。ベアタさんは父親の仕事を手伝いながら商売の方法を覚え、女性向けの布や衣類をダルエスサラームで販売し資本金を貯めた。経済が自由化され、経済が上向きになり、さまざまな物資が出回るようになった2000年代以降には密貿易は徐々に下火になっていったが、その頃には彼女はダルエスサラーム最大の商業地カリアコーに店舗を構え、タイや中国から輸入した子供服や婦人服を販売するようになっていた。2000年代以降のタンザニアの経済成長と個人消費の伸びを背景に彼女の商売は順調であったが、3人の子どもたちの父親との関係はうまくいかなかった。ベアタさんはカリアコーに並んで店舗を構える姉たちと助けあいながら商売と子育てをしていた。調査の合間にカリアコーのベアタさんとその姉たちの店を訪ねると、いつも彼女の商売を手伝う子どもたちがいた。ベアタさんは、「私は小学校しかでていないけど、苦労しながら息子や娘たちを学校に行かせたわ。英語も話せるのよ。フォーマルな仕事に就けなくても商売をさらに大きくしてくれるわ」。高校や大学に通いながら彼女の仕事を助けていた子どもたちのことを誇らしげに話してくれた。高等教育を終えた子どもたちは、ベアタさんの代わりに中国やタイまで商品の買い付けに行っていた。

ある日、家の建設の進捗を確認するベアタさんを見つけ「ダルエスサラームにも家があるのに村にも家を建てたんだね。きれいな家だね。費用が大変だよね」と声をかけた。

「カカ、家屋がなかったら私の子どもたちや孫たちが将来クリスマスやイースターの休暇で帰省した時に、どこに寝るというんだい。私が死んだらどこに埋葬されるというんだい。ここがニュンバーニ(故郷:直訳すると家屋の場所)よ。」

当たり前のことを聞くんじゃないよ、と言われたような気がした。

キリマンジャロ山間部を故知とするチャガ人の社会では、土地を相続するのは慣習的に男性であり、家屋は男性が建てるものだ。以前、「アフリカ便り:家建設狂想曲(タンザニア)」として故郷に瀟洒な家を争うように建設する男性たちの話しを書いた。ときに都市の商売を駄目にするほどお金をつぎ込んでしまう男性もいるほどだ。男性たちは日頃は寝泊まりしないそれらの瀟洒な家屋を建てる理由を私に教えてくれるが、共通する説明はそこに将来埋葬されるための準備であり、家屋が「墓」と形容されることもある。

女性の場合、結婚して男性側の親族集団に属し、嫁ぎ先の土地に埋葬されることが「普通」であり、女性が村に家屋を建設することは「普通ではない」行為であった。しかし、よくよく村を観察するとベアタさん以外にも家を建てた女性たちがいる。ある人はベアタさんと同じような人生を歩んでいた。あるエンジニアの女性は、大学まで行かせてくれた両親のためと自らが家を設計して家屋を建てていた。別の女性は女手一つで育ててくれた母親のために家を建てていた。なかには「今時、夫なんて信じて生きていけないわ。いつ逃げられるかわかんないから女も家を建てておくのよ」と教えてくれた女性もいた。家屋には多様な女性の生き方や家族との関係が刻み込まれているように見える。

都市でのビジネスに成功した女性の家

2018年、ベアタさんは病に倒れた。彼女の遺体は、ダルエスサラームから故郷の村に運ばれ、彼女の家屋の庭畑の一角に埋葬された。彼女が都市で稼いだ金で建てた家は、彼女が生きた証しとなり、ダルエスサラームで生まれ育った彼女の子どもたちが母を想い都市から帰省する「故郷」となっている。