箒を持つ少女(ケニア) 《Fagia/掃除する/スワヒリ語》

庄司 航

ある日の午後、私は家の中で、調査の一環として作った植物標本を作製する作業をしていた。植物を折り曲げて新聞紙にテープではりつけ、数枚の新聞紙ではさむ。そうしてできた標本の束を2枚の板ではさみ、石で重しをして乾燥させる。それをひとつの植物につき、2セット作る。ひとつはケニアの植物学者に種類を識別してもらうためで、もうひとつは資料として日本に持ち帰るためである。午前中にいくつか植物を集めてきたので、早いうちに標本にする必要があった。単純労働ではあったが、時間のかかる、労力のいる作業だった。

外は雨が降り始めていた。この土地では毎日のように午後になると強い雨が降る。日本でいう、夏の夕立に相当するものだ。雨季でも乾季でも同じように、午後になると雨が降るのだった。こんな作業をしているのは、雨の間の時間をつぶすためでもあった。

この部屋は、この家の家族が食事をしたり寝たりする部屋とは離れたところにある。ふだんは使われていないので、私の滞在中、寝泊まりのために使わせてもらっているのだった。

栽培植物起源学の中尾佐助氏は、著書『秘境ブータン』の中で、植物標本を作っているとき、心は無になり、その過程が楽しい、と述べている。

だが私の心は中尾佐助氏とは違って少しも無にはならず、手は動かしながらも、さまざまな考えが浮かんでは消えていく。

私はケニアの公用語であるスワヒリ語がなかなか上達しないことを気にしていた。正直なところ、ケニアに合計2年も滞在していながら、私ほどスワヒリ語ができない人がほかにあるものか、極めて疑わしい。おまけにこの地域の現地語のマラゴリ語にいたってはほとんど話せないのだ。

幸い英語は話せたので、英語が通じる人とは英語で話ができる。ただ暮らすだけならばこれでもよいだろう。しかし私は何かを知るためにここに来たのではないのか。

現地の言葉を習得し、長期間現地に滞在して濃密な調査をおこなうことの重要性を指摘したのは、ポーランドの人類学者ブロニスラフ・マリノフスキーであった。マリノフスキーは、第一次世界大戦のため、ヨーロッパに戻ることができなかったという偶然も作用し、ニューギニア東方のトロブリアンド諸島で2年間の長期調査をおこなうことになった。彼のように長期かつ現地社会に入り込んで調査をおこなった研究者は、それまでにいなかったといってよかった。この功績により、マリノフスキーの現地調査の方法論は、以後文化人類学のスタンダードとなる。

しかし、マリノフスキーの死後出版された調査中の日記『マリノフスキー日記』には、イメージと異なり、現地に溶け込めず苦悩する様子が克明に記されており、関係者に衝撃を与えた。

一方の私も、いつまでたっても現地に溶け込んだという感覚を持てずにいたのだった。

標本を作る作業を終えた私は、自分がいつも寝ている部屋に移動した。壁は土と牛糞でできており、床は牛糞でしきつめられている。これがこの地域に住むマラゴリ人の普通の家の作りである。乾燥しているので、匂いはせず、抵抗感はあまりないものだ。私はこの部屋にナイロビから持って来たマットレスを敷き、周りに荷物を広げて寝ている。

雨はいまだに激しく降っていた。トタン製の屋根に雨粒が当たる激しい音が響いている。私は雨があがるのを待つことにした。こんなとき、マリノフスキーであれば『モンテ・クリスト伯』を読むことだろう。『マリノフスキー日記』には狂ったように本を貪り読む姿が記録されている。100年後の21世紀の調査者である私は、日本から持ってきたiPadを広げ、『シュタインズ・ゲート』というゲームを始めた。心はアフリカとも植物とも関係のない、日本の秋葉原へと飛ぶ。

※  ※  ※

気がつくと、トタンの雨音が消えていた。鳥の声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。ついこのあいだ、名前を教わったはずだ。あれは何という鳥だっただろうか?

雨はいつの間にか上がっていた。私は知らないあいだに眠っていたようだ。雨が降ると眠くなるのはいったいなぜだろう。気圧が変わるせいか、あるいは雨の音のせいか・・・

ドアをたたく音がした。タビサ(※仮名)という、7歳のこの家の女の子であった。

「庄司さん。寝てるの?」
「いや、今起きた」
「掃除するよ」

そう言ってタビサは箒を見せた。

靴の泥や壁が少しずつ崩れてくるせいで、床にはしだいに砂がたまってくるのだった。

「チャイ(※紅茶)もあるから来て」
「今行く」

私は言った。そうだ。私は彼女のスワヒリ語はほとんど理解できるのだ。無論、彼女はまだ小さく、語彙が少ないからでもあるが、しかし、掃除をするとかしないとか、些細なことではあるが、私はこうしてスワヒリ語で話をしているではないか。私も、そう捨てたものではないだろう。このタビサの「fagia(※掃除をする、という意味のスワヒリ語)」という言葉に私は希望を感じていた。

私は立ち上がり、靴を履いた。この時間の紅茶は、ミルクが入っていない。砂糖のたくさん入ったミルクティーは私には甘すぎたが、砂糖入りのストレートティーはなかなか悪くない。雨があがって気温が急激に下がったことであるし、きっとうまいだろう。

タビサはすでに箒を手に、床の砂を掃き始めていた。

「タビサはよく働くねえ」

私が言うと、タビサは照れたようにクネクネと体を動かして笑った。