北ケニアの牧畜民トゥルカナは、アフリカの中でもよく歩く人たちだと言ってさしつかえないだろう。子供や若者は家畜の放牧のために、一日中歩いている。女性は水くみや家畜に水をやりに行ったり、植物の採集に出かけてたりしていて、これも一日中歩き回っている。老人たちも、木陰で談笑しているばかりではない。
あるときはどこの家で結婚式があると行って、出かけていく。トゥルカナは住居を頻繁に移動させるので、目指す家の場所はわからないこともよくある。人に尋ねながら行くのだ。結婚式は予定通り行われるとは限らない。その日おこなわれないことがわかると、また翌日出かけていくのだ。そんなことを何日も続けている。
僕は調査に自動車を使っていた。この土地—トゥルカナ・ランド—はケニアの首都ナイロビからだいぶ離れた場所にあり、自動車がないと行きにくい。自動車は便利な乗り物だが、あればあったで大変なことも多い。燃料の心配をしなくてはならない。故障の心配もいる。そして実際によく故障する。道が悪いからだ。道のない場所を走らなければならないこともある。
自動車を持っていると、どこそこまで連れて行ってくれ、という人びとが大勢あらわれる。なかなか断りにくく、たいていは乗せることになる。生まれそうな妊婦を診療所まで乗せていったこともある。そんなことを繰り返しているうちに燃料が減る。燃料を入れに、町まで行かなくてはならない。そして乗せればまた、彼らはどこまでも車で行きたがる。道のないところでは、運転にも神経を使う。運転するよりも歩いた方が楽だと思うこともある。僕は車を止めて歩きたい。パンクしたらどうするのだ。修理のためにまた町に戻らなくてはならない。車を持った僕は自由に歩き回るトゥルカナの人たちがうらやましくなった。
僕が山から帰ってきてしばらくしたある日、隣の家の老人が、「私の家のロバが行方不明になったので探しに行く」言ったまま、何日も帰ってこなかった。そのまま1週間もたったころ、ようやく自分のロバといっしょに帰ってきたのだった。僕は、ロバを探すために隣の家の老人の費やした途方もない労力のことを考えた。そして老人にとってのロバの価値を思った。