肉は切るもの? それとも……(ケニア)

目黒 紀夫

ひさしぶりに日本からケニアに行って料理をしようとするときにいつも思うのは、野菜や肉を切ることが日本ほどに楽じゃないということだ。ニンジンやジャガイモだけでなく、トマトやピーマン、それにキャベツだって日本のよりもかたく、安価な包丁(というかナイフ)で切ろうとすると、「あれっ? かたい!」ということになる。僕はかためで味がしっかりしているケニア産の野菜は大好きなのだけれども、包丁の切れ味がにぶっていたりすると、「押しながら/引きながら切る」というよりも「柄を握りしめて断ち切る」ような感じにどうしてもなってしまう(注:あくまで個人の感想です)。もっとも、ケニアの人たちからすれば、そんな野菜の硬さも包丁の切れ味の鈍さもあたりまえなわけで、多くの女性は家にまな板などもっておらず、たとえば日本人が豆腐を切るときのように、手のひらのうえだったり束ねた指だったりを支えにして、日本のよりも固いケニアの野菜をザクザクザクザク軽快に切っていく。だが、そんなケニアの女性たちにとっても、どうやら肉はなかなかに難物らしいとあらためて気づいたのは、この数年のことである。

台所での食器洗い 女性はいつも中央の椅子に座ったまま野菜を切ったり鍋を混ぜたりする

いつも泊めてもらっているマサイの調査助手の家では、普段の食事で肉が出てくることはほとんどなく、あっても1回の食事で3、4切れを野菜やご飯のなかに見つける程度であった。結婚式や葬式などの特別な行事のさいに、ウシやヤギがつぶされてバーベキューが行われることもあるけれど、それは2〜3ヵ月の滞在中に1回あるかないかという感じである(アフリカ便り「『おいしく』て『たのしい』牧畜社会の焼き肉」参照)。そんなわけで、調査をはじめて最初の数年間は、すなおに「肉がなかなか食べられないなあ」と思っていた。しかし、実は近くの町には何軒もの肉屋がある。それで今さらながらに気づいたのが、「肉を食べたいなら家族の分もふくめて買って帰ればいいじゃないか!」ということだった。年によって値段は上下したりもするけれども、牛肉1kgはせいぜい400円前後と日本に比べたら格安である(しかも、おいしい!)。ということで、そう思いついた翌日、調査を終えて町から家に帰る途中、とある肉屋でその日の夕食用にと牛肉を1kg買って帰った(当時、調査助手の家には、僕もふくめて大人3人、子供4人が暮らしていた)。

たいてい町の肉屋は、通りに面したガラス越しにウシやヤギの肉の塊をつるしていて、注文におうじて肉を切り出してくる。そのさいに使われるのは、かなり大ぶりのナイフであったり大きめの糸のこぎりであったりする。あとになって思いかえすと、注文を受けると肉屋のおじさんは最初にナイフを棒状の砥ぎ石で砥ぐことをよくしていた。その日はとくになにも考えずに1kgの塊を家にもって帰り、おいしく夕飯でいただき満足していたのだが、数日後にまた肉が食べたくなって調査助手に「帰りに肉を買って帰りたい」といったら、「ちゃんと肉を切ってもらわないと」といわれた。そして、その日は調査助手と一緒に肉屋に行って注文したのだが、彼は塊の重さを量り終えた肉屋に「(肉を)よく切ってくれ」といっていた。すると、肉屋は量りの横にあったまな板の上で肉塊を一口大へと切り分けはじめた。

肉屋のおじさんたち

そんな肉屋を見て最初は「へー、切り分けてくれるんだ」と感心するぐらいだったのだが、切っている様子を見ているうちに、意外にこの作業はたいへんなのかもしれないと思うようになった。もちろん、野菜よりも肉の方が切りにくいというのは、自分の日本における(わずかな)料理経験から知っていた。しかし、日本であれば、左手も右手も野菜のときよりもちょっと力を入れて切っていくという感じではないだろうか? ケニアの肉屋はというと、なかなかに体格のいいおじさんや若者が、むんずと肉の端をわしづかみにしたり、端の方をくびり出すように押さえたりして切り出していくのだけれども、ナイフを前後に動かすと肉も一緒に前後にグニュグニュ揺れており、「刃がスーッと肉に入っていく」とはとてもいいがたい様子であった。むしろ、ナイフを前後にゆすりながら下方へと刃を押しつけ・押しこんでいくというか、力づくで肉を断ち切る・引きちぎっているかのようにさえ感じられた。ときには肉の端を持ち上げながら、まな板から浮いた部分にナイフを何度もあてがって往復させ、まさに力任せに「切って」いく感じであった。

このとき、肉屋のおじさんはまな板に加えて大きなナイフに砥ぎ棒を持っていた。それにくらべて、調査助手の家にはまな板も砥ぎ棒もないし、使っているナイフはマーケットで大量販売されている100円もしない中国製で、それも長年使っているということでお世辞にも切れ味がいいとはいえない代物である。たぶん、あの肉塊を家で切るときは、イスかなにかをまな板のかわりに使ったか、誰かに肉をひきのばすようにもっていてもらって切ったのだと思うが、それでも、あのナイフで1kgの塊を一口大にまで切り分けていくのは意外に手間だったと思う。もちろん、料理をしてくれたママや長女からしたら、あくまで「めんどう」が増えただけで、「たいへん」とか「つかれる」とかまでは思わなかったと思う。料理以外に水汲みや薪拾い、それに掃除や洗濯、家畜の乳搾りを毎日やってくれている女性陣からしたら、あれぐらいの作業で「つかれる」なんてとてもいってられないだろう。

僕の調査対象であるマサイの社会では、多くの男性はいつも腰に大きなナイフというか山刀を差していて、これがなかなかに切れ味がいい。というか、マサイが生きた家畜をつぶして食べるときは、男性が家畜の肉を部位ごとに切り分けて調理するのだが、そのときはこのナイフ(山刀)でサクサクと家畜の各部位が切り分けられていく。肉屋が使っている大きめのナイフというのも、多くの場合はこの山刀である。なので、家でも男性が山刀で手伝ってあげれば女性の「めんどう」も減るのかもしれない。だが、料理は女の仕事と多くの男性が思っている調査地にあっては、無理に父親や成人男性に台所に入って町の肉屋で買ってきた肉を切らせたり、「肉を切るのに、その山刀を貸してあげなよ」と頼んだりするのは好ましくない雰囲気である。

市場で売られている山刀

けっきょく、その後は、毎回ちゃんと肉屋のおじさんだったり若者だったりに肉を切り分けるよう注文しているのだが、このエッセイを書きながらふと思ったのは、「せっかくだし、一度、自分であのウシの半身から糸のこぎりで骨も切断しながら肉を切り出すことをやらせてもらおう」ということである。というか、そのあとに家のナイフで「切る」ところまでやらせてもらうべきかなと思ったりもするのだが、フィールドにおいては何事も経験ということで、次回は肉を「切る」ことを体験してこようかと思う今日この頃である。